ロケ現場は、西荻窪の、「アトレア・カノン」
亡くなった、電撃ネットワークの、三五十五が、入院して居た病院の、近くでした。
駅前の交番で、道を聞き、言われた通りに、商店街を、
抜けて行くと、それらしき建物が、有ったので、中を覗くと、
別のシーンの撮影中でした。
前に、公園が、有ったので、しばらく、そこで、自分のセリフを、完璧に覚える。
一度、覚えたセリフが、前日に、変更になったので、一抹の不安が有ったので、何回も、何回も、復唱す
る。
なんと云っても、私のシーンで、絡む方が、松鶴家千とせ師匠と云う、大御所、大先輩のため、私が、セリ
フを、とちる訳にはいかないのです。
人生プロから、来てくれて居た、マネージャーの、橋本さんに呼ばれて、中へ入り、皆さんに紹介され、
メイクさんにドーランを、軽く塗ってもらい、私のシーンの撮影現場の地下室へ移動する。
監督の阿部誠さんと云えば、頭に、バンダナを捲いて居る事で、有名な方なのですが、今日も、やはり、
しっかりと、バンダナを捲いて居ました。
さて、(若い人にはわからないでしょうが、)
1976年に、「俺が夕焼けだった頃、弟は、小焼けだった。父さんは、胸やけ、母さんは霜
焼けだった。わっかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ。」
と云うギャグで、一世を風靡した、あの、松鶴家千とせ師匠と、セリフ合わせを始めると、・・・・・
「げっ、私の、セリフが、又、変更になって居る。
昨日、今日と、変更になったセリフを、やっとこさ覚えて来たのに、
な、な、なんと、現場で、また、手直しが、有ったらしい。
少し、焦ったが、最初は、ラジオから、流れるニュースのシーンだったので、新しい台本を見ながら、音録
りをさせて貰う。(やれ、やれ)
そして、私、甲野剛(アナウンサー役)が、千とせ師匠に、インタビューするシーンを、なんとか、撮影して、
上に、上がって、千とせ師匠が、かつらを、取って、、着替えそうになったので、あわてて、一緒に、写真
を、撮らせて頂きました。
夕焼け、小焼けのギャグでお馴染の、松鶴家千とせ師匠、中高年の皆さん、懐かしいでしょう
千とせ師匠は、今も、現役バリバリで、とっても、お元気でしたよ。
この映画「THE GRAY CROW]の上映は、来春ですので、覚えていてくれたら、皆様、是非、宜しくお
願い致します。
東京から、順次全国公開し、ニューヨーク、香港などでも、上映され、ロサンゼルス映画祭に出品されます。