先週は野田の虐待事件の公判があった関係で、テレビや新聞などで虐待に関する情報が溢れていました。特にNHK Eテレが力を入れて放送していて、こちらもいろいろ考えさせられました。私なりに思ったことをざっくばらんに綴ってみたいと思います。それが正しい考えかどうかは分かりません。私自身、悩みながら子育てをしています。意見には個人差があるものなので、その点、悪しからずお願いします。

 

 

まず、子育てをしていると多かれ少なかれ、体罰的な行動を取ってしまうのは自然なことだと思います。言うことを聞かないので、大声で怒鳴りつける。反省させるために正座させる。親と子の上下関係を分からせるために威圧的な態度を取る。これらは全ていけないことなのでしょうか。社会のルールや秩序を覚えさせるためには、子どもに対して厳しい姿勢を見せることも時として必要なのではないでしょうか。

 

 

親子のスキンシップの中には、体罰的な要素が多分に盛り込まれています。私もムスコと相撲を取ったり、プロレスの技をかけたりしていました。これらは痛みを伴うものですから、状況次第では体罰になる可能性があります。くすぐることやギュっと抱きしめることだって、度を越せば子どもは苦しみます。悶絶することだってあります。私はムスコを叩くことはほとんどななかったと思いますが、くすぐり地獄という罰を与えることは結構ありました。肉体的な快と不快は紙一重です。マッサージを受けて痛気持ち良くなることがあるでしょうし、痛みを与えて喜ぶSMの世界もあります。体罰を完全になくすのなら物理的な距離を取って、指一本触れさせない状態にしないといけないのではないでしょうか。

 

 

ですから私は体罰を完全否定することには懐疑的です。体罰が悪いのではなく、殺人が悪いのです。度を越した体罰、殺人に至るような体罰は、決して許されません。でも、愛のムチはある程度必要だと思います。

 

 

つまりは程度問題です。どこまでの体罰に耐えられるかは子どもによって異なるので、子どもの反応をよく見ないといけません。常識的に考えれば、これ以上やったら危ないというようなことは分かると思うのですが、その常識が通用しにくい時代なのですね。便利な世の中になりすぎて、本能的な危険予知能力が衰えてきているのかも知れません。

 

 

虐待殺人事件が起きたからと言って、体罰をすべて否定し、体罰をした人に罰を与えるというは、危険な気がします。痛みを知らずに育ってきた子どもが親になった時に、うまく子育てが出来るのでしょうか。

 

 

褒める時は褒め、しかる時はしかる。抱きしめる時があれば、叩く時もある。メリハリは必要だと思います。

 

 

体罰を一律に否定するのは、ことなかれ主義的な気がします。子育てに真剣に取り組み、子どもと真っ向から向き合った場合、時には子どもに対して手が出ることだってあるでしょう。それが殺人に至った場合に、人として親として罪を償うのは当然です。

 

 

但し、基本的には家族の問題。親子の問題。夫婦の問題。それに対して国が過剰に介入することは、また別の危険性を伴う可能性があります。コンプライアンス対策で企業が苦しんでいるように、子育てで苦しんでいる人がさらに苦しめられそうです。ただでさえ少子化で、親になる人が少なくなってきているご時世。子育てすることがこんなに大変だったら、子どもを産まないと考えるカップルはますます増えていくでしょう。

 

 

この問題、とても重要なので、これからも考えていきたいと思います。