先ほどのブログに書いた 本をおくるという作業
仕事から 一旦帰宅したとき
5分で 用意し 簡単なお手紙もいれて
郵便局へ送りに 行きました
(定形外の規格内か規格外か微妙だったので
窓口でチェックしたかったんです)
 
郵便局をでたのは 次の仕事まで5分とせまっているとき
 
なのに
軽く10年ぶりかな
 
「ささきさーん」
と 次男の同級生のママに声をかけられました
 
 
 
子どもの少ない呉
 
呉の中心部は 当時 一層子どもが少なく
次男も三男も 小学校のときは 学年は1クラス 
(次男のときは 20数人 三男のときは 30人はこえていたかな)
 
次男の学年のママさんの顔はみんなわかるし
なんなら ママたちの下の名前も年齢もわかります
 
子どもが小さいときは
そこここで ママたちにばったりであっていました
 
 
 
当時 ある 幼稚園出身の子が多くて
ママたちのことは 〇〇(幼稚園名)軍団 と
他のママは かげで 言っておりました
 

軍団が 下の子を 幼稚園に 自転車でおくっていくのと

(当時 幼稚園バスとかなかったです)
私が 保育所に三男をおくっていくのと 同じ時間 同じ方向
 
日々 挨拶をわすれないように
気をはって つかれておりました
(次男が迷惑かけるわけだし
他のママたちとは とにかく なかよくしたかった)
 
なじむにしたがって
いい人がいっぱいとわかると
そんなには 緊張しなくなりました
(書道の先生も 次男の同級生のママ
〇〇軍団の一人)
 
 
長い立ち話をしていたママさん
ランチへ一緒に行っていたママさん
家にきてもらったことがあるママさん
 
いろいろいたのに
もうかなり長い年数
だれも顔もみていません
 
 
 
今回 声をかけてきたママさんは
まあまあやんちゃな男の子のママですが
その子は次男をいじめる子ではなかったし
そうそうそう 高校も一緒だったわ たしか
 
三男が 地元の中学に進学したとき
 
「ちょっとちょっとちょっとーー
三男くんの(支援級)担任
うちの子をたたいた先生なのよー
うちの子はたしかに悪いことする子よ
でも そのとき 先生の悪口を大声で言ったのは
うちの子じゃなかったの
日ごろの行いが悪いから そう思われたんだろうけど
そのときだけは 違ったのよー
なのに うちの子だと思われて たたかれたのーー
あとで 誤解だったと はっきりさせてもらったけどーー
たたく先生なんか 三男くんの担任はだめよーー」
 
と 言いに来てくれました
 
 
それで 担任がかわるわけじゃなし
不安になっただけでしたが
それでも 心配して 言いに来てくれたこと
三男のことを 思ってのことだったので
うれしかったです
 
 
 
「ねーねーねー
ここで ささきさんに会ったのが 同級生ママさんに会うの
数年ぶりなんだけど・・・
町からみんなきえたんじゃないか ってくらい
だれもいないんだけどーーー
買い物にいっても だれにも出会わないし
みんな 買い物にもいかないのかしら とか 思っていたけど
みんな 消えたわけじゃないのね」
 
私も同じこと 思っていました
 
だれにも会わない・・・
 
 
子どもたちは 大人になると
もう すれちがっても わかりませんし
仕事や結婚で 遠くにいるのかもしれません
 
だけど
ママさんたちは どこへいったーーーー
 
 
 
三男の同級生のママさんの顔はあまりわかりません
支援級だったというのもあるけど
それだけじゃなく
 
次男の学年のほうが ママさんと 年が近かったんです
 
顔を知っている ママさんたちとも
出会いません
 
マンションのお隣も三男の学年のママさんなのに
年数回しか 出会いません
 
 
 
ママ友って だいじだって 思ってきたけど
 
そりゃ 学校時代 助かってきたけど
 
でも いつしか 縁がきれるもんなんだなあ
 
どうしても いなきゃいけないもんでもないんだなあ
 
 
 
今日は キャーキャー 言い合ったわりに
お互いの子どもの近況は言う時間もなく
わかれました
 
みんな どうしているんだろうなあ
 
 
 
 
 
 
 
おまけ
 
ゆきっちゃんのしっぽが カバーからでています
 
足は次男の足
 
 
 

 
 
 
 

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