コメント欄で返信できないので

本文中で返信させていただきます

今日は 長いですよー

 

 

るいきさんへ

るいきさんの書かれていることが

まさに私の言いたいこと!

ありがとう るいきさん

そういえば 私も小さいとき 「大きくなったとき

笑われないために」って しつけの時 言われていたような

気がします

しつけって 難しいものです

まして 大人がこどもに対して怒るということは

こどもが 危険なことをしたとき 人に迷惑をかけたときくらいで

いいんじゃないかと思うんです

るいきさんは 心も身体もこわしたのに

おきあがり たちあがり すごいことです

よく頑張ってこられましたね

るいきさんの最後のことば

本当にそうだと思います

ありがとうございます

 

 

rakikiさんへ

私が ロングブーツがはけなくなった記事からきてくださったんですね

rakikiさんは くまがだめになられたんですね

きっと 看護師さんは なぐさめようとされたんでしょう

悪気はないんでしょう

だけど その説明のしようのない気持ちわかります

私も 担当医が きっと 出先からきてくださったんだろう

って 想像はしたんです

極悪人がそこに立っているわけではなく

とてもやさしそうな人でした

でも どこか もやもやしたものと死がむすびついたとき

その人のことを ゆるせないとかではないのに

だめって ものがうまれてしまうんですよね

rakikiさん お父様大好きだったんですね

クマが苦手な気持ちはしかたない

だけど 胸が苦しくなることが 少しでも少なくなりますように・・・

本のこと ありがとうございます うれしいです

 

 

レンハハさんへ

そんなことがあったんですねー-

こちらこそ わかる わかる わかりすぎます

うちも 卒業後通った 生活介護事業所には とても苦労かけました

担当の職員さんは傷だらけでした

うちは 中学では地域の学校のほうが マンツーだったので

高等部から支援学校だったけど

レンハハさんのところまでではなかったかもしれないけど

(いずれ記事にも書くかもしれないし

この次の人へのコメント返信にも 少し書きますが)

それでも 中学のときのおだやかな日々が がらがら壊れて

もっと早く 学校をやめるべきだったか

とか あとで 思いました

学校への未練は 運動会とか 文化祭とか もう少し経験させてやりたい気がして

しまったんです

これは私がおろかでした

精神科医は どんな行事も365日の1日にすぎない やすめ

って 言ってました

卒業式ですら でなくていいって 言われていました

私がばかだったわ

レンハハさんは 英断だったと思います

三男の高等部時代 そして そのあとの行動障害時代を思うと

長男の死とはまた違う 胸のはりさける痛みのようなものを

感じます

人に接する仕事って 重いです

私自身も 失敗してないか 仕事中 こわいです

そんななか 認知症のかたとの会話 ほっこりしてしまいます

きっと 我が親だったら いらいらするのかもしれないけど

たのしいです

 

 

YOTINさんへ

コメントありがとうございます

たわごとなんかじゃないですよ

短いブログのなかからだったら わかりきれないですものね

コメントいただいたから こうして さらに語ることができます

その機会をありがとうございます

私の ブログでの言葉がたりませんでしたが

「担任の信念」であることはたしかです

だけど だからといって うけとめるわけにもいきません

他人の信念のために 我が子を命の危険にさらすことはできません

崩れた三男は命の危険がある状態でした

そうなるのがわかっていたので 精神科医がストップかけたのに

担任の先生は

「ずるーい 2対1じゃ 私が勝てないじゃないですかー」

(精神科医と自閉症担当の先生の2人いたので)

って 病院で言われたときは

勝ち負け? ってひいてしまいました

担任の先生のこと 悪く書いているようにみえますが

実はすごくいい先生なんです

頭よく やる気にあふれ まるきりのボランティアになる障害者の

地域活動にも参加されていました

三男に痛い目にあわされても 「大丈夫 私 タフなんです」

って 笑って言ってくださるかたなんです

なので 私の言葉がたりなかったのですが

「こんなひどい先生がいたんです」って 言いたいわけではないですし

「子のことを思っての信念なんだ」って ことをわかってないとか

そういうことでもないんです

先生が 強い信念で 熱心なのは よくよくわかっています

ただ そのやりかたが 三男に合ってないということを

うけとめてくださらなかっただけです

強度行動障害の専門家の言葉もうけとめてくださらなかっただけです

どんなに実力ある先生だって間違えることはあると思うのです

親が面倒をみれる期間はかぎりがあるからこそ

そのあとも生きていける人にしたかったのに

担任のめざすのは 「働ける大人」です

働けなくてもいきていけます

だけど 結果 働ける大人を目指しすぎたために

完全に 働けない大人にされてしまい

そして 下手したら 死んでいたかもしれない状態にされてしまったんです

ただ!

これは 担任の先生のせいだけではないとも思います

親が 間違えてしまった日々の積み重ねもあると思います

実際 私がまちがえたのは

学校が合わないとおもえば はやく やめてしまえばよかった

そして 行事へ参加させたいとか 思わねばよかった

後悔だらけです

自活能力をつけるための作業は 小学校時代 生活のすべてをかきだして

そのどれをできるように目指すか どれを人にたよるようにするか

話し合い 調整しつつ カリキュラムを考えてきたのに

すべてが きえてしまいました

そもそも 自活っていったって かなりの部分

人に助けてもらわないと無理なんですけどね

長々書きましたが まだ うまくかけていません

また おいおい 少しずつ書いていくと思います

もし 気が向かれましたら また読んでご意見お願いします

私の言葉がたりず 誤解される表現とかありましたら

ごめんなさい

 

 

 

 

↓ぽちっとしていただけたらうれしゅうございます


にほんブログ村

 
 
 

 

目がみえない 耳もきこえない でもぼくは笑ってる  障がい児3兄弟物語 (角川つばさ文庫)
目がみえない 耳もきこえない でもぼくは笑ってる 障がい児3兄弟物語 (角川つばさ文庫)
 
Amazon
 

障害児3兄弟と 父さんと母さんの 幸せな20年 (角川文庫)
障害児3兄弟と 父さんと母さんの 幸せな20年 (角川文庫)
 
Amazon