第2回は群馬県甘楽郡甘楽町福島にある笹森稲荷神社です。
● 笹森稲荷神社へのデータ
交通:上信電鉄「上州福島」駅下車、徒歩15分。
駐車場:広い駐車場あり。公衆トイレあり。
養蚕祈願講を知ったのは、第1回の秋畑稲含神社の養蚕信仰でした。調べたときに南牧村大仁田の人の話で、大正末から昭和初期には養蚕祈願講が行われており、3つの神社を代参したことがわかりました。それが稲含神社、今回の笹森稲荷、第3回にご紹介する神社です。わたしはたまたま稲含神社と笹森稲荷は参拝していたので、あと1社に参拝すればコンプリートです。
上記の人の話では「福島の※笹の森稲荷の養蚕祈願講は、大正年間までは2月14日のイチノウマに代参を行った。講金(10〜20銭)を納め、久保、峯、落合、奥の萱各区から1名が代参したこともある。もらってきた札を講中に配る。」とありました。
※旧甘楽郡史などでは「笹の森稲荷」とある。呼びも「ササノモリ」。現在の甘楽町HPなどでは「ササモリ」とある。
ここからは笹森稲荷神社の概観をゆるくご紹介します。この神社は全長約100mの前方後円墳「笹森古墳」の上に建立されています。敷地が広いのでのんびり散策される人の姿をちらほら見かけました。
割拝殿。お稲荷さんは、他の神社に比べてしつらえがユニークなことが多いですね。こちらの神社の割拝殿は少し変わっています。割拝殿で検索すると国宝建築からいろいろ出てくるので見比べると面白いかもしれません。通り抜けできる拝殿を割拝殿というのですが、二階建ては珍しいです。二階の白狐さん、そちらからの眺めはいかがですか、見晴らしの良さそうな場所です。この二階の舞台には通常は上がれません。白狐さんたちが楽しそうなので機会があれば上ってみたいですね。稲荷神社のしつらえがユニークなのは、五穀豊穣や商売繁昌など現世御利益だから人を惹きつけるためだろうとは夫談。
拝殿。懸魚には楽しそうに跳ねる白狐さんが彫られています。
買い物帰りに久々に参拝した時の写真です。直近で参拝したのは、新型コロナで県外への移動が禁止されたころです。お狐さんもマスクを着用中でした。
いまはもうマスクは取り外しているのではないかな。第二波になりませんように。
この神社でわたしが好きなのは玉垣です。ここには幾つか製糸会社の名前があります。「黒澤製糸所」は並びの石玉垣の中で大きいですから奉納額も大きいですね。地元で大きな製糸所なら、もしかしたら軌跡が辿れるのではないかと調べたのですが力及ばず。「製糸所」ですから国用製糸かなと思います。
その左隣に「鈴木製糸所」。
少し離れて、こちらは「増茂製糸所」。製糸所の石玉垣を3社見つけました。面白いのは、名前も知らない製糸所がこんなにあるってところです。
他にも魚店に風呂桶店、玉垣に刻まれた名前を見るのは楽しいですね。わたしは蚕糸に関心がありますから、「製糸所」の刻印を見かけるとついつい特別に注目してしまいますが、かつては日常の営みの中に隣が製糸所だったという風景があったのですよね。石玉垣は簡単には壊れないし、墓石と違い店名を刻む場合が多いのが良いですね。年月が経った石玉垣はその地域の歴史を語ってくれます。
最後に、笹森稲荷神社界隈のことを。この界隈には富岡製糸場にまつわる産業がいまも息づいています。それは瓦です。この辺りには瓦工場が集合しています。というのも、富岡製糸場建設の際にこの一帯の土がレンガ造りに適していることがわかり、窯が造られ、レンガや瓦を焼いたのが始まりだそうです。
富岡製糸場の建設当時、レンガ造りに係わっていたのは建設責任者の尾高惇忠から建築資材調達のまとめ役を任された韮塚直次郎でした。彼は笹森に住んでいたこともあるのだとか。そのためか、富岡製糸場の完成を記念して明治8年に「富岡製糸場絵馬」を笹森稲荷神社へ奉納しています。この絵馬は製糸場全体を描いた鳥瞰図で、完成当初の製糸場を知ることができる貴重なものです。現在この絵馬は甘楽町歴史民俗資料館に収蔵展示されています。