富岡日記の足跡

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1ヶ月程前ですが、長野県の小諸へ行きました。

話はさかのぼりますが、昨年風穴サミットin小諸で「糸のまち歴史街歩き&風穴体験バスツアー(確かこんな感じのタイトル)」の企画に参加し、この本町を歩きました。

 

 

 

 

 

そのとき、ツアーの内容から逸れた余談で、この建物は富岡日記の横田(和田)英さんたちが富岡製糸場へ行くとき(帰りかも)に休んだ場所なのですよ、と紹介がありました。蕎麦屋さんだったので、そのうち立ち寄りたいと思っていたのです。

 

 

 

 

 

『そば七』〒384-0026 長野県小諸市本町3丁目1−2

 

 

 

 

 

せいろ 1200円。うどんのように太めの蕎麦が独特、美味しかった。箸休めの小鉢(野沢菜・蒸かし芋・味噌)も信州っぽくって良かったな。夫は、そば湯をたいそう美味そうに飲み干しておりました。

 

 

 

 

 

伺ったのは14時過ぎ。ちょうどお客さんが途切れたときだったので、会計の時に店主に前述のエピソードがあったのか質問してみたのですが、そんな話は初耳だとのことでした。え、まったく聞いた事がないとは。今の店主は代々ここに住んでいる方ではないようですし仕方がない。街歩きの案内人の話を鵜呑みにして、食い下がって質問しなかったことが悔やまれる。

 

店外にあった建物の紹介文には「脇本陣代として建てられ格式ある玄関を持つ」とありました。横田英さんが富岡製糸場へ行ったのは明治6年です。その頃はまだ脇本陣代だったのでしょうかね。明治26年の図では「屠牛 牛肉販売」をしていたようです。明治時代に牛肉と聞くとハイカラなイメージです。高価な食材ですし、それを扱う店も豪商だったでしょうね。この宿は城下町でもあるのですが、周りも大きな建物が多く富裕な街の面影が今も色濃く残っています。

 

 

 

 

 

帰宅後、富岡日記を読み直したりネットを調べてみたのですが、この建物で横田英さんたちが休んだかどうかは、まったくわかりませんでした。上は、東京法令出版の富岡日記に添付されている富岡行程略図です。これを見る限り小諸宿は通っているのでしょう。いつか、関係資料に出会えるといいな。