お繭玉を食べる。

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小正月行事のつづきです。

四季折々、子供の頃から実家の祖母や母がしてくれた行事をわたしも受け継ぎたいと思いながらも、立ち止まることなく日々流されがちです。そんなわたくしですが、この地域の農家のお母さんに教えてもらった繭玉作りだけは毎年行っています。というのも、繭の豊作を祈る予祝行事になっているからです。毎年恒例の投稿です。よろしければおつき合いください。

 

 

 

 

 

一般的に繭玉は枝にさして、どんど焼きで焼いて食べるものだと思います。焼いた繭玉を食べるとその年は風邪をひかないと近所のおじさんに聞いたことがあります。今年もFacebookなどで全国さまざまな繭玉を見ました。食紅で色鮮やかだったり、形もいろいろあり見ていて楽しかったです。

 

わたしがお母さんに教えてもらった繭玉づくりはどんど焼きとは別のもので、家の中に飾る繭玉です。予祝なので繭玉は白だけです。行事は12日から始まります。米粉をこねて繭玉の形にする日、蒸して木にさす日と続きます。昨日の15日は繭玉を木の枝から取る日でした。

 

 

 

 

 

そして、今日の16日はこの繭玉を食べる日です。朝、繭玉をたっぷりの湯の中で煮て、湯ごといただくのです。お醤油などを入れると「オカイコがタレコになる」からいけないということで白湯のままです。教えてくれたお母さんの家では白砂糖を入れるというので、わたしもそうしています。

タレコというのは蚕がなる病気の1つで、軟化して腐り、ほかの繭を汚す原因になるので収穫時には要注意なものなのです。

 

この16日の行事のことは「群馬の小正月ツクリモノ」の報告書にも載っています。報告書によると、私が住む安中市とお隣の富岡市にある行事のようです。ですが、この地域でポピュラーな行事かというと違うようです。興味があるので、事あるごとに農家さんに話を聞いているのですが、いまのところ、このことを教えてくれたお母さん以外出会ったことはありません。

 

お母さんの話では、15日の木から取るのは「マユカキ」、16日は「イトトリ」といいます。「マユカキ」は繭を収穫するしぐさを、「イトトリ」は糸をつくるために繭を湯で煮るしぐさを真似ているのだと思います。小正月は枕草子など平安時代にも記載があるようで、朝に小豆粥を食べたそうですが、この繭玉づくりはいつの時代からあるのでしょうね。繭玉は最終的には人間が食べるケースが多いでしょうが、それを「イトトリ」と言い始めたのはいつなのか。これは県内でも富岡と安中で見られた事のようですから古くても江戸後期、明治時代には安中と富岡、下仁田に南三社(碓氷社、甘楽社、下仁田社)という製糸会社がありましたから、その頃生まれたものだろうかと想像を膨らませています。

今年も無事にお繭玉をいただきました。これから養蚕と糸取り頑張ります!!