上州座繰器とケンネル

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この生糸は、只今ご注文で繰糸しているものです。繊細でとても美しいです。こうした仕事が出来るのも先人達の研究の賜物です。今日は、わたしが携っている上州座繰りのことを少しご紹介します。

 

 

 

 

 

群馬県の上州座繰りといえば、座繰器本体に1つ鼓車(こしゃ)が付属したものを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。上記の写真のような風情です。

 

このブログで前回までの4回にわたり、明治以降に日本に導入された洋式の製糸技術等について書きました。上州座繰りといえば江戸時代末期に発明され、その製糸技術は連綿と今に伝えられていると漠然と思いがちですが、実は上州座繰りにも洋式技術の影響は見られるのです。せっかく製糸技術についての内容が続いたので書いてみたくなりました。乱文と知識不足は否めませんが、よろしければお付き合いください。

 

 

 

 

 

 

まずは、日本独自といえるであろう座繰りの繰糸技術についてです。

これはわたしが住む群馬県安中市原市にあった碓氷社の上州座繰りの写真です。碓氷社(うすいしゃ)は明治11年の創設当初から多条繰糸機に完全移行する大正6年まで座繰りを行っていました。この手回しの上州座繰器で輸出生糸を製造していたのです。

 

1830年頃から上州座繰器の抱合装置として主流だったのは、馬毛や人毛を取り付けた「毛撚(けよ)り」でした。明治に入ってからは、弓に毛を併設した糸寄器(いとよせき)が普及しました。この装置のはたらきですが、弓は繭を指で足す添緒(てんちょ)作業に有効で、毛は水切りと繭糸の接着性を高めるものでした。上記写真にある道具はこの糸寄器と思われます。碓氷社の毛撚りについては、社長の萩原鐐太郎が「碓氷社50年史」で語っています。「毛撚り」の名称は前述の本に出てくる語で、「毛つけ」や「毛坊主」ともいいます。

 

 

 

 

 

 

せっかくなので、毛撚りの参考例をもう1つ。これは明治後期の製糸本にある上州座繰器の図です。弓は繰糸鍋に直接設置しています。接緒器は座繰器本体に造り付けで、この先端に付いているのが髪の毛です。このように日本独自の座繰りには、洋式製糸の撚り掛けは見られませんでした。

 

 

 

 

 

 

さて、今回書きたいのはここからのお話です。年代が交差してしまいましたが、明治に入り輸出生糸の粗製乱造を嘆き、各地方の藩士は独自に洋式の製糸技術を導入、政府は官営富岡製糸場を創設しました。

 

しかし、洋式の繰糸機は高価過ぎました。この問題を克服しようと当時日本に存在した製糸道具を足がかりに、その改良に心を砕いた館三郎という松代藩士がいました。その研究をまとめたのが明治7年に出版された「実地新験 生糸製方指南」です。この本には、手びき取りから蒸気汽罐を利用した器械製糸まで27点にも及ぶ内容が掲載されています。写真はその中から2点を抜粋したものです。第5図はケンネル、第10図は共撚りを取り入れています。

 

上州座繰器を改良したこの撚り掛けは、爆発的な普及には至らなかったようです。しかし、ケンネルの撚り掛けは優れた技法ですから、座繰器にも導入したいと考えるのは極自然なことです。明治後期以降は、いろいろな工夫を本や古い道具から垣間見ることが出来ます。以下ではその一部をご紹介します。

 

 

 

 

 

 

こちらは当館所蔵の埼玉県入間の焼き印が刻まれた上州座繰器です。裏板には明治36年と書かれています。抱合装置の木製部品が座繰器の前面板中央の下部からL字型に出ており、その対角線上に木とガラス管で出来たギリ(鼓車)がついています。当所蔵品は残念ながら赤丸の部分のギリが破損しています。入間博物館の常設展示の中に別作者ですが同様で状態の良い座繰器が収蔵されていますので、関心のある方はぜひ行ってみてください。

 

 

 

 

 

こちらは明治末期の製糸本にある糸寄器の図です。本によれば、これで玉繭を製糸するとあります。玉繭の繰糸といえばモロコシなどの専用箒を使った繰糸法が思い浮かびますが、こちらは繭糸を指で添緒(てんちょ)します。

 

 

 

 

 

 

こちらは大正時代の製糸本に掲載していた上州座繰器の挿し絵です。この1つ前の図と少し似ています。座繰器と繰糸鍋の間に糸寄器のついた板を渡します。そこにはケンネルの抱合装置等を取り付けています。

 

 

 

 

 

 

そして、こちらは当館のケンネルの繰糸風景です。通常は1つ鼓車で撚り掛けをして生糸をつくりますが、これ以上に繭糸の抱合を良くする必要がある場合にケンネルを取り入れています。

 

このケンネルの掛け方は2つの鼓車に繭糸の束を上から下に渡し、輪っかにしたところを幾度か捻じって綾振りに至ります。1つ鼓車にしても繭糸の束を鼓車のところで輪っかを作るように渡し撚りかけ綾振りに至るのですから、前述の毛撚りとは違う考え方です。なので鼓車を使うということ自体が洋式の技術から来ているのではないかと思います。

 

わたしが行うケンネルは、先に載せた明治末期の製糸本を参考にしています。この本には「ケンネル装置」としか書いていないので、当館ではこれを「横引きケンネル」と称します。これは洋式繰糸機が縦方向にケンネルを仕掛け繭糸を引き上がるのに対し、上州座繰りは横方向に繭糸を引くので「横引き」と表現することに発しています。

 

この横引きケンネルは、前述の通り玉繭の製糸に用いられていましたが、鼓車の角度等を調節すれば上繭を繰糸する場合にも優良と感じています。この様な装置は現代において全国で座繰りをする人を見ると少なくはありませんが、群馬県内では珍しいです。というのも群馬の座繰りは200デニールを超える太い生糸や節のある生糸を繰糸する技術と文化が深く息づいているからです。