久々の更新です。先日、当地の農協で養蚕農家の総会がありました。平均年齢は75歳を超えていると思います。その先輩農家さんとの会話で、昔は春蚕が始まる前に沼田市(群馬県)にある迦葉山へ詣でたと聞きました。これは群馬の農家さんからよく聞くエピソードで、当館も参拝しています。☞ 迦葉山へ参拝したときのブログ
その中で、俺は長野の神社へ参拝したよという話を聞きました。偶然でしたが、私はその神社に行ったことがありました。ブログに載せていなかったのでご紹介します。
場所は、長野県佐久市にある鼻頭稲荷神社(はなづらいなりじんじゃ)です。永禄年間に京都の伏見稲荷大社より御分霊をいただいて祭られたと伝えられています。京都の伏見、愛知の豊川、佐賀の祐徳、茨城の笠間と共に、五大稲荷の1つに数えられるそうです。
向いの河岸から神社を撮ったところです。訪れたのは2015年の6月です。このときは竜巻の被害で建物が破損していましたが、後に大改修されています。
鼻顔橋を渡たると鼻頭稲荷神社の大鳥居が見えます。
私は大鳥居から真っ直ぐ奥まで歩き、川縁を望みなが女坂を登って拝殿へ行きました。写真は、大鳥居をくぐってすぐ右手にある男坂からの景色です。小さな鳥居が幾重にもなって稲荷神社らしい佇まいです。
男坂と女坂が合流するところにある御姿殿。お狐さまが左右に鎮座しています。
お狐さまの後ろには、「富國」と繭で形取った額縁が奉納されていました。養蚕信仰のある稲荷神社のようです。
拝殿のある建物には、たいへん珍しい奉納額がありました。桑の葉です。私は桑を描いた奉納額を見たのは初めてです。
明治22年に奉納されたものでした。10分の3に写したとあります。「多胡早桑、本四ッ目、長瀬世界一、鼡返、鶴田、鳴村早、九文竜・・・大縮緬・・・伊太利亜・・・」。昔はたくさんの品種があったのですね。いまでは桑苗を作る農家も1、2軒になって品種は限られます。この辺りで購入できる品種は「一ノ瀬」のみになりましたから、かつてはこんなに品種があったということを示す貴重な品です。
昭和12年に奉納された「豊蠶」と形取った繭の額縁。
明治35年に奉納されたもの。「奉納 養蚕改良福嶋組々員」とあります。上記の昭和の繭と比べて、こちらは繭の真ん中がくびれた可愛らしい形です。明治時代は、こうしてくびれた形の品種が多いです。奉納された蚕品種は「中又、銀白、又昔」など。
こうした奉納物を見ると、時代によってその地域でどんな品種が飼育されていたかを知ることができるので楽しいですね。
ご興味ありましたら、ぜひご参拝ください。
佐久は鯉の産地です。GWの真っただ中、今日のように陽気の良い日なら、神社に参拝したあと、鯉の洗いと良く冷えた日本酒をちょっといただいて帰るのなんていいですね。私は飲めないけど。あ、佐久の鯉の洗いは醤油でいただくので気をつけてくださいね。酢みそ派の人は持参しましょう(笑)。