朝鮮元首に対する侮辱映画・・・アメリカはなんでも正しいのか? | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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朝鮮元首に対する侮辱映画・・・アメリカはなんでも正しいのか?





反日運動が激しい中国で、ある映画監督が「天皇の不倫」という映画をつくり、少し頭が可笑しそうな俳優を日本の天皇陛下にして映画を作り、それを中国で公開することになったとする。多くの日本人は黙っているだろうか? 私なら命を失うのを覚悟して中国にわたり、映画館に突撃する。

その国の元首はその国の誇りそのものであり、元首を馬鹿にしたり、暗殺を教唆する映画など「表現の自由」とは全く関係ない。

2014年12月にアメリカで上映が予定されていた北朝鮮の元首の暗殺事件をテーマにした映画が北朝鮮からと思われるサイバー攻撃で上映ができなくなり、オバマ大統領が北朝鮮に制裁措置を取ると発表した。

今日、つまり日曜日の朝の有名なコメンテーターが5人ほど出るテレビを見ていたら、論評なし(どのようなサイバー攻撃だったかという話はあったが)で伝えた。表現の自由は大切なので、映画を作る方は大切な表現の自由を守るように活動する必要がある。それには「他国の元首などを侮辱する表現」はやらないというぐらいは当然だ。

私が批判を続けているNHKは今朝(22日)のニュースで、完全にアメリカ側のスタンスをとり、映画の上映を攻撃したと考えられる(北朝鮮は否定)北朝鮮に批判的だった。

国には主権がある。その国の体制や元首などもその国の人が選択したものであり、他国の元首を批判するというのは民主主義ではなく、「自分の考えが正しい。自分は神だ」という論理であり、そのような考えが戦争を起こしてきた。平和を大切にする日本のもっとも重要な倫理の一つは「他人の意見の尊重」である。






北朝鮮の元首や体制は北朝鮮の人が選択したものであり、それが日本人やアメリカ人の意見と合わなくても、「悪」ではない。日本には天皇陛下がおられるが、同時に国民は平等と言っている。歴史が浅いアメリカ等では「おかしいではないか!」と思うかも知れないが、多くの日本人は天皇家の存在を肯定しているし、また天皇を侮辱して欲しくないと願っている。

アメリカ人はアーリア民族の一つだから、傲慢で攻撃的、自分たちだけに通用する道徳を他人に強制するというあまり尊敬できない人たちだ。イラク戦争でも、フセイン大統領の悪いイメージを全世界に植え付け、ウソ(大量破壊兵器を持ってないことを知っていて、持っているというウソ)を言い、圧倒的な軍事力で一気にイラクを破壊し、フセイン大統領を殺害した。許されない行為だ。

イラク戦争でも日本は他国の尊厳(イラクの尊厳)を軽視し、国連の決定(戦争しない)を無視し、アメリカのウソを容認した。そんなことで正義を語ったり、日本文化を守り、立派な子供を育てることなどできるだろうか?

太平洋戦争も同じで、日本はアメリカ本土を攻撃する意図を全く持っていなかったし、それはアメリカも知っていたけれど、日本を追い詰め、スパイを使い、形だけ日本に攻撃をさせて戦争に持ち込んだ。そして戦争が終わると日本人に「戦争悪教育」を徹底的に行い、アメリカ軍の残虐行為(東京大空襲、原爆投下など)を隠蔽した。

中国や韓国の反日教育にも困ったものだが、日本もそろそろアメリカの本質を見抜き、「アメリカは何をやっても正義である」とか「正義の話をしよう」などというアメリカの大学教授の怪しげな講義を紹介することなどやめて、アメリカとは一線を画した世界から尊敬される筋の通った国になるべきと思う。

今回のことでは、「どんな理由があるにせよ、他国の元首を侮辱する映画を上映する

ことは表現の自由を超えている」と主張するべきである。今回はアメリカと北朝鮮というあまりの軍事的力が違う国なので、アメリカが北朝鮮をいかにバカにしようと戦争にはならないと思うが、戦争はこのようなことから起こる。

だから、かつて日本にアメリカが石油と鉄鋼の輸出を禁止し、それに各国が同調したので、戦争になった。戦争とは「挑発」、「明らかな挑発」を含むと私は考えている。つまり、個人でも国家でも、相手を尊重せず、自らが正しいとして相手を侮辱したり、相手が生活できないような状態に追い込むのは「卑劣な戦争開始」と分類するべきだろう。

今回の件は「表現の自由」という美名のもとで「戦争に繋がる挑発」と考えられる。

(平成26年12月21日)




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(高林さんのフェイスブックより)


 DPRK体制も「尊厳」がかかる話だから仕方ないだろうが、三流映画の壮大な「煽り商法」に引っかかった観あり。映画製作者はさぞかしホクホク気分だろう。

 「ザ・インタヴュー」問題は、オバマ政権による「キューバとの国交正常化交渉開始」という衝撃的な発表とほぼ時を同じくして盛り上がった。これが偶然か意図的かは知る由もないが、結果的に「キューバの独裁体制との和解」に対する国内の批判から目を逸らす効果はあったように見える。少なくとも「キューバの次は朝鮮半島政策を劇的に転換する」という期待にオバマ政権が応える意志がないことは明らかになったように思われる。

 

 「国家指導者の暗殺」を題材にした映画は、それが歴史上で実際に起こった事件を題材にし、製作者の真摯なテーマ性やメッセージが込められているならば、一定のフィクションや脚色が含まれているとしても(それはある程度避けがたい)「芸術表現の自由」として許容されて然るべきものだ。実際、カエサルとかJ.F.ケネディとかの暗殺を題材にした作品はいろいろある。

 例えば、韓国やDPRKで伊藤博文の暗殺を題材にした映画が作られたとしよう。何だかんだ言っても彼は明治維新の元勲の一人にして日本の初代首相。その暗殺を題材にした映画はどうしても一定の日本人に不快感を惹起せざるを得ない。それでも、彼が韓国統監として日本の朝鮮植民地化を主導する歴史的役割を果たした事実がある以上、「植民地化と抵抗」という歴史的文脈に対する製作者の認識なりメッセージを込めた「伊藤博文暗殺」映画が作られることは少しもおかしなことではないし、日本人は個々に不快感を持ったとしても、それを呑みこむしかない(だから、今回の件が「国家元首・指導者の暗殺を題材にした映画全般がダメ」みたいな話として展開されるのを時折目にするが、それには同意できない)。

 だが、「ザ・インタヴュー」とやらは違う。

 存命する現職の国家最高指導者(*「国家元首」ではないことに注意)の、それも米国が敵視する国の指導者の架空の暗殺劇を拵え上げ、それを「パロディ」として笑おうというものらしい。そこには表現者としての誠実が一切感じられない(これまでにも米国に敵対的な「独裁者」らを揶揄するシーンを入れたり、「米国の正義」を振りかざす安物の映画を多く生み出してきたハリウッドらしい)。

 DPRKの体制を批判することは、それが真摯かつ根拠に基づく批判である限りは、当然あってよい(例えばチリのピノチェト独裁政権や南アフリカのアパルトヘイト体制のように、その残虐・非人道性を真摯に告発した様々な映画が国際的な注目を集めたことで、体制の土台が穿たれた例もある)。架空の国の架空の体制に仮託するという、よくある手法も、内容の良し悪しはともかく表現としてはアリだろう。しかしいくら何でも、当該の国で特別の敬意の対象にされている実在の指導者の、それも架空の暗殺を「パロディ」として扱うというのは、やり過ぎ、挑発的であり無意味である。それは誠実な批判と呼ぶに値しない。

 それにしても、当の映画の関係者のみならず、右派シンクタンクのアナリストとか韓国の反DPRK団体までが、この映画がDPRKに流入することで「民主革命」が起こることを期待しているらしいのには驚きだ。随分とおめでたい発想だこと。


   








例えば朝鮮でロシアでなどオバマ大統領の暗殺映画が出来たら




アメリカは黙っているだろうか?黙ってないだろうと私は思う。








インターネットで検索すると










オバマ大統領についておもしろ画像でいろいろ出てきますが




このようにアップされるとアメリカの方などは気分がいいものではない。






(4年後のオバマ大統領とアップされてましたが)











朝鮮をなめんなよ