積祭家ノ塾
せきさいかのじゅく
💬当記事は、不特定多数に向けた一般的な内容を担当致します。日常生活における助言や提案を中心として持論を展開致します。
言葉づかい
ご愛顧・お引き立て
挨拶状でよく見かける言葉
だけど
相手に失礼な言葉
愛顧も引き立ても意味は同じです。挨拶状の定型区になっている程で、よく見かける言葉です。しかし、よくよく考えると、相手に失礼な言葉なのです。言葉づかいのマナー講座でも、失礼である事は、しばしば指摘されております。
引き立て役とはどういう意味なのかを考えると、失礼である事が分かるでしょう。
「主役を良く見せる為に自分をつまらなく見せる」それが引き立てるという事です。そして、引き立てる事につとめる人が引き立て役です。企業がお客様に対して「今後ともお引き立て頂きますようお願い致します」「ますますのご愛顧を賜りますよう。お願い申し上げます」と言ってしまうと、企業が主役・お客様が引き立て役という構図になってしまうのです。
日々の積み重ね
十分(=充分)考えるとは
十分(=10分)考えるで良い
10分考えて閃かない事は、今、差し当たり必要のない事。良いアイデアが浮かばず行き詰まってしまうのなら、今、何も出来ない事が正しい。
何もしてはいけない時は、何も出来ない状態になる。それを摂理と言う。その摂理に抗って、強引に事を進めても、結局、裏目に出てしまうだけ。それまでやってきた事を顧みて反省点を洗い出す。それが肝心な事。
先へ進むだけが進歩ではない。立ち止まり動かぬ事も進歩である。
睡眠も生きる一環
休息も労働の一環
先ずは10分考えて何かを閃くか否か、それで思慮の区切りをつける。何かを閃いたとしても、それを冷静に判断する為に、閃きを寝かせる時間が必要となる。結局、立ち止まる必要があるという事だ。
熟慮とは、長時間考え続ける事ではない。花に水やりをするが如く、短時間の思慮の積み重ねで良いのだ。
種を植えてから花が咲くまでひたすら水やりをし続けようとしたら、結局どうなる。思慮もまた、良い閃きを得るまでひたすら考え続けようとしたら、結局どうなる。無理なく休み休みしながら継続的に行う事が、結局は賢明な選択と言えよう。
突然花を咲かせる種は無し
突然大人になる赤子は無し
日々の退屈で無力感に苛まれる時間が、実は成長や進歩の為に必要な事なのだ。物事を成し遂げる為には、費やすべき時間がある。その必然的な摂理を否定してはならない。徒に、己を無能だと決めつける必要もない。志を捨てない限り、事は着実に進んでいる。