偶像崇拝と唯我独尊,キリスト教の愛

自我という分離意識は、生まれたとき
から不安・恐れというものを抱くように
デザインされています。


全体性から自らを切り離して手に入れた
『個別性』

その代償としての『分離不安』です。



これは、自我というプログラムの
基本仕様と言ってもいいし、言葉を
変えると『宿命』とも表現できます。




その『分離不安』の顕れの一つが、

崇拝すべき対象を求めてしまう


ということです。




不安・恐れから、偶像やラベル、
権威といったものへの盲目的な
信仰が生まれるのです。




人生において、何かへの信仰・確信、
信じるということは大切です。




ですが、それはあくまでも
『自覚』した信仰であるべきです。




特定の宗教に限らず、スピリチュアル
なことに関する知識に対しても同じです。




僕は最近、ソウルメイトやツインソウル
といったものに興味があって、よく調べます。

というか、そこかしこで目に付くので
興味が出た、というのが正しいのですが。




講演会ではちょっと語ったんですが、
僕のスピリチュアル的なスタンスでは、

分離した形での魂、全体性から分離した
意識が、世代を超えて受け継がれたり、
永続することはない、


と、考えます。



つまり『アートマン』は存在しない
というスタンスです。



なので、ソウルメイトやツインソウルという
概念は、僕のスタンスでは、まだうまく
説明のつかないことだったりします。

(僕自身の中ではイメージはあるのですが、
 まだ言語化しきれません)



ですが、こういう知識を学ぶと、
自分が経験していることを読み解くのに
確かに有効で、役に立つのです。



経験則に基づいた知恵や価値という
ものを認めているということです。




これは、スピリチュアルとの付き合い方で、
大切なスタンスではないでしょうか?



何事も、盲信するのではなく、自覚して、
理性を働かせて信じる、ということです。




『アートマン思想』も、好意的な解釈
であれば、ソウルメイトやツインソウル
につなげることもできますが、


意識レベルが低く留まったまま盲信されると、
魂レベル、『生まれによる差別』という
危険な思想にも結びつきます。




ちなみに、僕の『魂』というもの
に対する考え方ですが、


意識というものは全体から分離して、
(正確に言うと分離したと錯覚して)

自我として人生を経験し、それが終焉を
迎えたとき、また全体に還っていく


と、考えています。




全体意識というものは、物理的な時間や
空間を超越した情報空間、量子場なので、


いまの意識の中から、前世や来世の記憶・情報、
なにが出てきても不思議ではないのです。



大事なのは、現世における
『意味づけ』『解釈』です。


いま、人生で受け取っていることに対して、

過去生や未来の予言、材料はどこから
持ってきてもOKですが、


それをどのように意味づけるのか、
そして、どう現実と向き合っていくのか、


そこに軸が通っていれば、
材料は何でも構わない、という考えです。




意識が完全に目覚め、『いまここ』
生きる人にとって、『解釈』は必要ありません。


ただ、人生というものは自我とともに
歩むものであり、自我は『意味』を求めます。



自我というものをすべて否定してしまうと、
それは、人としての人生でなくてもいい、
ということになってしまいます。



人生の中で、自分の好きなように『意味』
選択することも、人生経験の楽しみの一つです。


なので、その根本から否定する、という
極端な思考に走る必要もないのです。




話を本筋に戻します。



盲信を生む原因の一つが『言葉』です。


『言葉』とは、一つの偶像であり、記号です。



『言葉』は、表面上は確固たるもに観えますが、
その定義するものは、それぞれの主観に依存し、

恐ろしく曖昧なものだったりします。




たとえば、父親に愛されて育った人と、
父親から虐待を受けて育った人とでは、

『父親』という言葉はまったく違った
意味・イメージでとらえられます。



『神』『愛』という言葉でも同じです。



特定の宗教をもたない日本人と、

物心がつく前からクリスチャンと
して育った欧米人とでは、

そもそもの言葉の背景にあるもの、
コンテキストが違いすぎるのは当然です。



ユダヤ教やプロテスタント、イスラム教では
『偶像崇拝』が禁じられています。



『神』という絶対真理以外のものに
権威をつけて崇拝することを戒めているのです。




同様に仏教においてはお釈迦さまが、
『天上天下 唯我独尊』という言葉を
残しています。



この言葉も誤解されがちですが、


自分(お釈迦さま)こそがこの世で
もっとも尊い、という意味ではなく、


『我』という存在、これは自我意識
ではなく、真我という純粋意識、


この世の中でただ一つ、『我』という
存在だけを尊べ、という意味の言葉です。




アブラハムの宗教では『神』という真理
仏教では『我』という純粋意識


それだけが尊いのであって、他のものは、
解釈によるラベル、人の心が生む幻想に過ぎない、


と、違う言葉で同じことを言っているのです。




この世界の中で、もっとも大切なのは、
真理・自然の摂理


僕が一番しっくり来る言葉では
『愛』(もしくは『調和』)です。



『愛』という言葉も、ここで一度、
再定義してみてください。




大地や海洋が生命を育むこと、

生命体が自然に成長していくこと、

天体が運行し、この宇宙が進化していくこと、

万物が流転し続けること、



それらの背景にある絶対的な法則のことを
『愛』(調和)と呼ぶのなら、


確かに、この世界は『愛』に満ちている、


と言えるのです。




人が他人や世界との交流の中で受け取る
ことのできる、『愛』という至福の感情も、


この絶対真理に沿ったときに、
意識を通して流れ込むものだということです。




ブログランキング参加中!

この記事を読んで、役に立った、
気に入ったという方は、

ぜひ、クリックをお願いします^ー^

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ





【公式YouTubeチャンネル】
左脳系スピリチュアルチャンネル


こちらからチャンネル登録
お待ちしています(*´Д`*)b


※電子書籍を無料プレゼント!
この画像をクリックしてください。
スピリチュアル法則と<br /> 情報発信で豊かに成功する方法


【サトリの著作一覧はこちら】
https://amzn.to/2ob20aC

AmazonKindleアプリにて
『読み放題』で読めます^ー^