「私もいつも思うんですけど。

 これが誰か大切な人だとしたら、
 そんなに頑張り続けなくていいよと
 言ってあげるのに、

 “自分の体“に対しては、
 相当無茶な要求もしてしまいがちですよね。」


ーー先日、整体を受けて下さったかたに、
そんなお話をさせて頂きました。


そのかたは、これまで頑張って生きてこられたために
多分いろいろなものを抱えていらして、
今は、体と心をほどくために
整体指導を活用してくださっています。

「そうですよね。
 自分の体には、無理をさせちゃいますよね」

ーーそんなふうにおっしゃって下さいました。


あなたもそんなこと、ありませんか?




私は、こういう仕事につく前は
体の声を無視する訓練(?)をせっせと頑張ってきましたし、

(足や腰に激痛があっても、
 風邪薬を飲んで感覚を麻痺させて何十キロも歩き続けたり。
 振り返ると意味不明ですが。笑)

今でも、自分の体に対しては
きつく当たってしまっているなぁ……と
思うことがありますよ。


そろそろ限界なんですよ…という状態でも
「これは絶対にやってもらいます!」と
鞭打ってみたり。

何が欲しいか、欲しいか欲しくないかも聞かずに
ひたすら食べ物を詰め込んでみたり。

あれがやりたいなぁ…ということを
理由をつけて、全然やらせてあげなかったり。

ーーそういうことって、
ありがちではありませんか?


あらためて考えると、
ブラック企業みたいなところもありますよね。


もちろん、社会生活を送っていく上では、
期限や決まりを守ることも求められますし、

お子さんの世話とか、ご両親のケアとか、
どうしてもこれはしなくてはいけない、
ということだってあると思います。


それにしてもね……と思うわけです。

なぜ自分はこんなふうに不自然なことを
体にさせてしまうのかなぁ?と。


自分を振り返って考えたことが、
冒頭のセリフに繋がっているのですが、

体のことは「自分の道具だ」と思っているから、
体が悲鳴をあげるくらい酷使しても、
他を優先させて…というふうに
なってしまうんじゃないかな、と。


でも、自分の体って、
ほんとうに「自分の」体なんでしょうかね?


だって、自分で作ったわけじゃないし。

自分で生かしているわけでもない。
(毎朝スイッチを入れたりネジを巻いたりしていませんものね。)

最後は置いていくわけです。


「体は乗り舟」という言葉がありますが、
とてもしっくりくるなぁ…と最近は思います。


少なくとも、
体はモノではなくて生きているのだから、
生き物に対しての敬意
持っておきたいものです。


体にとって何が自然なのか
何がちょうどいいのかは
体が知っている。

(それが「心地よさ」として現れている。)


だから、すこし謙虚な心を持って、
その声に耳を傾けようとする、
そんな練習をしていけたらと思っています。



あっという間に、
師走も半ばになりましたね〜。

今年もあと半月。
何かと慌ただしい時間を
お過ごしなのではないかと思います。


こんな忙しい時だからこそ、
ほんの5分でも10分でも、
ちょっと立ち止まって、
あなた自身のための時間を過ごしてあげてくださいね。