黒猫を招き我れ此処より何処へ 」さん

http://ameblo.jp/1357gy/entry-11764965535.html  から転載


原発問題 さんより転載
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/2c74abdc4be2ba4fc3e5045d804b1376?fm=rss&utm_content=bufferb22a2&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer



<2011年3月東京から逃げる人でごった返していた!!>
子供にビニール袋を頭からかぶせて



原発事故当時、東京から西の方に逃げていく人の映像を撮っていたにも関わらず、どの局も流さなかった(まっちゃんのブログ) 
http://www.asyura2.com/13/genpatu35/msg/474.html
投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 12 月 26 日 19:46:00: igsppGRN/E9PQ

32分35秒頃
おしどりマコ氏「テレビ局の報道番組のディレクターの方が、この間飲みながら本当におっしゃっていたのが、当時、2011年3月 新幹線も東京駅も品川駅も成田空港もものすごい人だったんですよ。逃げる人達で。


さっき言ったみたいに私達品川に住んでいたので、ものすごい人、逃げていく人を見たんですね。もうちっちゃい子供に透明のビニール袋を頭からかぶせて、息は苦しくないようにマスクさせて放射性物質がかからないように。そうやってもう本当に疎開みたいな、移住みたいな逃げていく人達がすごく多くて


その報道番組のディレクターがいうにはもうねぇ、夏のねぇお盆の時の帰省に乗車率百何パーセントだというニュースになる。もうそんな物とは比較にならないくらい大勢の人で、逃げる人でごった返していたのに、その絵をどこも流さなかった。どの新聞もどのテレビも流さなかった。



-上記記事の投稿欄より-

05. 2013年12月26日 21:27:07 : dNO75SbmVM
あの時は浜岡ルートを避けるため東名でなく中央道を使い避難してましたね。

子供を乗せた黒い高級車がひっきりなしに走っていました。

東名でなかったので目立たなかったんですかね。

問題なのは、1号機が爆発したのが3月12日の15時36分ですが、正午頃から車の量が増えたことです。
知ってる人は知っていたと言うことです。



06. 2013年12月26日 21:33:46 : wM3BCtKG96
避難の映像を取っていたけれど、上の許可が下りなくて放送できなかったなぞ末節のことは、どうでもよい。

首都圏へ、3月15日と3月20日に放射能雲が襲い掛かる前に、メディアは、市民に警告や注意喚起、あるいは、具体策を指示することによって、放射線防護に重要な役割を果たさすことができたにも関わらず、それを放棄した。

政府東電と同じように、その罪は重い。

安っぽい反省をいくらしてもらっても、メディアを金輪際信じることはできないし、二度と関わりたくもない。



07. 2013年12月26日 21:43:18 : yhcXe1ACTY
当時、既に、海外ネットでは12日には米軍経由でメルトダウンがでてた。

14日には核爆発で大騒ぎになってた。

海外ネットをしてたひとはしってたが、

日本の偉いさんも当然しってたんだよ。

14日には偉いさんの家族は逃げ出してた。

偉いさんの妻子が優先して東名と新幹線で東京から西に逃げるためにかくしてたんだよ。庶民は死ねだ。

東京から西に向かう東名は女と子どもを乗せた黒い偉いさんの車が延々とつながったんだよ。新幹線も夜通しうんてんして京都に偉いさんがにげた。

庶民は人口削減だ。17日から20日ごろが3号機や4号機の炉やプールの爆破した粉塵がか東京に襲来して一番危なかった。

このときに逃げてれば初期被曝を防げたから関東東北の子供達はぜんめつせずに助かってたんだろうけどな。かわいそうだ。

取り返しがつかん。手遅れだ。次の世代はいなくなる。



09. 2013年12月26日 22:02:37 : wM3BCtKG96
放射性キセノンは、希ガスと言われているせいか、上空で拡散するようなイメージを抱くと思いますが、少しちがいます。

イメージとしては、大気より重いので、地面から30メートルくらいの高さまでの所を、四方に拡散します。

福島第一原発から放出された放射性キセノンは、このようにして、北半球全体に拡散しました。

ノルウェー大気調査研究所が、毎日公表していた拡散予想は、或る時間に福島第一原発から放出された放射性物質がどのように拡散するかを予想したものでしたが、別の継続的な拡散予想が存在しました。

その継続的な拡散予想によれば、例えば、濃度は低かったけれど、放射性ヨウ素131は、西日本や沖縄まで覆い尽くしたのです。



11. 2013年12月27日 00:24:00 : dNO75SbmVM
12日の正午のNHKニュースで深刻気な福島原発が取り上げられた時点で危機感を感じなければ駄目だったんじゃなかったですかね。

運よく土曜日だったので家に居てニュースを見たので即座に東京の子供に連絡し(ドコモは不通でしたがウイルコムはOKでした。)、速攻で西日本の自宅へ帰省させました。

爆発したときは既に関東から離れた新幹線の車内でした。

新幹線が疎開列車並みになったのは、ようやくの1週間後なので、ほとんどの人が第一波の高濃度ヨウ素を浴びていますね。

株やってますが、原発の爆発を受けての休み明けの市場は不思議と大暴落しなかったので、寄り付きで損を出さずに売れました。

大暴落は、中性子が検出されたとの報道を受けての翌火曜日で、きっかけは海外からの大量売りでした。

今は多くのことを知り、敏感になっていますが、直後の国民意識は原発については危機感が欠如していたと思いますよ。




12. 2013年12月27日 00:26:37 : 7Onnx32U7Q
僕は関西にいるものだけども・・・

あのときは、日をわけて1号から3号、と複数の事故爆発映像をみるにつけ、さて関西といえども逃げたものかどうしようかと考えていたのを覚えている。

やはりチェルノブイリの一度の爆発とはちがい四度もあった爆発なのでこれは自分で考えるべきだと思った。

チェルノブイリの場合も結構四方八方に汚染したのをNHKでみた記憶があったし、スカンジナビア半島にまで汚染しているとNHKでみた記憶があったのだ。ただ冬で西風の時期だったので気圧変化の時期だけは高気圧がぬけた直後は西方向にもくるとは思った。

距離にして100キロなら逃げたほうがよかろうと思ったけども400キロありそうなので逃げなかった。ただ一週間~2週間したら地球を一周して東からではなくて西からくるだろうと予想してヨウ素をアメリカから取り寄せて家族に飲ませた。
もう3年たったかという感じだ。





15. 2013年12月27日 11:57:49 : 7Onnx32U7Q
>>07. 2013年12月26日 21:43:18 : yhcXe1ACTY
>>当時、既に、海外ネットでは12日には米軍経由でメルトダウンがでてた。14日には核爆発で大騒ぎになってた。海外ネットをしてたひとはしってたが、日本の偉いさんも当然しってたんだよ。14日には偉いさんの家族は逃げ出してた。偉いさんの妻子が優先して東名と新幹線で東京から西に逃げるためにかくしてたんだよ。

夜に新幹線が臨時運行していた? それほんとの話ですか? 知らなかった。
まあ最初の一号の爆発をみていたが白い煙というかたしかに水蒸気にみえたのでそうかと思ったけどもその爆発の大きさは300mくらいにみえたので凄まじいなあと思った。

で、三号の爆発ではテレビが水蒸気爆発だといいながら放送していたもの閃光が走ったのが見えたし、真っ黒けのガソリンを燃やしたような煙がキノコ雲になったのをみて「ああ、これは水蒸気爆発ではなく核爆発でしょうが?何言っているの」とその場で疑問を持ったなあ。

水蒸気爆発で安全だったのなら避難はいらんだろうが、でも○○キロ圏内から外に逃げろって。。。爆弾処理ですら300メートルなんで○○キロもの外にでよとはそりゃ核爆発で放射能が飛び散ったからでしょうとすぐに思った。

結果的には二年後、あれはメルトダウンでしたって・・・そりゃ核爆発確定じゃないか。なにを言葉を濁してばかりいるのかと思ったものだ。

そんな嘘ばかりつくからもう原発は禁止、やめ。廃止。の世論が確率されたのだ。
まあ逃げた人は賢かったね。でも戻ってたらもとのもくあみで、水飲んでトリチウムを体に貯め続けているでしょうから逃げたかいはないと思うが。



3.16の朝にはマスクをしながら新幹線で西に逃げた。

車内には青ざめた顔をした外国人が、座席からあふれてたくさん通路にいた。

22. 2013年12月28日 00:26:59 : D91TIo0gTY
俺は浜岡原発が心配だったから、5年ぐらい前からヨウ素剤を自前で入手して、親戚にも配ってた。

しかしそんな俺を家族や親戚は「ありえないw」「心配性w」と馬鹿にして、
せっかく事前に渡しておいたヨウ素剤を、どっかに無くしてしまったらしい。

俺は3.12ぐらいには、すぐにヨウ素剤を飲みながら、家中をガムテープで目張りし、3.16の朝にはマスクをしながら新幹線で西に逃げた。

車内には青ざめた顔をした外国人が、座席からあふれてたくさん通路にいたのを見て、「ああ、外人には本当の情報が伝わっているんだな」と思ったよ。



http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/c120576e83f93a65c483ef0b147ffaf2  からの情報

東電は社員には当初から90キロ以上の避難勧告を出していた

福島第一原発元モニターからの証言

福島で保育所を経営しており、
地震後に、子供の安全をひとりひとり確認していた。

その中に、東電社員の子供もおり、やっと連絡がついたと思ったら、
「地震直後(3月11日)に、パパが会社を抜け出してきて、
私たちは、今、栃木に逃げています」と。

私はそれに絶望感を感じた。
なぜ? 自分たちだけが逃げられればよいのか?

・・その奥様が言われるには、
「先生、もう、そんなところ危ないから早く逃げた方がよいですよ」と。

仕事柄、重要なポストに居る東電社員の家族だった。

3月14日の時点では、
その東電社員の奥様から、郡山も危ない、
最低でも90キロ以上逃げておかないとまずいようですよ。と聞いていた。



ちょと普通じゃないです (@lilryanti)
2012/02/27 11:13:22 from web
しかも私の身内は事故直後に東京に家族を避難させに来てた東電社員から「テレビではまだやってないけどすでにふくいちで何人もの死者が出ている」
と聞いてました。私は隠蔽してるから逆に恐ろしい事態になっていると思いましたよ
@hanayuu 東電社員とその家族が、周りの人を見捨てた事例。



東電社員とその家族が、周りの人を見捨てた事例。
→当初から避難指示が出て、こっそり逃げていました。
http://portirland.blogspot.com/2012/02/blog-post_2015.html





東京に大量の放射性物質が降下した3日間

「3月14日、15日、と21日」

東京在住、プルーム(原子雲)が通過する数日、地下室で近所に住む親族11人と犬3匹猫3匹でろう城

http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/95afd88d6724f9fbbafada4639e2380e

わたしは東京在住ですが、科学技術にくわしく、環境問題に明るい友人が、311直後に電話をくれました。政府は心配ないと言っているけれど、自分の情報分析だと原発でそうとう危険なことが起こっている、自分は妻と子どもを逃がした、関東一円はもう危ない、と言うのです。いちおう耳に入れておく、判断は任せる、とかれは言いました。わたしは米とミネラルウォーターなどの備蓄をチェックし、ペットフードなどを買い足し、古新聞とポリ袋がたっぷりあることを確認し(水洗トイレが使えなくなった場合を考えました)、太陽光発電を停電時の自立発電に切り替える練習をしました。地下室があるので、プルーム(原子雲)が通過する数日は、近所に住む親族11人と犬3匹猫3匹でそこにろう城する構えです。

東京地方をプルームが通過したのは、3月14日と15日と21日です。この3日で、今降り積もっている放射性物質の85%が落ちました。そういうことが明らかにされたのは、もちろんずっと後です。






http://blogs.yahoo.co.jp/x_csv/20369012.html (2011/6ツイート情報)から



東電内部(関連会社含む)では「西日本に避難しろ」とのメールが拡散した

http://twitter.com/#!/yoikonohi/status/78646177121320960

東電幹部や保安員・政治家などの子供達が今どうしているか調べるべきだ。相当数が疎開している可能性がある。原発事故当日、番町小学校の多くが避難したとのツイートもある。東電内部(関連会社含む)では「西日本に避難しろ」とのメールが拡散したという



エリートの子弟が多く通う東京の番町小学校の児童の多くが
東京から事故当時疎開していた

http://twitter.com/#!/NONUKES_MH/status/79116980078120960
山本氏→石原氏との事:私の娘の学校も情報を知っていた家庭の娘さんは全員避難し卒業式欠席でした
SPEEDiのデータを当時から山本一太は知っていたと。エリートの子弟が多く通う東京の番町小学校の児童の多くが東京から事故当時疎開していたのも道理で。"



テレビタックル石原幹事長(SPEEDIのデータについて) 「我々も知っていた」
国会議員は総ぐるみで隠蔽

http://twitter.com/#!/mycafetime/status/79018748853489664
テレビタックル石原幹事長が(SPEEDIのデータについて)我々も知っていた。けど、黙っていたんだ。と発言、国会議員は総ぐるみで隠蔽してた。      
今こそ、みんなの力で「平成の大政奉還」を始めよう。国の政(まつりごと)を今の政治家に任せていては国民の命がいくらあっても足りない。