ラジオ体操には、軍国主義日本の一象徴というイメージー

一般人にも“教練”をさせるーがあり、

あまり好きではなかったのですが、最近友人から、何かの保険を

開始したときに、支払いが少なくて済むように(被保険者が健康を

維持できるように)始めたものだと聞いて、興味を感じ、ウィキペディアを

引いてみました。軍国主義イメージは、やはり間違っていません

でしたが、発祥はアメリカの民間保険会社だったようです:

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ラジオ体操は、1922年 4月にはボストン の放送局WGI(en:WGI (AM) )が放送しており[2] 1925年 までに世界初の商用ラジオ放送局として知られるピッツバーグ のKDKA(en:KDKA (AM) )はじめ、ドイツなどでも同様の放送があったという[3] 。 日本では、1928年 8月1日 から1か月間、日曜 を除く毎朝6:00から、社団法人日本放送協会大阪中央放送局 が放送したのが最初であるが、既にあった徒手体操を指導員の号令のみで行い、伴奏はなかった[4]

のちにつながる日本のラジオ体操は、アメリカ メトロポリタン生命保険会社 により健康増進・衛生思想の啓蒙を図る目的で考案され、1925年 3月31日 から広告放送として放送されていたラジオ体操番組 "Setting up exercise" が基となっている。 放送開始に先立つ1923年 に保険事業に関する調査のため訪米した逓信省 の猪熊貞治簡易保険 局監督課長がメトロポリタン生命保険会社のラジオ体操の企画を知り、1925年7月に『逓信協会 雑誌』で紹介した。猪熊は1927年 8月、簡易保険局の会議において昭和天皇 即位 を祝う事業としてラジオ体操を提案[5] 1928年 5月24日に簡易保険局、日本生命保険会社協会 、日本放送協会の三者が体操の考案を文部省 に委嘱した[6] 。文部省では体育課長の北豊吉を委員長とし、体育研究所 技師の大谷武一 などを委員として検討を重ね[7] 、10月29日に「国民保険体操」の名称で発表、同年11月1日 7:00に天皇の御大典記念事業の一環として東京中央放送局 で放送を開始した。同局で放送を担当したのはラジオ体操のために採用された元軍人の江木理一 アナウンサー[8] 。彼は初回からブリーフパンツ 1枚でマイク前で体操していたのであるが「照宮成子内親王 もラジオ体操に御執心なり」と聞き及ぶや濃燕尾服 蝶ネクタイ を締め、正装に身を包んだ上で放送に臨むようになった。実際の振り付けは郵便局員が全国に周知した。 なお、全国放送は翌1929年 2月11日から実施されたことになっているが、大阪中央放送局や名古屋中央放送局 では同時刻に独自の体操番組を放送していたことがあり、江木の放送が全国放送として定着したのは1934年 以降である[9]

現在[いつ? ]の体操は3代目である。つまり過去2度改訂が行われている。終戦時、軍国的側面を助長するとされ禁止されたこともあったがその後復活している。