福島で地震がありました。

 

 福島県知事佐藤栄佐久さんは、福島原発のあまりにルーズな運転状況に驚き、とりわけプルサーマルに待ったをかけた、おそらくそのことのゆえに知事として葬られた。現在の知事は、プルサーマルまで受け入れる勢いです。だいじょうぶなのでしょうか。原発自体が危険、地震国なのに建てたのでもっと危険、プルトニウムをウラン用の炉で核分裂させるのでもっと危険、三重の危険に、福島県民を中心とする日本国民全員が曝される。

 

 以下『知事抹殺』p51~53から:

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 ただでさえ危ない原発の中でも福島原発では

 1989年1月6日。異常を示す警報が鳴り、手動停止の事態になった。「原子炉の冷却水再循環ポンプ内に部品が脱落し、ボルトや座金が原子炉内に流入するという国内でも前例のない大きな事故で、その後の調査で脱落した金属片は最大30キロの重さ」だと判明しました。その警報も7時間も鳴らし続けたまま運転を続けていた」[p51]

 「事故の情報は福島原発から東京電力本社、そこか通産省、そして通産省資源エネルギー庁から福島県、とえんえん遠回りで、地元富岡町には、最後に県庁からやっと情報が届いたというていたらくだった。県も、富岡町も、原発に対し何の権限も持たず、傍観しているよりほかないことが明らかに」なった。


 しかも事故の後始末は、その事故を起した原発をもつ個別の電力会社の役員がマスコミの前で陳謝することで終わる。「「ひとつのー事故から得た教訓を原発関係者が共有し、今後の防止につなげよう」という航空機事故調査なでおでは当たり前になっている「水平展開」がまったくない。今から思えば、「同じことで同じような事故が置き続ける仕組み」だったのだ。」

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  佐藤栄佐久さんはチェルノブイリ直後のヨーロッパのパニックを知っていて、

かつ福島原発のずさんさを体験し、態度に揺るぎがなかった、しかも・・・選挙の際選挙民の9割の支持を得ていた・・・原発推進・プルサーマル推進にとって、邪魔な存在であること、このうえなかったでしょう。

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 p248

 検察から明示された調書類を段ボール箱から取り出して読み始め、最初に驚いたのは「まったく意味がわからない」ということであった。私が知らない人たちがたくさん登場し、私の知らない事実ばかり出てくる。中には、明らかに嘘とわかる供述をしている者もいる。

 たとえば、ある大手建設会社の東北支店元幹部の供述だ。私はこの人と会ったことがない。しかしこの幹部は、知事室に呼ばれて行ったところ、私は「〇さん、〇さん」となれなれしくあだ名で呼び、「〇〇の工事は〇〇建設で」とストレートに天の声を発したというのである。心底驚いた。

 いったいこの事件は、どんな広がりになっているのか。これは相当危険だ、と覚悟を決めた。

 この話には後日談がある。その後この建設会社幹部は、証人として裁判に出廷する予定であった。ところが、公判の一、二週間前に「病気」という理由で検察が証人申請を取り下げてきた。そこで武藤弁護士が仙台まで会いに行ったが、本人は面会を固く断ったのだという。私はいったいどんな顔をしている人なのか、法廷で顔を合わせるのを楽しみにしていたのだが。