私が受験のとき、担任の先生が
成績を教科ごとにデータにして、
苦手なところや重点的にやった方が
いいところを教えてくれたり、
とても親身になってくれました。

その先生は、
常に竹刀を持ってる体育教師で、
2年生の始業式に
体育館で担任紹介があって、
「○組、○○先生。」
と発表になったときは、
クラスどころか、
他のクラスや学年まで
「げぇー!」
と、どよめきが起こりました。

うちの中学は3年のクラス替えがなく、
下手したら2年間担任になるので、
「可哀想~」
という哀れみの声もチラホラ
聞こえてきました。
今だったら
問題になってるだろうという
数々の伝説がある、
そんな先生でした(^^;

その先生と中学校の同窓会で
十数年ぶりに会い、
そのとき、
なぜか私の名前を覚えていてくれて
「お母さんは、まだあの家に
一人で住んでいるの?」
と母のことを聞かれて、
とっさに答えられなかった私は
顔を強張らせて
「いえ…」
と言葉を濁し、
その様子を見た先生が少し悲しそうに
「そう…」
と言ったことが
ずっと引っ掛かっていました。

そして昨年の夏にあった同窓会のとき、
偶然先生と同じテーブルで
隣の席になり、
先生のお孫さんの話や近況を聞いたり
していました。

私が飲食店で働いていることを伝えると、
とても嬉しそうにしてくれて、
隣に座っていた子が
昔の私の印象を話していると、
「○○さんは、昔とすごく変わったんだよ。」
と、にこやかにしみじみ話していて、
当時は少し荒れていたこともあり
なにかと食ってかかっていたので、
恥ずかしく思いながら聞いていました。

セッションでその話をしたら、
きんたろうさんに
「お父さんと同じ眼差しを
感じたんやないの?」
と言われました。

それと、
「そんな話、
なんで今頃になってするんや!」
と、突っ込まれました。

同窓会のときは、
中学時代のことにあんまり
触れてほしくないという
気持ちが強かったけれど、
今は、そうやって
ずっと見ててもらったことの方が
嬉しく思えるから、
話したい、聞いてほしいっていう
気持ちに変わりました。

そのとき感じきれなかった想いが、
今になってじわじわと沸いてきて、
言葉が出てきませんでした。

「そんな悪いことばかりや
なかったやろ?」
っていうきんたろうさんの
言葉の通り、
気にかけてくれる人もいたし、
暖かく見てくれる人も確かにいました。

あのときは素直に受け取れなかったな~
と思い返してます。