プレゼントは要らないと言った。

わたしは一生喪中だから。
誕生日はもうやめた。



すると



そんなのダメだ。
誕生日は感謝祭なんだから。



と、友人のよっしーは言った。




それはそーなんだけど。。。
頭ではわかってるんだけど状態のまま
この時この話は終わっていた。



そして誕生日当日。



宅配ボックスには
よっしーからのプレゼントが
届いていた。


『女子の弁当箱は
どれも小さくて足りやしない!
かと言って男らしい弁当箱を
使う勇気もまだない』


と常々嘆いていたわたしに、
超特大パステルカラーのランチボックス。



それと、



青いウイッグと
ハートのサングラス等々の
THE パーリーピーポーセット。


〝パリピ 〟からは

一番遠い存在で、
その要素を1ミリも持たないわたしに

『パーリーしよう!』

のメッセージ。


普段私の言葉を否定しない
見守りタイプのよっしーが珍しく
「ダメだ」と言った。


そして「がんばれ!」が感じられた
ユーモアいっぱいのプレゼント。


そのハートのサングラスをかけて
鏡の前で笑って泣いた。




そして夜には
ちょくちょくお邪魔している
大好きなファミリーのお家に伺った。


普段と変わらずいつもの感じのつもりで。




お家に入ると、

子供達がクラッカーを鳴らし
パパのギターの伴奏で
happybirthdayを歌ってくれて

ママがケーキとプレゼントを
運んできてくれた。




ケーキ登場で電気は消されていたけど、

私は割と早い段階から泣いていた。


「のりちゃん泣いてる~!」


部屋が明るくなってみんなが笑った。





『私はこっちの世界にいる』


その時泣きながらそう思った。




一人おいていかれてしまった事を嘆いて、
姉がいた日々に思いの軸を合わせ
過ごしてきた。


そして


姉のいたあの頃へ、

そして姉と再会出来る未来に
無意識に心を飛ばしていた。




だから姉からのおめでとうが聞こえない
誕生日なんて要らないって思っていた。





だけど、

私は〝ここ〟にいて、

ここは、

〝今〟のわたしを祝ってくれる

愛と優しさの中だった。




そろそろここら辺で
思いの軸を〝今〟にズラさないと。


そう思い、


子供達と一緒にロウソクの火を
ふっー吹き消しながら、

誕生日ブルーを一緒に吹きとばした。



姉に
〝おめでとう〟を
言ってもらえなった昨年から、



単なる〝歳重ね 数え日〟に
成り下がった誕生日を
また特別な日に戻してもらった。



来年からは
素直にありがとうと叫ぼう。




誕生日なんて要らない。

から

わたしはこの日卒業した。









ありがとうございますクローバー
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