三原じゅん子氏「八紘一宇は大切な価値観」  予算委での発言を断固として支持する | 産経新聞を応援する会

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自民党の三原じゅん子参院議員は16日の参院予算委員会の質問で、「八紘一宇(はっこういちう)は日本が建国以来、大切にしてきた価値観だ」と述べた。八紘一宇は「世界を一つの家にする」という意味で、太平洋戦争中、日本の侵略を正当化するための標語として使われていた。

   三原氏は、企業が国際的に課税を回避する問題を取り上げる中で「八紘一宇の理念の下に、世界が一つの家族のように助け合えるような経済、税の仕組みを運用していくことを、安倍総理こそが世界に提案すべきだ」と語った。

   答弁に立った麻生太郎財務相は「八紘一宇は戦前の歌の中でもいろいろあり、 メーンストリーム(主流)の考え方の一つだと思う。三原氏の世代にこういった考え方を持っている方がいるのに、正直驚いた」と述べた。

    朝日新聞デジタル 3月16日(月)21時9分配信
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150316-00000036-asahi-pol




http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/53103974.html  より転載

 早く紹介し過ぎるとアンチが待ってばしたとばかりに批判を始めるので、皆さんの意見が出揃ってからと思っていたが、そろそろ取り上げることにいたします。

 しばき隊などはマイノリティーという言葉を好んで使うが、今回の三原じゅんこさんのこの発言や思考こそ、今の日本ではマイノリティーに入るのではないか?おそらく一般の人には非常に馴染みのない言葉であったと思います。

 
「八紘一宇(はっこういちう)」の精神などという言葉を初めて耳にしたという人も多かったと思います。私も最近では全く使用していませんでした。ただ、何度かブログにはこれまで書いているので、先ずはそれを紹介しておきます。

 2006年8月13日のブログです。
 

8・15の世界史的意義 最終回

67247f76.jpeg 「世界の平和実現」を目指しての聖戦であった。

 このエントリーも本日の5回目を持ちまして終了したいと思います。先の大戦について、3つの側面があると申し上げて来ました。一つは自存自衛の為の日米決戦。二つ目はアジア解放・民族独立を掲げた大東亜戦争。三つ目が共産主義との戦いです。

 中韓北が侵略戦争と呼ぶ満州事変、日中戦争は、ロシアの南下、ソビエト革命、共産主義の脅威という流れの中で検証していかねばなりません。これは「反中国講座・歴史編」の中で行なってきました。

 さて、実はもう一つ大きな戦争の大義がありました。この点については、これまで多くの人が語っておりません。戦後社会の中でそれは封印されてきました。

 その理由はそのことに触れることは天皇陛下の戦争責任論を呼び起こしたり、或いは日本の国体(国柄)そのものを危うくする危険性があったので、伏せられてきました。

 しかし、戦後既に半世紀以上が過ぎ去った今日、国民の若い層の一部ではありますが、祖国の再生を目指す息吹きが始まった以上、この問題を取り上げない訳には行かないでしょう。

 それは開戦における天皇陛下の詔書にあります

 ・・・・抑々東亜ノ安定ヲ確保シ、以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ、丕顕ナル皇祖考、丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシ テ、朕カ拳々措カサル所、列国トノ交誼ヲ篤クシ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ之亦帝国カ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両国と釁端(キンタン) を開クニ至ル洵に己ムヲ得サルモノアリ。豈(アニ)朕カ志ナルヤ・・・」          

 戦争を避けたかったが、やむ得なかったという悲痛なお心を察することが出来ます。しかし、同時に「以て世界の平和に寄与する・・・・」という箇所にも注目しなくてはなりません。

 この部分こそ実に世界史的意義と言えるものではないでしょうか。

 この戦争とは世界の平和を希求して行なわれたのです。皆さん方の中には「戦争を開始するに当たって世界の平和を願う」との考えに矛盾を感じられた方もおいででしょう。

 しかし、これは事実なのです。今では全く歴史の彼方に葬られた言葉として「八紘一宇」という言葉があります。八紘とは四方八方という周り、広く世界という意味です。正確には(四方と四隅)

 一宇の宇とは家を表します。これは神武(じんむ)天皇が、橿(かし)原宮で即位した際にのべたとされる『日本書紀』の言葉を由来としています。

 これは当時(戦前)の日本人なら誰でもが持っていた日本人としての精神(誇り)でもありました。日本の大理想というものは、この精神を広く世界に示すことにあったのです。

 日本的世界観とでも呼ぶべきものでしょう。世界観とは何かー今日はこの定義をここで述べようとは思いません。ただこれを最も簡単に要約するとすれば、漠然とした表現ながら次のようになるでしょう。

 「日本の目指したものは黄色・白人関係なく人類の共存共栄であった。この実現のために満州には王道楽土というスローガンの下に理想国家の建国を目指した。我が国は戦争によって争いのない平和な世界を作ろうとした。」

 連合国はこれを世界に覇権を求める暴挙としたが、日本が世界征服を企むほど愚かな民族でない事は彼らも分かっていた筈です。この世界平和という大理想を掲げた戦争こそ世界史に残る偉業なのです。

 日本兵は確かに「祖国日本」のために戦った。しかし、それ以上に死生を超越した信仰的な情念があった。それが「天皇崇拝」とも云うべき日本的なる世界観であった。

 我が国の戦前の軍隊が戦争という人間が極限まで追い詰められるその状況下においても、最も勇敢に死を恐れずに団結し戦えたのは、ただ単に権力で強制されたからではない。

 そこには、その信仰心の底流には「世界の平和を求めて」という崇高にして純粋なる大理想があったことを見逃しては行けない。靖国神社に眠る英霊こそ「未来につなぐ平和の使者」だったのです。

 以上

 左翼はこれを大きな問題にしようとしています。我々は三原じゅんこさんを支持します。彼女の信念から出た言葉であり、これを彼女への個人攻撃から歴史問題にまで広げようとしている。

 

 マスコミは、三原の発言に「歴史修正主義=ネオナチ」の兆候を読み取り、鋭く切り込まなければならない。与党議員の発言であり、曽野綾子のアパルトヘイト発言より罪が重い。発言撤回まで手を緩めるべきでない。

八 紘一宇は、言葉の「元の意味」が問題なのではない。そういう美名のもとに植民地支配や侵略戦争が行われたことが問題なのだ。そういう背景を知っていれば、 そんな言葉は使えないはずだ、というのが批判のポイントである。三原は何を批判されているのか分かっていないのだろう。

 

 左翼はこの八紘一宇(はっこういちう)の言葉が、日本の侵略戦争の道具として使われたなどと言っています。しばき隊の共産党系の弁護士も早速噛み付いていた。

 しかし、このようなコメントもあるように関係ありません。

 東條の弁護人・清瀬一郎は『秘録・東京裁判』のなかで「八紘一宇は日本の固有の道徳であり、侵略思想ではない」との被告弁護側主張が判決で認定されたとしている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/八紘一宇

 

 大東亜戦争は侵略戦争ではない。これも何度も書いてきました。もう一度紹介しておきます。
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  この大東亜戦争の大理想は、日本の敗戦という現実によって打ち砕かれましたが、我々はこの戦争の敗北を何ら恥じることはありません。もし恥じるとしたら、 それはこのような大理想を忘れ、侵略戦争であったという汚名を甘んじて受け入れてきた、この戦後日本の民族の魂の空白化に対してではないでしょうか。

 下記のような事実を今の日本の若者は余り知らないので、二つの国の例を挙げて説明します。

インドネシア

 インドネシアがオランダとの独立戦争で勝利したのは、日本の兵士がインドネシア軍と共に戦ったからでした。日本が無条件降伏後もインドネシアには500人以上(2000人との説もあります)の日本兵が自ら残ったとも言われています。

 インドネシアの首都ジャカルタにはムルデカ(独立)広場があり、その中央には高さ137メートルの独立記念塔がそびえています。
 この塔の下に昭和20年8月17日にスカルノ元大統領とハッタ氏が署名した「独立宣言書」が安置されている。

 この日付は「17-8-05」となっていますが、この05年とは「神武紀元2605年」という意味です。日本の「皇紀年」を使って、国家の独立宣言書に何故記述したかですが、インドネシアという国家誕生にいかに日本人が尽くしたかを、インドネシアの人々は知って感謝しているかの証左なのです。


インド

 インドのラダ・クリシュナン大統領は1957年来日した時に次のように述べています。

「インドが今日独立できたのは日本のおかげであり、それは一人インドだけではなく、ベトナムであれ、カンボジアであれ、インドネシアであれ、旧植民地であった諸国は、日本人が払った大きな犠牲によって独立できたのです」

 先帝陛下(昭和天皇)崩御のおり、インドネシア政府は世界のどの国よりも早く、大喪の礼に対してスハルト大統領(当時)の参列を発表しました。

 インド政府は天皇陛下の崩御を悼み、国家として7日から9日までの3日間を喪に服すことを決めた。隣国のハク大統領が死亡した時には1日喪に服すことを決めたが、この3日間は極めて異例でした。

 大東亜戦争を侵略戦争と罵るのは米英と支那・朝鮮だけであるということがこれでお分かり頂けると思います。