金日成将軍様、実はまったく別の人物 抗日の英雄として伝説になっていた金日成将軍に仕立て上げられた | 産経新聞を応援する会

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http://banmakoto.air-nifty.com/blues/   より引用


Kim_iruson最後に、金正日の逸話を書いたついでに金日成の逸話も書いておきましょう。
金正日の逸話は深刻ながらも少々笑えるところもありますが、金日成のそれは、もう驚愕です。
金日成将軍様、実はまったく別の人物だったのです。

当時の朝鮮半島の民族派(独立派)の間には「金日成将軍」伝説というものがありました。
元日本陸軍の将校で、その後、脱走し沿海州やシベリア、満ソ国境で反日独立運動を指導していた白馬に跨った将軍。
この金将軍は民族派朝鮮人の間では伝説的な英雄でした。

伝説の金将軍は実在しました。
金擎天(1888年6月5日 - 1942年1月2日)、本名は金光瑞。
1909年、日本の陸軍士官学校に留学して大日本帝国陸軍騎兵中尉となり、現職時に脱走して独立運動に挺身しました。
大正年間、主にシベリアで活躍し、後にソ連国籍となりましたが、スターリンの大粛清で獄死しています。
金擎天は白馬に乗って独立闘争をしていました。
まさに伝説の「金日成将軍」そのものです。

一方、私たちが知っている金日成。
本名は金成柱(または金聖柱)で1912年4月15日生まれです。
金成柱は1932年~33年ごろ中国共産党に入党し、満州で中国共産党が指導する抗日パルチザン組織・東北人民革命軍に参加しています。
もちろん元日本陸軍の将校でもなければ白馬に跨っていたわけでもありません。
そして、終戦当時は38歳で年齢的にも伝説と違います。
金日成が初めて北朝鮮の民衆の前に姿を現したとき、「若すぎる」という声があがったのも当然でしょう。
つまり、私たちが知っている「金日成」は、ソ連軍に担がれて北朝鮮入りする際に、伝説の英雄「金日成」の名をそのまま借用した偽物なのです。

元韓国空軍大佐で韓国保守派の崔三然は次のように語っています。
「金正日の父親の金日成は戦前、満州人として育ったのです。本名は金聖柱、朝鮮語よりも中国語の方が堪能で、匪賊として荒らしまわっていた。1945年に朝鮮北部を占領したソ連軍によって、すでに抗日の英雄として伝説になっていた金日成将軍に仕立て上げられたのです。つまり偽金日成です。本当の金日成将軍は私たちが少年時代に朝鮮北部でうわさを耳にした人物ですが、当時38歳の若造だった金聖柱のはずはない。本当の金日成は日本の陸軍士官学校を21期で卒業して後に独立運動に転身した金光瑞だといわれています」

金聖柱(金成柱)の母は、中国人の警察隊隊長の妾で、本人は後に中国共産党系の馬賊の一員となり、一星(イルソン)を名乗ったという有力な説もありますから、崔三然の話もあながちウソとは言えないでしょう。

要するに、北朝鮮を支配している金王朝の出自と、その正統性そのものが疑わしい、と言うことです。

~文中敬称略~