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皆さんこんにちは(゚▽゚)/。

ご機嫌如何ですか!?


ご無沙汰しております
m(__)m。お変わりはありませんかぁ…!?


先日、支那共産党海軍の我が国護衛艦に対するミサイルレーダー照射事件。


私的には、個人的沸点を遥かに超えた許しがたい行為です。


しかし、このような支那の挑発的行為は、


反日左翼売国奴、民主党政権時代から数回行われていたとも聞きました。


ならば、彼等の言う、政府の公表が遅すぎるとは…、

隠蔽体質があるとは…。


お馬鹿丸出しブーメランではないでしょうか。


支那竹海江田氏はまたまたお泣きになるのでしょうねぇ。


それはさておき、この様な支那共産党海軍の暴挙は


常軌を逸した行動であり、国際法上云々の問題ではなく、


準戦闘行為と言えます。余りにも我が国を嘗め切った態度には


冷静にしかし断固として対応すべきです。


私たち大和の保守は、安倍総理支持の世論を巻き起こして参りましょう。


さて、またまた長くなりますが、

よろしければ最後までお読み頂ければ幸です。


私たちは義務教育という公教育において、


反日左翼日教組による
戦前=暗い時代という刷り込みを


知らず知らずの内になされて来たのではないでしょうか。


戦前の我が国は「暗くて悪い国」という認識を


多くの国民が共有しているのではないかと危惧いたします。


戦後、我が国が普通の国として立ち行く事を


尽く邪魔し続けて来たのが、


このような刷り込みと、表裏一体であった共産主義思想であったように思われて成りません。


明治の御代、ロシアは満州を実質支配し、


黄河より北側は殆どロシア領と成りかねない情勢であったと考えます。


朝鮮半島もロシア領となる事が目前であり、


貪欲なロシアの領土欲は、我が国の壱岐・対馬は言うに及ばず、


挙げ句の果ては福岡、唐津、長崎までも触手を伸ばす可能性があったでしょう。 

我が国が日露戦争に勝利し、


その十年後に始まった第一次世界大戦において、


ヨーロッパの戦いを目の当たりにした我が国は、


国家総力戦の実態を思い知り愕然としたことと思います。


更に、石油の出現は、戦いそのものの様相をがらりと変化させました。


艦隊の燃料は石炭から重油へ、陸軍の花形は騎兵から戦車へ、


そして飛行機という新兵器の燃料も石油でした。


我が国には石炭はあれど、石油資源は皆無です。


さて、これから後の我が国は、


国家を挙げた総力戦と、石油という難題と向き合う事となるのです。


当時、我が国陸軍には二つの流れがあり、


一つは皇道派、もう一つは統制派と言われております。


皇道派とは陸軍大学出でないノンキャリ青年将校であり、


彼等の我が国変革の手本はソビエトでありました。


1929年(昭和4年)世界大恐慌が起こりますが、

ソビエト経済だけが、計画経済の名のもと、

世界大恐慌の影響を受けず、

成長を続けていると言われておりました。


皇道派の青年将校達はソビエトに新しい国家体制の手本を求めました。


元老も華族も資本家も地主も全て除去し、


陛下と国民が直接結び付く社会を構想しその実現を目指します。


陛下を奉る他は、暴力において体制を変革するという思考形態は


共産主義革命と何ら変わりがありません。


その彼等に思想的影響を与えた北一輝は

右翼の皮を着た左翼思想の持ち主でありました。


そして北一輝思想に導かれた皇道派青年将校達は

2・26事件において自滅の道をたどります。


さて、次にキャリア組の統制派グループですが、


彼等は我が国を総力戦が可能な国家へと変革しようと致します。


皇道派が自滅したことは統制派には有利に働きました。


軍部を怒らせると何を仕出かすか分からないという


世間の空気も相手を黙らせるだけの効力がありました。


尤も、統制派の青年将校は

暴力を用いた変革まで考えてはいなかったと言えるでしょう。


この時点で、統制派と憂いを同じくしていたのが革新官僚と呼ばれた人達なのです。


統制派は革新官僚と協力し、国家改造計画を立案致しました。


支那事変から大東亜戦争を遂行した我が国の体力は、

統制派と革新官僚が一致協力し地ならしがされたと言うべきでしょう。


現に、昭和十年代において数万機の多種多様で

世界最優秀の戦闘機の生産と


世界最強の大海軍を作り上げ、


支那事変を戦い抜き、しかもインフレを起こさない等とは不可能です。


しかしながら、これは左翼勢力の計画であり、

何の事はない、革新官僚とはもともと左翼的であったのです。


この者達は、当局に摘発され転向した様な軟弱者で、

彼等の頭の中身は大半が左翼的思考形態のままでありました。


たた、彼等は陛下を戴き、
当時の我が国民には、彼等の真の姿を知るよしもありません。


さて、当時、海軍も二派に分かれておりました。


海軍は石油が無ければ艦艇は動きません。

即ち戦闘行為が出来ないと言うことなのです。

このことが海軍を「条約派」と「艦隊派」に分けてしまいます。


条約派は石油の確保を最優先に考え、米英とも妥協したのが

ロンドン及びワシントン海軍軍縮条約なのです。

山本五十六、加藤友三郎などが条約派の代表的人物です。


一方艦隊派は大砲の大きさや艦船の数だけが重要だったのです。


今まで書きましたように、我が国の陸海軍はこのように分裂し、


互いに紆余曲折しながら、我が国を制したのは統制派でありました。

統制派の幹部達は忠君愛国を唱えながら、

左翼思想で総力体制を作ったのです。


従って、戦後内閣に入閣した元軍人達の中にも、

実は左翼的思想の持ち主であったと言われる方々が数多くおられました。


結局のところ、我が国の戦時体制では、

右翼の衣を着た左翼体制であったと言っても過言ではないのです。


そして、戦後はGHQによる理想主義という共産主義擁護により今日に至っております。


60年・70年代安保闘争を戦った左翼達は、


今や高齢者となり、在るものは保守にくら替えし、

在るものは左翼を隠し、

リベラル、市民運動、人権派、働組合、日教組などと名乗り活動しております。

我が国を真正保守の国家として再建するには、


我が国に根付いた左翼思想を知り、これを正して行かなければならないと考えます。


我が国の美しき流れを頂点に戴き、

我が国の伝統と文化を守り子々孫々に伝え残し、

我が国の歪んだ教育を正し、


我が国から賎しき共産主義者、社会主義者、社会民主主義者、

そしてリベラルという皮を着た反日左翼、

それらと結託した部落、在任総連、民団を一掃しなければ成りません。


我が国の未来を託すべく子供達には在るべき我が国の姿を托さねばなりません。

現代を生きる私たち大和の大人としての責務を果たさなければなりません。


同志の皆さん、所属する団体は様々であるとは思いますが、


断固として我が国の浄化を致しましょう。


その一歩が安倍政権の長期政権なのです。

どうぞ、7月の参院選には安倍政権に圧勝して頂きましょう。


真正保守の国家を目指し、私達が日常の中でできる事から応援しましょう。

世の中の空気は変わりつつあります。


そして、世の中の世論は保守がリード致しましょう。

それでは、


今日も長々と書いてしまいました。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。


護国の鬼、「兜うさぎ」のうさちゃん(^_-)-☆でしたドキドキ