テーマ:在日問題
歴史様の記事
女性は京都市南区に住んでいた高五生(コオセン)さん。
離日を2日後に控えた今月8日、利用していたデイサービス施設で、
親しい友人やスタッフら数人と別れを惜しんだ。利用者には在日コリアンが多く、「帰りたくても帰れん人もいるから」と、にぎやかな催しは高さんが拒んだ。
高さんと友人たちは「いつまでも元気でね」と声をかけ、抱きしめ合った。
高さんは当日の10日朝、親類に付き添われて関西国際空港に向かった。
韓国・済州島出身だが、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)で暮らす息子家族を頼って中国経由で北朝鮮に入国する。身の回りの物だけを詰めた小さな手荷物に
家族や友人らの写真数枚を入れた。「みんなにこの年までようしてもらって。
私の周りの日本人はみんなええ人ばかり。別れるのはつらい……。
済州島で5人姉妹の長女として生まれ、
13歳の頃に大阪で暮らす父を頼って来日した高さんは、
「差別なんて受けたことはない」と言い切る。
15歳年上の朝鮮人と18歳で結婚した後、
職を転々としながらたどり着いた京都・西陣では、日本人夫婦宅を間借りした。
来日前に学んだカタカナで筆談した夫婦について、
「奥さんに頼んで浴衣を着せてもろうて……」と懐かしそうに話す。
http://mainichi.jp/select/opinion/newsup/news/20110831ddn013040032000c.html
戦前から日本で暮らす方に加え、戦後、韓国政府による済州島民大虐殺、
「済州島四・三事件」により、日本に亡命してきた在日の方々もいます。
済州島四・三事件は、1948年4月3日、
韓国政府により、島民の5人に2人にあたる6万人が虐殺され、
済州島の村々の70%が焼き尽くされた事件です。
その多くは大阪に亡命し、大阪の方々の暖かい支援を受けました。
利権の為に歴史歪曲する在日の方がいる事は残念ですが、
マルハン会長自身が密入国をカミングアウトしているように、
史実を語る在日の方は、日本がいかに素晴らしい国か伝えています。
ですから、戦後、帰国事業で帰国出来たのに、日本に残ったのです。
日韓、日朝関係の改善、日本人と在日の関係を良くする為には、
朝鮮、韓国は利益の為の歴史捏造をやめ、日本の朝鮮統治の善政、
植民地支配ではなく内地延長としての朝鮮人厚遇など、
「本当の歴史」を語る社会になる事が必要です。