6月24日(土)に開かれた「第1回米子の十八町を巡る」からおよそ三ヶ月後に開かれた「第2回米子の十八町を巡る」にも参加して、米子の下町を歩いてみたら驚いた。

 

 

あな、町屋が解体されている。

 

広大な敷地にどのような町屋があったのか記憶には全くなし。

 

 

御隣は国有形文化財坂口家住宅、御向いは昭和天皇のご宿泊所となった坂口財閥邸。

 

 

米子の豪邸犇めくエリアにもかかわらず、当屋敷の写真記録はなく、僅かに片鱗が確認できるのみ。

 

平安末期、地震や竜巻の天変地異や火災や飢饉の災厄などが連ねられた、鴨長明の随筆『方丈記』の一節“昔ありし家はまれなり。(中略)あるいは大家滅びて小家となる”やその100年後、吉田兼好が記した随筆『徒然草』の第三十段の一節“古き墳は犂かれて田となりぬ ”にあるように、ひともまちもいつまでも同じ姿を留めていると思うなよ。てな、こったす。

 

米子の場合、「古き家は犂かれてパァキングとなりぬ」

 

反面、1801(享和元)年創業の米子を代表する老舗の茶舗は、本社事務所を米子港近くの食品団地から米子下町の岩倉町本店の向かいに移転。

 

 

その前には懐かしい赤い郵便ポスト。

 

また京橋近くでは、解体寸前だった旧茅野邸を篤志家が買い取ってリノベーション中。

 

 

その前にはガスタンクをリノベーションした郵便ポスト。

 

 

京橋の袂に立地する国指定重要文化財後藤家住宅に先月28日夜、自動車が突っ込んで主屋の柱と壁を損壊。

 

 

4年前にも同様の事故がありましたが、今回の方が被害は甚大。市教育委員会では今後、文化庁などと協議して修復方法を検討するとしています。

 

 

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