NHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」(2010年3月29日―9月25日)で、村井茂(ペンネーム・水木しげる)の母・村井絹代(イカル)が放つ決め台詞「苗字帯刀御免の家柄」。

 

 

米子市の中心市街地、法勝寺通り商店街で一際目を惹く歴史を感じさせる重厚な店構えの平野屋呉服店(旧三島家)は、境港市出身の漫画家水木しげるさんの御母堂琴江さん生家です。

 

 

平野屋の本家にあたる海産物商三島屋が1831(天保二)年主屋を建築。当時の三島屋はで、その中の一棟を明治中頃、現在の平野屋が譲受し、現在まで受け継がれています。

 

平野屋呉服店の創業は1598(慶長三)年頃だと伝えられており、県内屈指の歴史があります。ちなみに同年8月8日は太閤秀吉の命日です。

 

 

内部は米子の町屋の典型で、厨子二階の奥、店の間の高い吹き抜け空間。手斧(ちょうな)で丹念に削った梁、どっしりとした柱、分厚い板など風格があり、太くて大きな丸太で組まれている小屋組が当時のままの状態で見られます。

 

 

梁・束・貫で構成、多くの材を用いて趣向を凝らしたジャングルジムのような構造を「準棟纂冪(じゅんとうさんぺき)」と呼びます。

 

「確實正札平野屋呉服店」の看板は、丸紅伊藤本店(現丸紅・伊藤忠商事)との取引を示すもので、伊藤本店から明治の初頃に寄贈されたものだと考えられます。

 

 

「正札」は現代では「定価」を意味し、初代飯田新七が1831(天保二)年1月10日、京都烏丸松原で創業した古着商「高島屋」(現在の大手百貨店「高島屋」)が初めて採用した販売制度だとされています。

 

 

二階へ上がる箱階段。

 

 

二階の様子を写真で確認すると、床の間、違い棚、付書院を備えた十畳の書院があり、廊下境の欄間には三十六歌仙の歌人と和歌の透かし彫りが見え、当時の米子商人の文化水準の高さがうかがえます。

 

襖には中国風の画が描かれ、床の間には1843(天保一四)年に描かれた「米子城主錦海舟遊びの図」か掛けられています。

 

 

錦海(中海)に浮かぶ舟の奥、湊山山上に米子城の大天守と小天守が見えます。

 

 

座敷奥には竹の床柱が設えられた茶室「玉寿庵」があります。

 

オルガン?

 

 

座ったお多福さんの後頭部の穴。

 

 

 

冬の寒い日など、かじかむ手の暖を取る火鉢(手炙り)。

 

お多福が五つ描かれた日本画に意味アリ。

 

 

お多福が五つで五福、つまり呉服。

 

裏に回れば狭い路地に面して蔵が建ち並び中には1822(文政五)年建築の蔵が現存し、昔の雰囲気を醸し出しています。

 

 

◆参考文献

『とっとり建築探訪 県民の建物百選』 社団法人鳥取県建築士会 発行

資料「米子下町シリーズ2 米子十八町を巡る ~江戸後期(天保~嘉永)の米子~」