伊耶那美命が火之迦具土神をお産みになった時、女陰(ほと)に大やけどを負い死んでしまわれ、黄泉の国へと去って行かれました。 諦めきれない夫神の伊耶那岐命は、妻神を迎えに黄泉の国へと下って行かれました。黄泉の住人となった姿を見られた伊耶那美命は激怒し、伊耶那岐命に黄泉醜女(よもつしこめ)や八種の雷(やくさのいかづち)、千五百の黄泉軍(ちいほのよもついくさ)を放ちました。

 

伊耶那岐命が命からがら逃げ帰ったという伝説のある黄泉比良坂から西南西に5km半ほどの距離に位置する山は、伊耶那岐命が剣を振るって千五百の黄泉軍を威嚇した故事に因み剣山と呼ばれています。

 

その西約500mに位置する神納山(かんのやま)は、伊耶那美命が自らの魂を納めたと伝わります。それは山深い場所にあるのかと思えば、風土記の丘入口より国道432号を八雲方面に約1km程進んだ国道沿いにあります。

 

 

岩坂陵墓参考地

 

 古事記にある比婆山はこの地で、伊耶那美命の御神陵と伝えられている。

 古くから子授け安産の守護神として広く崇敬されたところである。

 明治三十三年、宮内省が全国十数ヶ所の伊耶那美命御神陵伝説地中、保存すべきものと認定し、陵墓伝説地に指定したものである。

 現在陵墓参考地として宮内庁が管理している。

松江市教育委員会

 

以上、案内看板より転載

 

アクセス容易な伝説地ですが、宮内庁が厳重に管理しており、学術調査などでの立ち入りも禁止されています。

 

 

岩坂陵墓参考地(神納山)

 

 江戸時代の文献『出雲風土記抄』には、「神納山」の由来について、イザナギノ神を追いかけた妻神イザナミノ神が自らの魂を納めた地としている。明治33(1900)年、当時の宮内省は地元有志の上申を受け、この山を「陵墓参考地」に指定した。

 現在も宮内庁の管理下で、立ち入り禁止となっている。区域内には直径20メートルの円墳があるという。

 

以上、「神々の国しまねガイドブック ~神話編~」より転載

 


◆概要

名称:岩坂陵墓参考地

所在地:松江市八雲町日吉279‐2 八雲石油日吉給油所の斜交い

アクセス:松江道路松江東ICより国道432号経由約7分

JR松江駅から路線バス利用一畑バス八雲行き西日吉団地前下車すぐ

駐車場:無

 

◆参考資料

『神々と歩く出雲神話』 藤岡大拙 著 NPO法人出雲学研究所 編

『太陽の地図帖_011 出雲 古事記のふるさとを旅する』 瀧音能之 監修 平凡社 発行

『松江観光事典』改訂版 社団法人松江観光協会 発行

「神々の国しまねガイドブック ~神話編~」 藤岡大拙 監修 神々の国しまね実行委員会 発行

「八雲立つ風土記の丘 史跡めぐりマップ」

「鳥取県・島根県 古事記・日本書紀・出雲國風土記 神話ゆかりの地 周遊ドライブマップ」 中海・宍道湖・大山圏域市長会 中海・宍道湖環境協会会議 発行