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前回はこちら→ 『法律家と学生の対話(9)』
学生「この先生は、戦後ずっと憲法典として運用してきたものを、実は講和条約だったというのはファンタジーの世界であり、そんなことは認められない、と批判されていました。」
法律家「まず、そもそも「憲法典として運用」すればそれが憲法典になるわけではないよね。前述したように、正統性の要件を欠いている法典は憲法典ではない。憲法典として運用云々は、憲法典であるかどうかとは何の関わりもない議論だ。
今日は、占領憲法が、なぜ講和条約として解釈できるというのか、それについて説明しよう。
判例(最判・昭和53年2月24日)に、以下のようなものがある。
非嫡出子について、その父から、その子を嫡出子または非嫡出子としての出生届が出され、これが受理された場合には、その届けは、出生届としては無効である。
なぜなら、非嫡出子を嫡出子とする出生届は事実に反するものであり、また、非嫡出子を非嫡出子としてする出生届は、原則として母から出さねばならないからである(戸籍法第52条2項)。
しかし、認知届は、父が、嫡出子でない子につき自己の子であることを承認するものである。そして、上述の出生届も、父が、出生した子が自己の子であることを承認する意思があると解される。従って、これに認知届の効力を認めて差支えないと解される、というものである。
つまり、出生届としては無効であっても、法律の解釈として、これを認知届として有効と認める、というものである。これは、法律学上、無効行為の転換と呼ばれている。このように、形式的にはその要件を満たしていなくても、実質的に解釈すれば他の行為として有効とできる場合は、これを有効と認めよう、というものである。
さて、同じことは、このような行為のみならず、法規範に対しても当てはまる。
そこで、占領憲法は、その実質においては憲法典としての要件を満たしていないので、これを他の法形式として解釈できないか、が問題となるのだ。
なぜこのようなことを考えねばならないかというと、占領憲法が、単に無効である、と解釈するならば、その下に制定された法令なども、皆無効となる恐れがあり、法的安定性を害することとなるからである。
また、次回述べる、占領憲法の上諭など、先帝陛下のお言葉との関わり、すなわち承詔必謹の問題に対しても、憲法典としては無効だが、その下位の法規範として有効として残すことで、これに応えることができるのである。
さて、占領憲法について、その制定過程や内容面を実質的に判断すれば、これを講和条約と解釈できるのだ。
例えば、占領憲法の前文は、この占領憲法が事実上、我が國の政府がいわゆる連合国に向けて、いわば「戦争責任」を謝罪するが如きものになっていることを示しているよね。
また、占領憲法の草案は、GHQが作成し、これを我が國の政府に交付して、その後も何度も折衝が繰り返されたという経緯がある。
このような点を考えれば、占領憲法は、それが手続上、大日本帝國憲法の改正手続を踏んでいないから無効であり、また、実質的にも憲法典たる要件を満たしていないから無効であるとしても、なお、その実質は、大日本帝國憲法の下位規範たる講和条約としての性質を有する、と解釈できるのである。
これが、いわゆる講和条約説というものだ。
さて、このような考え方を定めたのが、大日本帝國憲法第76条1項である。
大日本帝國憲法第76条1項は、法律や命令など、どんな名称を用いたものであっても、それが大日本帝國憲法に反しない限度で有効であると認める、という旨を定めたものだ。
まさに、この無効規範の転換の法理を定め、大日本帝國憲法に反しない限度での法令などの有効性を認め、法的安定性を図るという、これまた75条と同様、一般的な法理について定めたものなのである。
つまり、憲法典としては無効であっても、これを大日本帝國憲法下の講和条約として有効と認める、と解釈できるのである。」
学生「なるほど。形式上は憲法典でも、実質的には講和条約の一つと解釈できる、ということですね。参議院など、大日本帝國憲法に明らかに反する機関の存在は、講和条約によって設置されたものだ、ということですね。」
法律家「そのとおり。参議院は、我が國の國體を護持するため、やむなくポツダム宣言を受諾して講和条約を締結するため、方便として緊急避難的に認めざるを得なかったものであるのだ。だから、これが大日本帝國憲法に反するものであることはいうまでもない。講和条約を締結する上で、やむを得ず大日本帝國憲法違反のものを認めている、というわけである。
従って、このような大日本帝國憲法に反する機関については、復原改正の過程において対応をしていくこととなる。
・・・まだまだ続きます。