こんばんは。今日は、我が国での保守思想や法の支配、立憲主義の話をします。


 法とはその国民が祖先から継承してきた道徳や慣習、伝統などをいい、人の手による法律(や命令など)の上位にある。


(1)我が国での保守思想・立憲主義(法の支配)


 「保守思想」( Conservatism )や「立憲主義」( Constitutionalism )や「法の支配」( Rule of Law )という言葉自体は『保守思想入門(2)』でお話したように、イングランドで生まれ、明治維新ごろ以降に日本語に訳されたものです。江戸時代以前は我が国にはこれらの言葉はありませんでした。

 しかし、それを表す言葉がなかったからといって、その概念そのものもなかった、ということではありません。たとえば、「万世一系」という言葉そのものは明治時代に生まれたものであっても、万世一系という歴史的事実は建国の古来より存在しています。このように、それを表す言葉はなくても、その事実や考え方が存在している、ということはあります。

 我が国では、立憲主義や法の支配という言葉こそ存在しませんでしたが、それとほとんど同じ考え方に基づいて、古来より国政が行われてきました。

 立憲主義(法の支配)とは、法と法律を区別し、特定の者の意志による法律や命令を、先祖からの不文の規範たる道徳や慣習などの法に基づいて制定させるものです。

 そして、我が国でもこれと同じように、その時代ごとの為政者の独断に基づいてではなく、古来の政道に基づいて政治がなされ、立法もなされてきたのです。この「古来の政道」こそが保守思想でいう「法」なのです。
 
 天皇は専制的な権力を行使されることはなく、古来の政道に則り政治の実務は臣下が執ってきました。「天皇は統治すれども親裁せず」の不文の法は今に至るまで変わることなく守られ続けています。正しく天皇こそは、世界最古の「立憲君主」であるのです。

 たとえば、我が国最初の成文法である『十七条憲法』は聖徳太子が全てをその独創で制定されたわけではなく、それまでの政道を確認し、それを更に徹底していく意図で制定されました。

 また、『御成敗式目(貞永式目)』は「道理」を元に編纂され、これを条文化したものです。泰時書状には、御成敗式目の制定趣旨を「ただ道理のおすところを記され候ものなり」とする記述があります。道理とは武士社会の中で形成されていった慣習や道徳などのことであり、これらを成文化したものが御成敗式目である、と編纂者である北条泰時が自ら述べているのです。この「道理」こそ、正しく「法」に他なりません。
 
 更に、江戸時代の『公事方御定書』もそれまでの判例などを成文化したものであることも、ご存知の方は多いと思います。

 このように、我が国の立法は慣習や道徳、判例などの不文の規範に則り、それを成文化するものであるのが常道であるのです。

 では、法典の内容が国柄に合わない、となるとどうなるのでしょうか。

 『大宝律令』『養老律令』は唐の法典から学んで編纂されたものでしたが、次第に我が国の実情に合わず、使い勝手の悪いものも出てきます。そうなってくると、条文に規定されていても適用しない、実施しない、無視するという条文の死文化が起こってきます。または、律令に予定されていない官職を「令外の官」として認めることさえも行われるようになります。

 こうして、法典たる律令がありながらも、我が国の政治はそれにいたずらにこだわることなく、国柄に合うように柔軟な解釈運用をしていったのです。

 我が国においては、このように「古来の政道」や「道理」などに基づく政治や立法を、「保守思想」などというように一つの名称を与えて意識するということはありませんでした。それが「当たり前のこと」だったからで、今さら意識してそれらを名づける必要も理由もなかったからです。
 
 皆がそれを守り、特に何の疑いを差し挟むこともなく当然の理として守っている限り、それを殊更に意識することもありません。ゆえに、わざわざそれに名称を与え、理論化したりする必要もないわけです。

 フランス革命に直面したイングランドのように、「書かれていない(=言葉が存在しない)以上はそれは存在しないのだ」という手合いが登場し、革命によって国体破壊を企て、デマを流すのを防止するためにおいて初めて、保守思想として理論化していく必要が出てきたわけです。

 その意味では、江戸時代以前までその必要も理由もなかった我が国は、そのようなことを考える者さえいなかったという意味で非常に幸運であり、またその半面として明治維新以降の左翼思想の流入に対して適切な対応ができず、現代に至るまで苦しんでいる、というわけです。

 


(2)明治維新以降の国柄と法制度の乖離
 

 さて、明治維新以降、我が国の法制度は大きく様変わりします。

 それまで、慣習や判例などの不文の規範を元に立法するのが通例であった我が国の法制度ですが、そのような慣習などとは切り離された、あらたに制定された民法典や刑法典などの法典を元に、行政や裁判が行われていくようになります。すなわち、江戸時代以前の慣習法中心主義から明治時代以降の成文法中心主義へという転換が生じたのです。

 このような変化が生じたのは、明治維新に伴って急速な「上からの近代化」を進める上でそれに合わない「慣習」を否定し、国際的にもある程度の他国との共通性をもった法典を整備することが必要であったからです。

 ただ、法制度上(いわば表面上)このように変えたところで、それまで培われてきた道徳や慣習や伝統などは厳然と存在しているわけですから、ここに国柄(慣習や道徳などの「法」)と法制度上の法典(成文法)との間に乖離が生じてしまうことになるのです。

 これはちょうど、律令制定時と似た状況といえます。民法典や刑法典などは主に、ドイツから学んで継受したものです。

 そうであれば、現代の我々がこれらの法典に対して採るべき態度も、先人に学んで、律令がそうであったように、我が国の国柄に合うものは受容し、しからざるものは無視して死文化させ、あるいは解釈により事実上改正し、あるいは「令外の官」を設ける・・・などのように、「成文法を有しつつも、それが不文法に反する限りはそれを無効化する」解釈をすることこそが、「日本人らしい」やり方なのです。

 このようなやり方を理解しなければ、「書いてある限りはこのようにすべきだ」「書いてないものは存在しないのだ」というような、「成文法中心主義」の解釈になってしまいます。しかし、律令がそうであったように、たとえ法制度が成文法中心主義であっても、解釈や運用はあくまでも「慣習法(不文法)中心主義」でいくのが我が国のやり方です。

 成文法中心主義の恐ろしさは、「書いていないものは存在しない、無視していいのだ」という伝統や道徳や慣習破壊のルソー的人定法主義に陥るところなのです。理性万能の左翼思想ですね。



< 今日のポイント >


1.我が国には保守思想や法の支配などの言葉は存在しなかったが、それとほとんど同じような古来の政道、「道理」などに基づいて政治を行う伝統が存在する。

2.成文法典であっても、我が国の国柄に合うように解釈運用を行うのが「日本らしい」やり方である。

3.成文法典の文言にこだわり過ぎて、伝統や慣習を無視した解釈をするのは人定法主義、理性万能思想に堕することとなってしまうので、許されない。







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