今日は、大日本帝国憲法の大切な精神の一つ、「天皇といえども国体の下にある」についてお話します。
我が日本は、
天皇が祭祀を司り、天皇が統治する国です。これこそが我が国の国体です。

祭祀とは、自然や祖先に感謝し、これを神として崇めることです。我が国の神話を見れば、よくわかるように、我が国においては自然や祖先が神なのです。

そして、我が国全体の祭祀を司るのが天皇です。祭祀によって人々の和は保たれ、国家は安泰となるのです。

従って、統治もこの祭祀に基づいてなされなければなりません。祭祀に基づかない統治はその正統性を欠くものなります。祭祀と統治は車の両輪の如く、いずれが欠けても国家は立ち行かなくなります。

このように
天皇が祭祀に基づいて統治し、またしなければならないこと、これをもって「天皇といえども国体の下にある」と言います。

こうして、
いかなる法律も、命令も、我が国の国体を破壊するようなものは憲法違反となり、無効となるわけです。

そして、忘れてはならないのは、国体の下にあるのは、当然のことながら臣民(国民)たる我々も同じです。


実は、この問題と関わることとして、主権というものが存在します。

気をつけて頂きたいのは、主権という言葉には三通りの概念が存在といわれており、これらはそれぞれ全く違うものです。

主権という言葉は、1、国家の統治権 2、国家の独立性 3、国政についての最高の決定権を有する者または集団 を指すものとされています。

1と2の意味の主権は、国家である以上当然認められるものです。しかし、3の意味の主権は、大日本帝国憲法下においては認められるものではありません

なぜなら、先ほどからお話ししているように、我が国においては国体こそが国のあり方を決定する最高の規範であって、特定の誰かに国のあり方を決定する最高の権限を与えているわけではありません。たとえ天皇といえども、そのような権限はありません。「天皇といえども国体の下にある」とはそういう意味なのです。

従って、大日本帝国憲法下においては天皇に主権があった、天皇主権の憲法であった、というのは誤りです。

主権についての話は、また後日詳述したいと思います。




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