東京回想、東京都内の消えた学校。
新制の都立高校の次の学校である。
機械的に区の順番で進めていく。
ここからは江東区の消えた高校である。
最初は都立江東工業高等学校である。
統合された定時制高校の場合、統合された新しい学校のある区のところに書いていく。

【学校名】
都立江東工業高等学校。

【統合時の所在地】
江東区大島1-2-31(現・都立科学技術高等学校)。

【消滅年】
2001年。

【消滅事由】
化学工業高校と統合。

【統合後の後継校】
東京都立科学技術高等学校。

【前身学校等】
1941年 東京市立城東工業学校として開校。
1943年 東京都制施行に伴い、東京都立城東工業学校と改称。
1947年 大島に校舎独立校舎を取得。
1948年 学制改革により、東京都立江東新制工業高等学校と改称。
1950年 東京都立江東工業高等学校に改称(類推)。
2010年3月 閉校。

【跡地利用】
都立科学技術高等学校。

【コメント】
東京回想・消えた学校。
ここからは江東区である。
最初は、都立江東工業高等学校である。

Wikiにあった「東京都高等学校の廃校一覧」を参照して進める。

この学校も、Wikiの後継校の科学技術高等学校の項や後継校の正式サイトには、ほぼ書かれていない。
その代わり、Wikiの江東工業高校の項その他を参照させていただいた。

また、他の都立高校の共通の歴史を参考にする。
そして、ある程度の類推が入ることを許されたい。

設立が1941年。
昭和16年である。
真珠湾攻撃の頃である。
東京市城東区亀岡国民学校を仮校舎として設立されたのだそうだ。
戦時中は、戦災に遭い、城東区第五大島国民学校や葛㣭区下小松町小松国民学校に仮住まい。
戦後の1947年に、大島に独立校舎を建てたとのこと。

実は、その後の歴史は、記載がないので他の都立高校の歴史から類推である。

1943年に、都政施行により「東京都立城東工業学校」に改称(類推)。
1948年に新制高校として「都立江東新制工業高等学校」に改称(これも類推)。
1950年に「東京都立江東工業高等学校」に改称(これも類推)。
このあたりは、都立高校の基本的なパターンを取ったと想定される。

この学校も、2000年代の都立高校「改革」により、閉校となる。
2010年に、同じ区内の都立化学工業高等学校と統合し、都立科学技術高等学校になったのだそうだ。
「将来の科学者・技術者を育成することを目的として創立され、全国に先駆けて科学技術科が設置された」のだそうだ。
ちなみに、学校のサイトには、前身校として、これらの学校名は書かれていない。

そして、江東工業高校は、2001年に閉校となっている。

場所は、都営新宿線で西大島駅から約400m、住吉からは約600m。
亀戸駅からは、1.2Km。
横十間川のほとり、釜屋堀通りの北側。
川を挟んだ西側には、江東公会堂や猿江恩賜公園のある一帯である。
新宿線ができるまでは、ちょっと不便な場所だったのである。