京都の北東、比叡山でオーダーメイドで位牌をつくっているサンダです。

 

という書き出しで始めたアメブロでしたが、最近もう一つブログが増えました!

それがこちら下矢印

<龍頭聖者の物語>

 

 

初めましてワシは龍頭聖者じゃ!

天空から比叡山に住む位牌作家サンダを見つけて

龍体文字ペンダントを作らせておる。

これからもよろしく頼むぞ龍

 

 

と、まぁ、こんな具合に龍神さまが喋っておられるブログです。

このブログを書き始めたのは昨年末で、それは10月にひょんなきっかけから

龍体文字を位牌でもよく使う黒檀に彫り込んだペンダントを作るようになったからでした。

 

 

この龍体文字というのは漢字が伝わるずっと以前から日本に存在した文字だと言われていて、昨今メディアにも取り上げられるようになり大ブーム到来の予感がしています。

 

 

そしてこの文字にはスピリチャル的な強いパワーがあるとのことで、確かに作り始めて3ヶ月も経ってないですがあれよあれよいう間に売れ始め今では癒し系のイベントに出店したり、さらにネットで販売をするようになるとより注目されるようになって、その勢いはまさに龍神さまが天に昇っていくのを見ているようですアップ

 

正直なことを明かすとこのペンダントは位牌の仕事の合間にアルバイト程度の感覚で始めたものでありましたが、今ではすでに位牌の仕事と車の両輪のような存在となって共に相乗効果を得ながらさらに加速していく状態です。

 

さて龍体文字ペンダントどこまで昇っていきますやら、この新たなブログもどうぞよろしくお願いしますドキドキ

 

アメブロ <龍頭聖者の物語>

 

龍頭聖者が登場する短編小説「龍頭聖者物語」もどうぞ読んでみてください。

 

 

 

京都の北東、比叡山の中腹でオーダーメイドの位牌をつくっているサンダです。

 

年明けから忙しく龍体文字の仕事をしてきて今日はひと段落ついたので、家内と一緒に奈良国立博物館の文化財保存修理所が年に一回だけ行う一般公開に参加してきました。

 


ここは朽ち果てる寸前の仏画や仏像を究極の手作業で修復していく気の遠くなるような仕事場…
時折テレビなどで見ることはあっても実作業の現場に触れるのは初めてです。

修復しているものは国宝や重文クラスのものばかりで失敗が許されな仕事とあってキリキリに張り詰めた空気感の現場かと思いきや、もちろん静かではありますが以外に淡々とした時間が流れていてこの人たちは

〝今一瞬の作業を永遠につずけていられる〟

方達なのだろうと思いました。

 

職人というよりも技巧師といった趣できっちりと正座し百年単位の時間と向き合っている姿は達観した僧侶のようでもあり、その世離れした世界には憧れを感じます。
現世のことも他人のことも自分の姿さえ一切気に留めることなく、生涯ここに座りつずけてただただ手を動かしている人生もまた良きことなのです。

 

見学を終えて昼食のレストランから東大寺大仏殿の大屋根を望めていると、仏教が初めてこの国に伝えられた頃のときめきがはるかな時空を越えて伝わってくるような気がしました。

 

 

今年はそんなシルクロードの香りのするキラキラした〝ブッキョウ〟を当時の人々のようにワクワクした想いで今一度みなおしてみたいな思います。

 

 

今日一日ピュアな世界に触れて、売る仕事ばかりに偏りすぎていた日々の良き調整が出来たように思います。

 

位牌作家 サンダ カズユキ

 

京都の北東、比叡山の中腹でオーダーメイドの位牌をつくる三田です。

 

弥勒菩薩半跏思惟像 2016年

作:三田一之 撮影:杉浦正和

 

今日は弥勒菩薩制作秘話のVol.2です。  こちらからVol.1

Vol.1でも書いたようにまず粘土でつくること、そして制作時間を無制限としていただけたことでで少し気が楽になった私はとりあえず資料集めにかかりました。

 

本屋さんでは写真集、ネットでは手当たりしだいに画像を集め弥勒菩薩の実像を探りました。

そこでわかったことは私が学んだ西洋彫刻では像全体のバランスが重要視されますが、信仰の対象であるほ仏像はお顔をが命!

お顔の表情が決まれば製作の80%は済んだと言っても良いように感じました。

しかし集めた写真や画像の弥勒様は様々な表情をされていてどれを再現すれば良いのかが全く分からず見れば見るほど袋小路に入り込んでいくばかり・・・

そこで私はやはり本物を見るしかないと京都太秦にある広隆寺に出向きました。

 

 

以外なほどに観光客がほとんどいない静かな境内を入って、さて弥勒様はどこに?と探すとお寺の最も奥に建てられた霊宝殿におられました。

霊宝殿はコンクリートでできた近代の建物で、ちょっと味気ない気がしましたがとりあえず中へ、するとそこはガラ〜ンと広い大きなひと部屋でその壁に沿うようにして何十体と仏様が置かれていて弥勒様はそのど真ん中の特別な祭壇に安置されていたのです。

初めて対面する弥勒さま〝これかっ・・・〟感無量とはこのことでしょうか。

何とも言葉にならない感覚。千数百年の時を越えて目の前に一体の仏像が存在する現実が不思議なくらいに美しかったです。

私は手を合わせることも忘れてただただ見つめていました。

しかしそんな感傷に浸っている訳にもいかず、何せこれからこれを作らねばならないのです!

 

我に返ってものづくりの作家として弥勒さまの細部を改めて見ようとしたのですが、この霊宝館の照明がほんとに暗くて見ようとすればするほど立体像のはずがまるで墨絵のように思えてくるのです。

実際、懐中電灯でも当てたくなるくらいに見えない・・・。

 

 

しかも祭壇の高い位置にあって近寄ることができない。

それでもかれこれ2時間はいたでしょうか、変な奴と思ったのか気がつくと私の後ろに警備の方がぴったり張り付いておられました(笑)

 

そしてもいくら見つめてもやはりわからず、私はさらに迷路に入り込んで途方にくれた状態で寺を後にしました。

 

 

それから製作は迷路に入り込んだまましばらく中断してしまい、その間に毎月二日に開かれる安楽寺さんの地蔵縁日がやってきました。

私はこの3年ほどお地蔵さまのお守りを出店しているのでこの日も気分転換も兼ねて出かけたのです。

天気も良くいつも通り賑やかな縁日には以前私の作品を撮影してもらったことがある女性の写真家さんが訪れてくれ、本堂の回廊に腰掛けて色々と話す中で「実はね、いま弥勒菩薩を作っているんだけどお顔がよくわからないのよ」というと彼女は「そういえば実家の玄関に、弥勒さまかどうかわからないですけど、仏像の頭ようなものが私の小さい頃から置いてあるんです、もう埃かぶってますけどね」というのです。

 

まあ仏像といってもピンキリでお土産屋に売っているお面のようなものもあるし、ごく一般の家庭の玄関で埃をかぶって置いてあるものだしその程度のものだろうと思ったのですが、製作に行き詰まっていた私はと一縷の望みをかけて

「なんか写真ないの?」と尋ねてみました。

すると彼女は

「ちょっとまってくださいね、確かスマホに玄関先の写真があったような・・・」

と言いながらフォルダの中を探してくれました。

 

そして程なく「あっ〜ありました!けど、頭の上の方しか写ってないですね」と残念そう。

私も半ば諦めながらふと目をやると

 

「はあ!!!!ナニコレ!!!」

 

それはほんとに冠の部分しか写っていなかったのですが、それまで穴があくほどに写真集や画像を見続けていた私にとっては先端の傷み具合も木目の流れや形状もまさに宝冠弥勒とさえ呼ばれる夢にまでみた広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像そのものの宝冠だとわかったのです!

 

絶対間違いない!

 

何でこんなものがあるの?

 

何でできてるの?

 

どこで誰が手に入れたの?

 

見せてもらえるの?

 

 

もう、矢継ぎ早に質問責めにする私にちょっと引き気味な彼女でしたが、

「はあ、じゃちょっと実家に連絡してみます」と

その場で電話をかけてくれ、そしてご両親からお家への訪問の了解を取り付けてくれたのです。

 

とりあえず見せていただくことになりはしたものの、私はまだ信じることができず、仏像としての国宝第一号でもある弥勒菩薩の型をとって再現したとしか思えないほどのレプリカが存在するものなのか?

しかもそれが一般のご家庭の玄関先で埃をかぶっているなんてあっても良いものか??????????

 

ほんとに疑問だらけのままいよいよ弥勒様の頭部にご対面となるのはこの次のVol.3

です。

お楽しみにドキドキ

 

 

 

 

京都の北東、比叡山の中腹でオーダーメイドの位牌を製作している三田一之です。

 

ついに比叡平に冬の使者の到来です❄️

今年は暖かめの日々が続いていたので遅れるかと思っていた初雪もやはり例年通り12月半ばとなりました。

 

 

私がここ比叡平に神戸の東隣の西宮市から越してきたのは1994年の夏の終わり8月末・・・

「良い工房スペースのある家が見つかったので、神戸からは遠くなるけど比叡山の中腹にある比叡平ってところに引越しすわ」と友達に言うと

「修行にでもいくんか?」と冷やかされたものでしたが、その4ヶ月半後の1995年1月17日にあの阪神淡路大震災が起こったのです。

神戸はもちろんその隣の芦屋や西宮にも甚大な被害が出て、発生からの三日間はただ茫然とテレビの報道を観ているだけでした。

 

私は神戸で生まれ明石で育ち結婚してから西宮に住み、勤めていた会社も神戸でしたからずっと〝神戸っ子〟として生きてきていたのです。

神戸は六甲山と瀬戸内の海にいだかれるようにして細長く伸びた街で、自然と都市がバランスよく融合した本当に素敵なところでした。

若い頃の良き想い出はすべてここにあったのです。

 

それがあの日、高速道路は倒れ線路はうねり、街は無残に引き裂かれ瓦礫の山とかしました。

あれから23年。

今でも冬が近づいて寒くなってくるとあの日を思い出します。

 

 

ふと表に出てみると雲も晴れ雪化粧の比叡山が見えていました。

「助けてくださったのですか・・・」

とたずねてみますが、静かに雲が流れていくだけです。

 

ともあれ、ここ比叡平が人生で一番長く住んだ場所となりました。

神戸に比べると確かに寒さは厳しいけれど、標高が400mあるだけで空に近い気がしてそこが比叡平の大きな魅力です。

何事か使命があって助けられたのでしょう。これからもこの街でものづくりの人として暮らしていきます。

 

 

皆さま、これからも創作位牌工房『位牌の森』をどうぞよろしく!