踊る大捜査線における『天国と地獄』の引用 | Blog ばったもんのめっけもん
私が『天国と地獄』を初めて観たのは、『踊る大捜査線』の映画1作目がきっかけで
典型的なミーハーである。
『踊る』が行っていたのは、「オマージュが分からない人を前提としたオマージュ」
という一風変わったものだった。




恩師の奨めで、数年ぶりに『天国と地獄』を鑑賞。
ので、衝動的に『踊る』まで観なおしてしまった。


『踊る』は、『天国と地獄』の、とあるシーンを再現する。
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誘拐事件というシチュエーションで、
遠方から色の付いた煙が上がっているのを目撃し、犯人の居場所がわかる。
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『踊る』の演出意図としては、
”映画好きにはわかるお遊びであり、未見のひとには往年の名作を観るきっかけづくり”
といったものだろう。つまり、私はまんまと後者だ。

そもそも『踊る』には、
黒澤作品をはじめとした往年の映画、過去の刑事ドラマのパロディやオマージュが散見される。
この「ピンクの煙」も、そうしたオマージュのうちのひとつ。
「パロディ」ではなく「オマージュ」という理由は
一発ネタ的な扱いではなく、『踊る』の佳境ストーリーそのものに関与していて、
且つ、それが大元の『天国と地獄』で用いられた文脈と重なるからである。
さらに「モノクロ画面で、煙にだけ着色されている」という演出もまんまである
但し、本編ぜんぶが白黒の元ネタと違い、突如としてその場面だけモノクロになるという
不可思議が「遊び」になってる。
その明からさまさ故、青島の台詞として「天国と地獄だ」とハッキリ言わせている 
(黒澤プロから正式に許可をもらったからという理由もあるだろうけども)。

さらに、ズバッと元ネタを言及するのには別の効果もあるように思う。
「モノクロ画面に色付き煙」だけでは分かる観客が少ないことへの配慮である。
『踊る』映画版を観るのは生粋の映画ファンより、
TVドラマを通じて劇場に足を運ぶ若い層のほうが多くなる。
踊るTV版を髣髴とさせるシーンはそう説明しなくても気づくだろうけども、
色付き煙に関しては、「これは『天国と地獄』なんです」と言ってあげる必要があって、
それでもって「どんな作品なんだろう?」と循環させることができる。
モノクロ画面の一部に着色する演出は『シンドラーのリスト』にも登場するけども、
こちらは劇中で『天国と地獄』と言及しなくても、それと認知されている。
スピルバーグ監督が黒澤作品に影響を受けたという話が、
『シンドラーのリスト』を観る層にはある程度通じているからで、
少数でも気づいていれば、あとは定説として広まっていく。
そう考えると、『踊る』では、観客全員に
「(元ネタを観てなくとも)これは天国と地獄なんだ」
と認識させるほどの気合でもってこの演出を用いている。


(『天国と地獄』)


(『踊る大捜査線』)


ただ、この「ピンクの煙」があがるまでの経緯が、2作では異なる。
『天国と地獄』では、予め誘拐犯に渡すスーツケースに仕込まれたものであり、
「スーツケースを燃やした際に、犯人の居場所が露呈される」作戦だった。
一方の『踊る』では、人質が狼煙でもって自分の居場所を知らせようとした機転によるもの。
それゆえに、仕込まれた伏線はその瞬間まで観客に気づかれず、
いざ煙があがるシーンで「あ!」となる。

その伏線とはなんだったのか。
『踊る』本作を観てればご存知の通り、ピンクの煙になるのは、スモークボール。
警視庁ゴルフコンペのブービー賞が、押しつけ廻って、和久さんに握らされていた。
物語終盤で拉致された和久さんは、焼却炉へスモークボールを転がらせて、
件の煙を上げる顛末に至る。
ちなみに、そのシーンをよく見ると、焼却炉周りのペンキ缶に「黒澤塗料」とあり、
ほんと細目に敬意を払っている(細かすぎ)。


【蛇の足】
『踊る』映画2作めは、犯人の居場所が「カメダ」の訛りで判明。
1作めと同じように、過去の名作『砂の器』の筋立てを引用している。