この世に生を受けてから高校卒業までの18年間を過ごした故郷山梨を離れて既に約27年の歳月が過ぎた。
石川の地に住むようになってから約23年が経ち、生まれ故郷にいた期間より長い年月を過ごしてきたことになる。
もちろん石川は住みやすいし食べ物もおいしい、それに海と山も近くて暮らすには申し分ない環境だと思っているが、やはり感受性の強い少年時代に過ごした故郷の記憶というものは色濃く自分の中に残り続けている。
山梨に住んでいた頃は全く登山には興味なく、富士山をはじめ、鳳凰三山や南アルプスなどの山々は単なる景色の一部分でしかなかった。
今思えば勿体ないことをしたと思うが、10代の若者にとっての山の存在などその程度のものなのだ。
ただ、その中でも甲斐駒ヶ岳と八ヶ岳だけは自分の中でも特別な存在だった。
理由はよく覚えていないが、多分単純に形や色がカッコいいとかそんな感覚だったのではないかと思う。
富士山はなぜかあまり好きにはなれなかったが、甲斐駒や八ヶ岳は何か少しマイナーで、山梨を象徴するランドマークのように感じていたのかもしれない。(もちろん登山界では両者ともめちゃくちゃメジャーな山ではあるが、一般市民にとっては身近な山というイメージがあった)
ちなみに北岳の存在もNo2の高峰ということで名前は知っていたが、里からはあまり眺めることができないので身近かと言われるとそうは思えなかった。
そんな甲斐駒ヶ岳に初めて登ったのが2012年6月、恐らく最もメジャーな登り方だと思われるが仙丈ヶ岳とセットで北沢峠からアプローチした。
その時は旧北沢駒仙小屋(現長衛小屋)にテントを張り仙水峠から駒津峰経由で山頂と摩利支天を目指したが、直前まで台風予報だったためか他の登山者は一切おらず、広大なテン場に張ってあったテントは自分の一張だけ、山頂も貸し切りという超レアな体験をさせてもらった。
初めての甲斐駒ヶ岳は旧北沢駒仙小屋からのアプローチ。テントは自分の一張だけだった。
北沢峠からのアプローチは黒戸尾根と比べて花崗岩の白砂ビーチをたくさん味わえる。
この時は摩利支天にも登った。今のところ摩利支天に登ったのはこの一度きり。
初めての甲斐駒ヶ岳は貸切というご褒美付きだった。
2回目に登ったのは2013年1月2日~3日、正月登山だった。
この時は雪の黒戸尾根からテントを担いで登り、七丈小屋のテン場でテン泊、翌朝ピークを目指した。
天気は最悪で上部は吹雪、初めての黒戸尾根で夏道もよくわからないまま地図とトレースを頼りに登るという未熟なものだった。
それでもテントを担いで黒戸尾根を登り、ピークを踏んだという事実は一定の自信を植え付けてくれたと思う。
2回目の甲斐駒ヶ岳は黒戸尾根からテン泊でチャレンジしたが悪天で修業の登山となった。
3回目は翌2014年のやはり1月。今度こそ好天の甲斐駒ヶ岳を踏んでみたいということで再び雪のピークを目指した。
ルートも行程も前年同様に黒戸尾根からテン泊。
登山者は何人かいたものの終始トップでラッセルすることとなり苦労した記憶がある。
この時はルートもしっかり頭に入っていたため自信をもって先頭ラッセルをやり切って、結果、予定通り快晴のピークを獲ることができた。
登山口となる竹宇駒ヶ岳神社で登山の安全を祈る。
つり橋を渡って尾白川を渡る。つり橋スタートは白山と同じで親しみが持てる(笑)
尾白川は子供の頃の遊び場だった。
黒戸尾根の歴史は古く、信仰の山であることを物語る祠や仏像も多い。
ハシゴ場も冬は雪で埋まっていることがあるので注意が必要。
眼下には日向山も見える。遠くには蓼科山。
七丈小屋は通年営業の心強い小屋だ。(ただし自分はテン場しか利用したことはないが)
天気が良ければそれなりにテン泊の登山者も入ってくる。
七丈小屋から眺める甲府盆地の夜景も絶景だ。
八合目御来迎場。冬はここからしばらく岩を縫いながらのルートファインディングが必要となる。
黒戸尾根のランドマークである刀剣。
黒戸尾根の見せ場は刀剣もそうだが鳳凰と富士山が重なって見える「皆既日食」だ(と思っている)
刀剣もセットで。
八ヶ岳も近い。
ここまで来ればもう少しでピークだ
甲斐駒ヶ岳登頂!やっと快晴のピークを踏むことができた。
こんな感じで、今ほど山スキーをガッツリやっていなかった頃は雪山登山もそれなりに楽しんでいた。
冬の北陸は基本天気が悪いが、山梨は内陸で晴天率が高いというのも理由のひとつだった。
最近はどうしても山スキーメインの生活になっているため、なかなかスキー向けの山以外には足が遠のいているが、たまには故郷の冬山も楽しんでみたいと思う。
そしていつかできれば甲斐駒ヶ岳をスキーで滑ってみたい。
初めて北沢峠から甲斐駒ヶ岳に登った際、帰りのバスの中にカメラを置き忘れてしまうという事件が起きた。
しかし南アルプス林道バスのご担当者は丁寧に手書きの手紙を添えてカメラを郵送してくれた。
随分前の話になるが、こういう温かい心遣いは何年たっても忘れることはない。