MMTはコロナ禍の日本経済を救うか 小浜逸郎/小黒一正
コロナ禍で政府の財政出動が拡大していることで、財政赤字の拡大を容認する「MMT」(現代貨幣理論)が注目されている。
最近では長引くデフレで日本銀行(日銀)の金融政策に絡めて論じられることもある。
ただ、一方で財政悪化、さらには国家の経済破綻を危惧する声も少なくない。
果たしてMMTは亡国の劇薬か、それともコロナ危機における経済理論の救世主か。
賛否それぞれの立場から、2人の有識者が寄稿した。
政府の赤字は国民の黒字 財務省を信じず、MMTを学ぼう 小浜逸郎
コロナ禍は人災である。
ここでコロナ禍とは、疫病による感染者、重症者、死者の増大を意味するのではない。
政府・自治体の自粛要請に国民の大多数が積極的に従ったことに対する、恐るべき経済的ダメージのことだ。
すでにこのダメージの結果は歴然と出ている。
4月の鉱工業生産指数は前月比で9.1%落ち込んで、これは東日本大震災の時よりも悪くなっている。
日銀短観は3月がマイナス8ポイントであったのに対し、6月ではマイナス34ポイント。
1~6月の輸出は、前年同期比でマイナス15.4%、輸入はマイナス11.6%。
帝国データバンクによると、今年の倒産件数は1万件を超し、自主的な休廃業などは、2万5千件と言われている。
8月に4~6月期のGDPが出るが、目もくらむような下落が予想される。
そして忘れてはならないのは、昨年10月の消費税増税によって、すでにGDPがマイナス7.1%という驚くべき落ち込みを見せていることだ。
このまま行くと日本経済は大恐慌に突入することが確実なのだ。
これに対処する方法はあるのか。
政府はコロナ対策として第2次補正予算を組み、ようやく32兆円の真水を注入することを決定したが、こんな程度で足りるはずがない。
自民党の安藤裕衆議院議員が会長を務める「日本の未来を考える勉強会」議員連盟では、国債100兆円の発行と、消費税をすべての名目で0%にすることを提唱している。
来るべき恐慌への備えとしては、これは当然と言っていい最低限の提案だ。
加えて25年も続いた長期デフレから脱却し、政府が目標としていたゆるやかなインフレ(2%)を達成するには、こうした措置をさらに継続させる必要があるだろう。
■「国の借金」に上限なし 返す必要もなし
さてこうした一見大胆な提案がなされると、必ず出てくるのが次の二つの疑問です。
(1)すでに「国の借金」が1000兆円をはるかに超えているのに、そんなに財政出動を拡大させたら財政破綻するのではないか。
(2)消費税をゼロにして、税収減を何によって補うのか。大胆な財政出動の財源はどうするのか。
これらの疑問は、財務省が長年国民を騙してきたデマに発するものだ。
このデマの浸透は徹底していて、一般国民は言うに及ばず、政治家、学者、マスコミがこぞって緊縮財政を支持する羽目になってしまった。
ところが財務省自身のホームページには、なんと、国債の発行によって財政破綻することはあり得ないと書かれているのだ。
昨年、MMT(現代貨幣理論)が日本に“上陸”し、上記の疑問がすべて根拠のないものであることを証明してみせた。
まず「国の借金」と呼ばれるものの正体は、政府がこれまで市場に資金供給してきた額の履歴に過ぎない。
つまり返す必要のないお金であって、それはそのまま民間の預金として計上される。
帳簿上、赤字とされはするが、政府の赤字は民間の黒字なのだ。
そうは言っても負債は負債なのだから、期限が来たら返さざるを得ないだろう、将来世代にツケは残せないと普通の人はつい考えてしまう。
誰もが知っているテレビの売れっ子で、評論家まがいの人々も同じ間違いを垂れ流して、国民の思い違いを絶えず助長している。
しかし事実はそうではなく、期限が来たら、古い国債を新しい国債に取り換えるだけなのだ。
したがって、政府は今回のような緊急時に限らず、いつでも必要十分なだけ国債を発行することができ、税収に頼る必要などないのである。
なぜそんなことができるかと言えば、政府には通貨発行権があるからだ。
ただし、これはMMTがしつこく断っていることだが、国債発行にまったく制約がないのかと言えば、そうではなく、インフレ率がある水準を超えた場合(たとえば5%以上)には、発行を抑制する必要が出てくる。市場に貨幣があふれ、貨幣価値が下落し物価が高騰して国民生活が苦しくなるからだ。
しかし、もしこういう事態になったら、デフレ期に増税をするという愚か極まる政策(インフレ対策)を取ってきた政府にとって、物価高騰の抑制は得意中の得意なのだから、日銀と二人三脚で、増税をしたり、国債の売りオペによって市場の余剰貨幣を吸い上げたりすればよいわけだ。
■消費税ゼロでも政府は困らない
ところで、「財源」の問題である。
大多数の国民は、国の歳出は税収によって賄われていると思っているが、これは大きな誤解だ。
「社会保障の充実のために増税がどうしても必要だ」などと言われると、ただでさえここ25年間実質賃金の低下で苦しんできた国民も、さらなる徴税をしぶしぶ我慢してしまう。
こういうバカな目にあわされるのは、税収が国の歳出を支えているという誤解から抜けきれないからだ。
すでに述べたように、インフレ率という制約以外に、国債発行額に上限はないのだ。
現に今年度の予算(一般会計)のうち、税収(63兆円)の占める割合は、49.5%と、半分を割り込んでいる。
おまけに特別会計予算もある。
歳出合計は約250兆円で、これを加えて考えれば、税収から支出されているのは、約四分の一に過ぎないのだ。
そして、こちらの方が大事なのだが、MMTでは、スペンディング・ファーストと言って、ある年の税収を実際に使う前に、財務省は短期証券のかたちで日銀からお金を「借り」、どんどん先に使っていることを指摘している。
これもまたただの事実である。
税の機能は、国の歳出に充てるというよりも、「円」という通貨単位での納税を政府が認めることによって一国の経済活動を保証すること、および、景気の動向の調整のために増減税を行なうこと、そして所得の再分配、などである。
消費税をゼロにしても、政府は少しも困らない。
その分だけ国債で補えばよい。
現在のような緊急時こそこの措置がぜひ必要である。
年収220万円の人は、年間200万円を消費し、20万円を消費税で取られるところを、消費税分20万円も消費に回せるのだ。
しかも政府に吸収されている全額が市場に出回り、その分だけ国民の経済活動は活発になる。
MMTの基本は事実を述べているだけで難しくない。
ぜひこの機会にマクロ経済の事実を学びましょう。
◇
小浜逸郎(こはま・いつお) 評論家。昭和22年生まれ。横浜国立大学工学部卒業。思想など幅広い分野で社会評論を展開。現在、国士舘大学客員教授。「まだMMTを知らない貧困大国日本」(徳間書店)など著書多数。
「赤字の民主主義」が大混乱を生む時 MMTの落とし穴 小黒一正
政府(中央政府+中央銀行)は、札束を刷る「通貨発行権」を持つから、必要ならば、どんどん刷ればいい。財政赤字は増えても大丈夫なのだ-。
経済学に関心の薄い読者のために、MMT(現代貨幣理論)をあえて簡略化していえば、こういう説明になろう。
新型コロナウイルス感染拡大で生じた経済危機にあって、日本政府はいま先進国でも最悪の財政状況の中で家計や企業を支援しなければならず、その財源をどうするかは最大の難問である。
MMTは、その答えとなるのではないかと希望を抱かせる。
だから、いま注目されているのだろう。
しかし、その希望は端的に言って幻想である。
米ハーバード大学のケネス・ロゴフ教授やサマーズ元米財務長官といった主流派の経済学者は「MMTは様々なレベルで間違っている」として、その理論的な妥当性を批判しているが、その指摘は正しい。
最大の理由は、MMTには財政の民主的統制の難しさに対する深い考察がないからである。
■民主主義が財政赤字を拡大させる
MMTの特徴は、日本や米国、英国のように政府が自国通貨を発行する国は、いくら財政赤字が増えても、変動相場制のもとであれば自国通貨で支払いができ、財政破綻はしないと強調する点である。
むしろ財政赤字は、政府が徴収した税金以上に国民に支出していることになるのだから、国民の資産になるという発想だ。
財政赤字下で通貨を発行し過ぎれば、ハイパーインフレで1万円札が紙切れに等しくなる、困るのは国民ではないかという素朴な疑問は起きて当然である。
もちろんMMTも、財政赤字が害をもたらすと分かれば、その時点で適切な水準に縮小すればよいという発想だが、落とし穴はまさに、そこにある。
民主主義の下で政府支出の削減や増税を迅速かつ容易に行うのは極めて難しい。
政治家は票を求めて選挙で競争するが、その際、有権者や利益団体の要求に応じて予算は膨張するメカニズムをもつ一方、政治家は有権者に負担を課す財政支出削減や増税を喜ばない。
つまり、国家財政の最終決定に議会の議決を必要とする「財政民主主義」の下では、財政は常に支出増大の政治圧力にさらされることになり、現在の政治家と有権者には財政赤字が膨れ上がるメカニズムを遮断するのは簡単なことではない。
MMTの想定するような、必要に応じた財政赤字の縮小は、現実には極めて難しいのだ。
例えば、消費税率は1997年に3%から5%に上がったが、2014年に消費税率が8%に引き上がるまで17年もの時を要した。
社会保障費の削減や増税が政治的に容易に可能ならば、いまごろ日本では財政再建が終了しているはずである。
■よみがえったケインズ?
そもそもMMTは目新しい理論ではない。
MMTでは、失業率をゼロにするためには、政府の財政赤字の水準を高める必要があると考えられるが、これは、従来のケインズ派の理論に近い。
不況期には、公共事業などの政府支出を増加させるか減税するかで経済的な需要を喚起することにより、失業を減らせるという「有効需要の原理」を重視するのがケインズ派だが、MMTも、その延長線上にあると言っていい。
しかし、日本はもともと失業率が低く、労働力不足も懸念される状況だった。
たしかにコロナ倒産、コロナ失業も伝えられる現在にあって、雇用は特に重要な問題だが、このケインズ派的な発想が果たして有効なのか。
これは検討すべき極めて重要な点だ。
ノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・M・ブキャナンらの約40年前の名著『赤字の民主主義 ケインズが遺したもの』は、米国の財政赤字や通貨膨張、政府部門の肥大化の主な原因となったとみて、その節度なき経済政策を批判している。
「ケインズがいなければ、1960~70年代の政治家がこんなに節度を失うことはなかった」とまで書いている。
無論、MMTとケインズ派の理論は同一ではない。
ケインズ派が財政赤字を賄う財源として公債発行を重んじたのに対し、MMTは政府が新たにお金を刷ればいい、つまり法定通貨の発行という発想に基づく。
すなわち、「財政ファイナンス」の積極的な活用である。
MMTでは▽政府支出の拡大や減税=法定通貨の新規発行▽増税や政府支出の削減=法定通貨の回収-を意味する。
しかし、公債ではなく通貨発行で-という発想もまた、ケインズ派が行き着く論理的帰結にすぎない。
『赤字の民主主義』は「ケインズ派が-大半のケインズ派が-通貨の増発を選ばず、古典的な公債負担論に挑戦する道を選んだのは、今もって意外である」
「政治・制度上の制約がない場合は、意図的に財政収支を赤字にし、通貨発行だけで赤字を補てんすることが、ケインズ派の理想的な景気対策になるはずだ」と述べる。
これは当時、ケインズ派への皮肉で書かれた一節だが、現代のMMT登場を予言した言葉ともいえる。
MMTでは中央政府と中央銀行を「政府」という概念で一括りにし、「政府が通貨発行する国」が想定されるが、実際には日本も米英も、通貨発行機能の大半を持つ中央銀行は、中央政府とは別の、独立機関としている。
それは先に述べた財政民主主義における、節度を失った政治家の圧力から通貨発行を守るためでもある。
財政赤字を法定通貨の新規発行で賄うリスクは、第1次世界大戦後のドイツのハイパーインフレや第2次世界大戦後の日本などの高インフレでも経験されてきた。
コロナ禍の現在、どれほどの財政赤字で過去のような経済混乱が生じるか明言することはできない。
しかし、すでに財政赤字は令和2年度予算ベースで76兆円超まで拡大している。
歴史的教訓から、中央銀行の独立性を高め、財政法で財政ファイナンスを原則的に禁止していることを忘れてはならない。
◇
小黒一正(おぐろ・かずまさ) 法政大教授。昭和49年生まれ。京都大理学部卒業、一橋大大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。平成9年、大蔵省(現財務省)に入省後、一橋大経済研究所准教授などを経て現職。専門は公共経済学。
「ブログ管理者の意見」
私は、小浜逸郎氏の意見に賛成である。第二次戦争後の日本の高インフレは、東南アジアからの物質輸送船がアメリカの潜水艦によって沈められ、戦争末期に日本中の物質が不足したからであると思う。
戦争中は、国債を増刷したが、高インフレにはならなかった。
現在の中国は、ドル保有内で元を増刷して、国有企業などに供給して経済発展してきたことからもわかる。
それに財務省自身のホームページには、なんと、国債の発行によって財政破綻することはあり得ないと書かれているのだ。
何故、財務省は、メデイアや政治家や評論家を洗脳してきたのに反対のことを書いているのだろう。
それは、よくわからないがもし、嘘がばれた時の言い訳として用意しているのかもしれない。
責任を取りたくないのが官僚の本質だからである。
日本銀行は、株式会社であり、日本政府が過半数の株を持っているので国債発行を命じることが出来る。
テレビを見ていて、財務省の洗脳が徹底されているのに驚いた。
コメンテイターの殆どが政府が赤字国債によって国民を支援するコロナの給付金を国民の税金を使っていると思っていることであった。
赤字国債は、税金ではないのだが、東日本大震災の後に民主党が、復興税を国民から徴収したことが税金と思う原因だろう。
コロナ収束後に、財務省や国会議員や経済評論家が財政の危機だから消費税を増税すると言い出すから気をつけなければならない。