書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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「独裁皇帝」は中国人の歴史的体質に染みこんだ「必然」なのだ
暴力革命、国土の荒廃より独裁政治による社会の安泰が大事という考え方
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石平『なぜ中国は民主化したくてもできないのか』(KADOKAWA)
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石平氏の前作『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(PHP新書)と併せ、本書によって『石平・歴史学』の双璧がなった。
本書を読了し、長年の謎がふたつ解けた。
第一は中国における徳川家康ブームというミステリアスな現象の根幹にある、中国人の深層心理の不可思議さがなかなか理解できなかった。
上海でも北京でも広州でも空港の書店には山岡荘八の長編小説『徳川家康』の中国語版が積み上げてある。
昆明空港で、ある時、樋泉克夫教授と書店に入ると、目の前で中国人のビジネスマンが『徳川家康』を購入した。
ロビィでは別のビジネスマンが他の巻を小脇に抱えている。
日本では『三国志演義』が広く人口に膾炙されているが、中国は逆だ。
「この現象は何でしょう?」
「長期安定政権の秘訣を知りたいのでは」とかの会話が弾んだ記憶がある。
第二は、ちょっと飛躍するかも知れないが、過去十年の欧米の動き、とくに対仲外交への姿勢の変化だった。
すなわち「人権」にあれほど五月蝿かったフランスもドイツも、そして米国も英国も、習近平に対して「人権」問題をほとんど口にしなくなった。
このことが不思議でならなかった。
いったい西洋民主主義政治のレゾンデートルを軽視してまで中国に歩みよる欧米人の頭の中で、カシャカシャと金銭計算機の音が鳴るような、あからさまな打算の源泉はなにか、
彼らが欲しいのはチャイナマネーだけではない筈だろう。
石平氏は、この謎に挑むかのように、中国人の体質をわかりやすく解きほぐし、「皇帝政治」の復活、すなわち習近平の「任期無期限」「新しい皇帝の誕生」というのが「終身主席体制」であり、
これが中国史に連続する「歴史の必然だった」と結論するのである。
具体的にみていこう。
「皇帝独裁の中央集権制」では「官僚への任命権と意思決定権を握る皇帝が絶対的な権力者」であり、他方、「皇帝には最高権威としての地位も付与された。
それは、皇帝が持つ『天子』という別の称号」(中略)「中国の伝統思想において、森羅万象・宇宙全体の主はすなわち『天』というものだが、皇帝はまさに『天の子』として『天からの任命=天命』を受け、この地上を治める」のである(57p)
かくして中国の皇帝は天命を受けた天子であり、唯一の主権者ゆえに、「皇帝は自らのやりたいことが何でもできる絶対権力になるが、(中略)この絶対的権威と権力こそが、皇帝とその王朝を破滅へと導く深い罠になっている」(58p)
万世一系の天皇伝統と、中国とはまさにシステムが異なり、「皇帝」とは諸外国の歴史にあった「ツアー」であり、「キング」、「ディクテイター」であっても、決して天皇ではない。
日本の天皇は「祭祀王」であって権威があるが、権力はない。
石平歴史学は次に習近平独裁皇帝がなぜ現代中国に、それこそ自由陣営からみれば、歴史に逆行する時代錯誤でしかない、
近代的摩天楼とハイテク産業が林立し、世界貿易に輸出王として傲慢に君臨し、大学生が毎年800万名も卒業してゆく、この現代中国に、独裁政治がなにゆえに必要なのかを説く。
「長い歴史のなかで、『聖君と仁政さえあれば嬉しい』というような『聖君』と『仁政』に対する待望論が、いつの間にか『聖君と仁政がなければ困る』という『聖君と仁政の不可欠論』と化し、
『聖君・仁政』の思想は『皇帝独裁の中央集権制度』を正当化するための最大の理論となった」(89p)
なんというアイロニーだろう
易姓革命の中国では、絶対的権力は絶対的に腐敗し、絶対的に破綻する。
その度に、王朝と眷属は九類に至まで粛清され、大量の殺戮が全土に展開され、すなわち魯迅が言ったように「革命 革革命 革革革命」となってきた。
石平氏はつぎのように演繹する。
「皇帝政治によって天下大乱が招かれた結果、この天下大乱の悲惨さを知り尽くした中国人は逆に、天下の安定を維持して天下大乱を避けるための役割を皇帝政治に期待し、皇帝政治を天下大乱と万民の生活安定の要として守ろうとしているのである」(93p)
ナルホド、十四億の民を統治する一種の逆説的智恵だが、さて習近平は明らかに「天子」ではないことも、同時に全国民が知っている。
となると『習近平独裁皇帝』の破滅は、国民が自ら大乱を望む危機が来れば、すなわち経済的破滅がやってくれば、忽ち倒壊するリスクを同時に背負っているということになる。
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