◎佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 626」 | 護国夢想日記

護国夢想日記

 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

◎佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 626」

--------------------------------------------- 


≪(承前)陸奥は、この杉村の情報を信頼して事態の成り行きを子細にフォローさせ、情勢の変化に応じてどう処置するかについては、つとに考えをめぐらすところがあった。

この機を失すれば朝鮮は清国の意のままになると判断した陸奥は、日本から相当の軍隊を派遣して、朝鮮における日清両国の力の均衡を達成すべしと述べ、伊藤博文総理以下、全閣僚の賛同を得て六月二日、勅裁を得て出兵を決定する≫

明治維新間もない文武両道の典型的な判断であったろう。陸奥の判断の素晴らしさは、外交のバックに常に軍事力を考えていた点にある。

 

 

当時の常識的な判断だと言えばそれまでだが、その後時がたつにつれて“軍事力軽視”の風潮は、日本外交のある意味「柱になって」いったような気がする。なにがそうさせたのか?

≪閣議は、朝鮮半島への出兵を決定した。しかし、これを実際に実施するに際しては、タイミングを失することなく、また国家の大計を誤ることのないようにしなければならない。

 

 

……日本はできるだけ受け身の立場に立って、常に清国から初めに行動したようにさせるべきである。

 

 

またこのような一大事件が発生すると、外交の常として、第三者である欧米各国の間に動きが出て来るが、事情が許せる限りは、極力、日清間の二国間関係の問題に限定して、できるだけ第三国の介入を避けるべきである≫

この閣議における判断、つまり「タイミング」や「国家大計」を誤らぬと言うこともさることながら、「日本はできるだけ受け身の立場に立って、常に清国から初めに行動したようにさせるべきである」と言う判断は素晴らしい。

しかしながら、日米開戦直前における日米交渉ではルーズベルトにこの大原則を奪われたほか、山本五十六によるスニークアタックとして米国内に喧伝され、日米開戦に反対であった米国民までをも一致団結、

 

 

反日に向かわせるきっかけになったのだが、これは既に陸奥が示した外交の根本を当時の外交官たちが学んでいなかった証拠だと言えよう。

≪軍もまた、有事に備えて出兵の準備をおさおさ怠りなかった。ゆえに、朝鮮政府が清兵の来援を要請したと言う内部の情報だけで直ちに対応できたのである。

 政府は、早速、休暇中の大島圭介公使を軍艦・八重山で帰任させると同時に、第五師団の中から派遣軍を編成し、郵船会社にも運輸や軍需の徴発を内命して敏捷に準備を進めた≫

この様に外交と軍事が密接不離に作用していたからこそ、日清戦争は勝利できたのであり、続く日露戦争も、見事な連係プレーで国難を排除できたのである。

陸奥は『蹇蹇録』にこう記している。

「こうした政府の方針は、外交や軍事の機密に属するものであって、世間は誰もこれを推測することはできなかった。

 

 

そのため、政府を批判する者は、すでに政府の措置がこのように進行していることを知らないので、しきりに新聞などで論説委員の筆で朝鮮に軍隊を派遣することが急務であると書き立て、政府の怠慢を激しく非難し、議会を解散させられた鬱憤を晴らそうとした」

 これについて岡崎氏は「壬申・甲申の際の日本側の不手際と比べると、隔世の感がある」として、次のように書いているが、全く同感である。

≪この間、日本の軍備充実によって、日清間の軍事バランスがほぼ対等にまで変わっていたという背景はあったが、朝鮮から清国へまだ正式の派遣要請も出していない六月二日の時点で、

 

 

もし伊藤と陸奥のどちらか一方でも、極めて常識的な判断として、「もう少し様子を見ようか」と言っていたら、日清戦争の局面はまるで違っていたであろう。

この瞬間、日本が、外務大臣に陸奥をもち、総理に伊藤を持っていたことは、日本の運命に決定的に重大な影響を及ぼしたといえる≫

現実の日本外交と防衛力の関係を見ると、何とも心もとなく感じるが、政府は自らの努力よりも、戦後の「東京裁判史観」や、占領軍による“日本国民のマインドコントロール”のせいにして逃げているが、既に戦後70年以上経過しているのだから、全く自助努力がないのが原因だと言えよう。

この、日清戦争をめぐる軍事と外交努力を観察すれば、現在顕著になって政府も国民も慌てふためいている感がある朝鮮半島危機対処法が浮かんでくる。

陸奥と、当時の日本政府首脳の判断に学べばいいのである。

当時の清国と朝鮮の関係は今の中国と北朝鮮の関係を彷彿とする。勿論ロシアの態度もそうである。

 

 

歴史は繰り返すと言われるが、半島をめぐる情勢が日本の安全保障にとって最大のものであるならば、日本自らが行動を起こさねば解決しないだろう。

 

 

憲法があるから、と言うのは政治家の言い逃れに過ぎない。

当時の勇気ある陸奥や政府の代わりに、今は“同盟国”が成り代わってそれらの脅威に対抗しているが、米国にだって都合がある。

 

 

米国内世論は、トランプ大統領に対して必ずしも全幅の信頼を置いているわけではない。米国は世論の国であり、民主的ルールに従う国である。

軍事的脅威だとされる「北の核ミサイル」なんぞ、米国にとってはいかほどのものでもなく、北朝鮮の指導者が判断を誤って米国に“発射”したとしても、その数倍の力で粉砕されることは明白だから、流石の独裁者も手は出せまい。

むしろ、米が半島情勢に嫌気がさして“撤退”にでも踏み切れば、「米中対立」の最前線にわが日本列島は取り残され、米中間の壮絶な外交・軍事闘争に巻き込まれることになろう。

 

 

陸奥は交渉しつつ軍事力を整備して戦争に勝った。今、そんな巧妙で勇気ある手法が取れる指導者が皆無なのが日本の悲劇だろう。(元空将)