佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 610」 | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

◎佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 610」
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さて、K・カール・カワカミ氏の「シナ大陸の真相」を読み解いてきたが、訳者の福井雄三氏の「訳者あとがき」も示唆に富んである。

 

 

「日米開戦」はなぜ避けられなかったのか?と言うテーマにふさわしいと思うので、再録しておくことにする。

 

 

 戦後、真珠湾攻撃に至る経過からみて、戦略なき軍部(この場合は海軍)を非難する書物が多い。

 

 

確かに、知米派と言われた山本五十六が立案した作戦にしては、戦略ではなく、戦術に過ぎないから、それは一部正しいと思う。

 

 

しかも、ルーズベルトによる情報統制で、米軍部はツンボ桟敷に置かれていたため、日本海軍の「奇襲」が成立したのであり、決して作戦計画が緻密だったわけではない。

 

 

 逆に、ワシントンの日本大使館の怠慢で、通告が1時間半も遅れたのだから、日米開戦に反対していたハミルトン・フィッシュでさえもルーズベルトの宣戦布告に賛成したのだから、如何に大使館の“怠慢”によって生じた「スニークアタック」が米国民を一致団結させるのに有効であったか、がよくわかる。

 

 

 山本大将は、米国への通告遅れを非常に気にしていたとされているが、それ以前に、近衛首相に戦争遂行について見通しを問われた時、「半年か一年は…」と非常に無責任な答えをしていたのだから、通告遅れが彼にとっての免罪にはなるまい。

 

 

 つまり、外交と軍事は密接不離な関係にあるのだから、山本はまず「外交上の問題について」率直に近衛に進言すべきであったろう。

 

 

「国力の差から日米開戦は絶対にしてはならない」と言う進言を。そしてまず「外交によって何とか打開すべき」を解くべきであった。

 

 

外交が行き詰った場合に剣を振るうのはやぶさかではない、との決意を込めて。

 

 

しかし、それでは日に日に減少しつつある海軍にとって死活問題である石油に気を奪われていたから、海軍としては石油の残量を基準に、日米開戦の日を逆算していたように思える。

 

 

この時点では、ルーズベルトの意志は固かったにせよ、外交力と、広報宣伝の活用によって、米国民に日本の立場を知らしめる可能性は閉ざされていなかったのだから、外交による日米間の調整は可能だったと思われる。

 

 

何よりも米国は世論重視の国である。その意味からも、カワカミの進言は視野が広く、説得力が大きかったし、彼を師と仰ぎ、全米各地で講演活動を継続していた斎藤博大使の活動も高く評価されなければなるまいと私は感じる。

 

 

訳者の福井氏も彼の努力を高く評価するとともに、その努力が報われなかったことを痛切に残念がっている。

 

 

この著書が『シナにおける日本』(Japan・in・china)という原タイトルで、ロンドンの書店から英文で出版されたのは一九三八年三月のことである。

 

 

時あたかもヨーロッパ大戦の始まる前年であり、さらに又日本が世界中から非難を浴びたシナ事変の泥沼に足を踏み入れてから一年目に当たり、まさに世界が迫り来る嵐の予感に脅えながら、不安と緊張の暗雲に包まれ始めていた時期であった。

 

 

このような時期において著者のK・カール・カワカミ氏は、世界大戦の破局を回避すべく、日本の置かれた立場を世界に訴えるためにこの本を書いたものと思われる。

 

 

シナ事変と満洲事変は表裏一体のものだが、日本がシナにおいてとっている行動は決して侵略と破壊を目的としたものではなく、東亜の秩序を確立し混乱を収束するためのものなのだ。

 

 

日本は国際法に従って忠実に行動しているだけであり、欧米列強と事をかまえる意図など少しも無い。

 

 

著者のK・カール・カワカミ氏は当時のアメリカ言論界における重鎮的存在であり、日系アメリカ人として祖国日本の立場を代弁すべく、これらの諸点を繰り返し訴えながら、世界の日本に対する誤解を修正するための努力を傾けた。

 

 

ただしそれはあくまでも単なる身びいきの立場からでなく、当時の国際情勢と国際政治力学を冷静に見据えた上で、各国の収り得る具体的な解決策を追求している点において、この著者は極めて冷徹なリアリストと言ってよいであろう≫

 

 

冒頭でも書いたはずだが、この様な貴重な文書が、当時の日本の政軍学界に知られていなかったことが不思議でならない。

 

 

この本の存在について、冒頭の序文で小堀桂一郎氏が「嵐に書く――日米の世紀を生きたジャーナリストの記録(昭和62年、毎日新聞社)」によって初めて知ったと書いていることから判るように、戦争が終わってから知られたのであり、結果的にはカワカミ氏の努力は無為に終わったのである。

 

 

而も昭和62年に、古森氏が出版しなかったならば、小堀氏も知ることはなかったのだから、貴重な証言は歴史の闇に葬られていた筈だ。

 

 

カワカミ氏の遺言?は、日米開戦阻止には役に立たなかったかもしれないが、世界情勢が混とんとしつつある中、未だに国家防衛の戦略さえ構築していないわが国にとっては、貴重な示唆に富む文献であることには変わりない。訳者は書く。

 

 

≪著者の政治外交史に関する知識は詳細を究めており、様々のルートを通じて入手した秘密外交文書とも併せて、当時の極東情勢、ひいては世界情勢を知る上での第一級品の資料と言ってよい。

 

 

この本は英語版が出た直後にフランスでも翻訳出版され、欧米社会で反響を呼んだが、著者の平和回復にかけた願いも空しく、世界は第二次大戦に突入してしまった。

 

 

だがしかしあの当時のあの状況の中で、平和にかける日本の最後の願いをこめて出版された本、という意味においてこの著書は、後世の歴史家による後知恵や粉飾とは無縁の、まさにリアルタイムの歴史的価値を持つ本と言えよう≫

 

 

全く同感であり、であるが故に我が国を取り巻く危険な情勢を如何に回避するか、と言う点で、この資料と斎藤大使の活動を生かすように活用しなければならないと痛感する。

 

 

とりわけ外交官には必読の書ではないか?。(元空将)
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