奥山篤信の映画批評110  アメリカ映画『スポットライト 世紀のスクープ』原題SPOT LIGH | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

奥山篤信の映画批評110  アメリカ映画『スポットライト 世紀のスクープ』原題SPOT LIGHT 2015
~組織としてのキリスト教の偽善と欺瞞を暴く勇気を讃える~
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本年度アカデミー賞にて作品賞・脚本賞に輝いたこの作品は政教分離とは言え教会という密室での社会的・精神的一大権力であるカトリック教会の暗部・恥部を描いた作品であり、


映画作品としては特に傑出したものは無いがカトリックがスポンサーであるボストン・グローブ紙が自らの金主であるカトリックのスキャンダルを暴いた記者たちの勇気と正義が、この映画の受賞の理由でありまさにアメリカの強さであることを痛感する。


自然現象を摩訶不思議と感じた古の時代、そして絶えず戦争と飢饉に晒された人類が今なら科学によって理解できる認識のギャップに起因しかつ暗黒のなかで救いを求めた宗教、それが未だに世界の多くの人々の精神生活に大きな影響を与えている反知性の現実がある。



さらに組織としての宗教にて自らの存続の拠り所としての掟がある。聖職者に対して独身を強制し性愛を禁じるカトリックの矛盾が聖職者によるいたいけな少年に対する変態的性的暴行を齎したのは明らかである。?


この忌まわしい吐き気を催す事実を述べる。ボストン・グローブ紙は2002年1月、ボストン司教区の教区司祭ジョン・ゲーガン神父が、30年にわたるボストンの司祭生活の中で、延べ130人もの児童に対する性的暴行を行って訴訟を起こされたこと、


またカトリック教会はゲーガンに対しなんら制裁をせず、移動だけで誤摩化してきたことを報道した。


責任者たるボストン大司教バーナード・フランシス・ロー枢機卿は、世論の厳しい批判を受け、2002年12月に辞任に追い込まれたが、それでもなお当時法王であったヨハネ・パウロ2世は、


逃げるようにしてボストンからローマに逃走したロー枢機卿を2004年ローマのサンタ・マッジョーレ教会の最高ポストに任命して<匿った>のは、この時点でもローマは事件の重要さを認識していなかったというより隠蔽工作の共同謀議をし続けていたことを物語る。


ロー枢機卿の過去は暴かれ、同教区で類似の事件はゲーガンのみならずジェームズ・ポーターが1950 - 60年代に、少なくとも125人の子どもへの性的虐待を繰り返していたにも拘らず教区内を転々とさせるだけであったということが明らかになった。?


社会的責任を無視したカトリックに対して激怒した民意に沿ってニューヨーク・タイムズ紙は2003年1月、過去60年間で米国カトリック教会の1200人を超える聖職者が4000人以上の子供に性的虐待を加えたと報じた。


さらに2004年2月16日には米CNNテレビは1950年から2002年にかけての52年間で、神父4450人が疑いがあると報道し、件数は約11000件に上ると報じた。


聖職者の性的暴力を調査する機関「Bishop Accountability(司教の責任)」によると、2007年12月までの段階で、全米4万2000人の司祭のうち、約3000人が性的虐待の疑いで弾劾され、捜査当局の調査対象となった者、有罪判決を受けた司祭もいたとされる。?


2008年4月、法王ベネディクト16世は訪米時に被害者達に面会して直接謝罪したが、聖職者の児童虐待は「アメリカ社会の堕落にも責任」があると屁理屈をこねた。


2010年3月にはベネディクト16世自身が法王庁教理省長官たる枢機卿在任時に、虐待をしていた司祭の処分を故意に怠っていた疑惑がニューヨーク・タイムズによって報道されたが法王は「くだらないゴシップ」と切り捨て、


周辺の司教らは一連の性的虐待事件について「一部の者の過ち」とし続けており、「性的虐待はカトリックだけの問題ではない」「何者かの陰謀だ」と逆に居直ったのだ。?


結局カトリックという組織は、その隠蔽による自己保身体質において、世俗のあらゆる組織と何ら変わりない体質があることが良くわかる。


それどころか日頃奇麗ごと、平和・人権など口先で述べているが、思えばイエス生誕後2000年の歴史に於いて、キリスト教が人類の<救済>にいささかの貢献があったどころか、むしろ宗教組織がゆえの残虐・戦争・腐敗など悪徳以外なにものでもなかったと言わざるを得ないのだ。
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