「南京大虐殺30万人説」 日本にも歴史〝ねじ曲げ〟放置した重い責任 2/6 | 護国夢想日記

護国夢想日記

 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

「南京大虐殺30万人説」 日本にも歴史〝ねじ曲げ〟放置した重い責任 元兵士証言から浮かぶ歴史の真実 2/6ページ




日中戦争に参加した元陸軍第5師団歩兵第21連隊の下垣貞信さんが残した軍隊手帳(手前)とメモ帳。軍規が厳しかった日本軍の一面が浮かび、いわゆる「南京大虐殺」のような無秩序な殺戮行為を下垣さんは戦後も否定していた。





12年12月10日に始まった南京総攻撃。第6師団は南京城南側から攻撃に加わった。「砲で徹底的に敵をたたいて、収まったころ、壁にはしごをかけて日本の兵隊がよじのぼって占領していったとです」



 城さんは77年前の様子を克明に語った。城内で中国軍の遺体を目撃したかどうか尋ねると、首を横に振って否定した。それでも上海から南京まで進軍する途中では道端で中国軍の遺体を目にしたという。「そりゃ交戦しながら進むけん、こっちもあっちにも遺体はありました」



 南京への進軍途中にも「日本軍は虐殺行為を働いた」とも言われるが、城さんは「女や子供、年寄りの遺体はみたことはなか」と明確に否定した。



 南京攻略時の師団長は戦後の南京軍事法廷で、「南京虐殺の責任者」との罪で戦犯となり、処刑された。虐殺はあったのか否か。同様の質問を繰り返したが城さんは憤りを交え、同じ答えを繰り返した。



 「30万人も虐殺したというのはでっち上げですたい。人がおらん以上、虐殺があるはずがなか」

日本兵相手に商売も

 《日本軍は南京占領直後から1カ月で2万の強姦事件を起こし、6週間で20万人を虐殺し、暴行や略奪の限りを尽くした》



 戦後の東京裁判判決はこう認定した。さらにこうも断定した。

 《何ら口実もないのに中国人男女や子供少なくとも1万2千人を最初の2、3日で殺害し、死体は大通りに散乱した》

 元兵士が見た南京はどんな様子だったのか。



 「とても戦争中とは思えなかった。南京は誠に和やかに尽きるという印象でした」。占領後最初の6週間の一時期を城内で過ごした元海軍第12航空隊の3等航空兵曹、原田要さん(98)はこう振り返った。



 陥落後、城内の飛行場に降り立った原田さんの印象に残るのは、日本兵を相手に露店で商売を始めるなど日常の生活を営む住民らの姿だった。