奥山篤信の映画評 ルーマニア映画『私の息子POZITIA COPILULUI/CHILD'S P | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。




奥山篤信の映画評 ルーマニア映画『私の息子POZITIA COPILULUI/CHILD'S POSE』2013
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  辺境国映画の素晴らしさここにありの、多分僕の本年度公開映画のベスト5に入る事は間違いないだろう。


  第63回ベルリン国際映画祭にて金熊賞を受賞したこの映画映画館はガラガラ、日本は民度が落ちて優れた映画はガラガラというのが最近の風潮だ。


  まさにクズのような日本映画に群がるあるいはハリウッドの下らない娯楽作に殺到するのが日本人の映画ファンだ。


  ルーマニアは25年間君臨したチャウシェスク大統領が1989年崩壊した。アンチソ連の独自路線といってもソ連より悪質なチャウシェスク<王朝>恐怖政治だった。


  国民は無力にニヒルに陥り、民主化とは言え、いまだに後遺症それは無気力と汚職だ。


  この映画はそんな現代のルーマニアの後遺症を象徴するかのような映画であり、子供をひき殺した息子とその母親そして息子の愛人、それと被害者家族、それと汚職に染まった警察や官庁の世界、まさにルーマニアの病理が背景にある。


  母親は有名建築家として財を築き、官庁関係の父親とハイソな暮らしをしている。息子はその母親に甘やかされ、自立できず、責任感も自己決断もできない精神不安定者である。


  その息子が貧困家庭の子供をはねてしまった。まさに高級車で追い越しごっこの果ての事故である。


  母親は過保護だが、まさに世間を知悉した有能なやり手であり、冷静に即活動開始する。それはあらゆるハイソのコネを使い現場や裁判所、病院など丸め込むため、さらには証人の偽証まで裏工作を淡々とこなす。そして被害者宅も訪問しなんとか息子の前科とならないように着実に手を打っていく。


  この母親をマザゴンと批判する映画評も多いだろうが、僕は教育方針は間違っていたかもしれないが、どんなことがあっても子供を守り通すまさに<母>の存在意義を守るすばらしい<おっかさん>なのだ。


  その為には一切逃げる事無く真正面から手を打って行く。気に入らない息子の愛人を説得する為に二人の会話はこの映画の圧巻場面だ。


  そして愛人も手中にして艱難に息子自身も当事者として目覚めるようするのだが、この息子は全くぶんなぐりたくなるほど駄目男でありしかも何の反省もなく母親に暴言を吐くのみ。


  日本でも教育の荒廃によりかかる息子が家庭暴力などをふるっているのは極端な例としても、日本の若い男性はまさにこのバカ息子と目くそ鼻くその世界である。


  この映画はラストの見せ場それは被害者両親と母親と息子の愛人(息子は結局車から降りられないほどの小心者)との話し合いの場面だ。


  得々の涙で訴える母親(ちょっと贅沢な教育自慢を貧困の被害者に対して顕示したり、自分の子供が大切だと訴えるやりかたに日本の文化とは異なると思ってしまったが・・・)これに対して父親は怒りが収まらない。一方被害者の母親は<神の思し召し>と赦しの姿勢があるのだ。


  そして最後のラスト、父親が門まで出て来た。母親は車でむせび泣く。そして息子は回心(キリスト教としたらこの瞬間がメタノイアだろう)して車を降り父親への謝罪に出向いた。


  映画は二人の会話はない、車のバックミラーがそれを映し出す。まさに和解の感動的場面だ。そして映画はクレジット、普通の僕ならここで席を立つのだが最後まで字幕を見つめた。


  何とも言えない余韻がそして人間愛が心に染みるのだ。まさにここで全ての登場人物が愛によって和解、そして母親自体もさらに大きな人間的広がりの回心があるのだ!そしてルーマニア国の再生が!


  しかし結局この映画<女は力強い、男は馬鹿>これが結論だ。
女の素晴らしさ:母親の素晴らしさ そして愛人の強さと見識 そして被害者の母親の赦し 女性警官の着実で公平な処理マインド
男のバカさかげん:息子、息子の父親の根性なし、建築家の母親にコネを頼む捜査官、母親から偽証を頼まれ金を強請る男、そして単純な被害者の父親
しかしこの映画は最高だ!
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