佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 451」 | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。




佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 451」

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=閑話休題=

ソチ五輪に並行して、EUとロシアの関係は緊張しつつあったが、忘れてならないことは、「イェス、ウイキャン」というフレーズに踊らされて米国民が選出したオバマ政権の「融和政策」を、プーチン大統領が見抜いていたことだろう。

元来、風土的に陰湿でうそつきが蔓延るロシア人とは対照的に、「底抜けに明るい気質」を持つ米国人の欠点は、米国の基準で世界を見ることだろうと私は勝手に理解している。


つまり、米国製の民主主義を最高なものとして他国に押し付ける、あの傲慢さである。特に厭戦気分が抜けない米国の若者たちが、核兵器削減や軍事費削減という平和ムードを演出するオバマ陣営の戦術に共感して選んだものの、経済施策はじめ悉く失政が続いて国民の期待を裏切った。


そんな中、シリア情勢が悪化した時、化学兵器問題で「断固たる行動をとる」と威勢よく演説したにもかかわらず、実質的には“見せ掛け”だけだったことが暴露され、今回、ロシアの風下に据えられたことに対する米国民の憤懣は鬱積しているに違いない。

44歳のオバマ大統領が10歳年上のプーチン大統領に“若造”だと見下され、彼の権威は地に落ちたと私は見ているのだが、それは1962年10月に起きた「キューバ危機」時の米ソ関係に似ている。

革命後のキューバにフルシチョフが核ミサイルを隠密裏に配備したことに気づいたケネディがミサイルを撤去させようとして「核戦争勃発直前」まで行った事件だが、その背景には、フルシチョフが大統領に選出された弱冠45歳のケネディ新大統領の実力を過小評価したからだといわれている。


つまり“若造には何も出来まい”と高をくくってミサイルを運び込んだというのである。

然し当時は、強大な実力を持っていた軍部が徹底的に対抗することを進言して海上封鎖に踏み切り、遂にフルシチョフはミサイルを撤去せざるを得なくなった。


これでケネディ株は急上昇し、逆にフルシチョフは失脚を招いたのだが、その背景には軍事力の大きな格差があったことは言うまでもあるまい。しかし今やその差は縮まっていて、その上最高指揮官には「行使する決意」さえ見られない。

もう1例は、ジミー・カーター大統領を弱腰と見たブレジネフは、アフガンに軍事侵攻した。カーターはウォーターゲート事件で士気が沈滞していた米国民の政治刷新を担って登場したが、人が良すぎて弱腰外交だったために「歴代最低の大統領」という汚名を着せられてしまった。

外務省でSALTを担当していた私は、何ともふがいない彼の姿勢に危機感を感じていたものだが、国際的なデタントムードに乗せられて、1976年6月にウイーンでSALT II条約に調印し、相好を崩していた姿が思い出される。

その直後の11月に、ブレジネフはアフガニスタンに侵攻したのだが、翌年5月、ヘイグ長官は「SALTは死滅した」と発言している。

カーター時代は、ソ連は好き放題に“弱腰米国”を見下して行動したが、これを見た不安定な国々も、イラン大使館事件などに見られるように、“超大国”米国に対して屈辱的な事件を引き起こした。


不思議なことに、このような“騒乱”を引き起こした人物が、「ノーベル平和賞」を受けている。オバマ大統領もそうだ…。「勇将の下に弱卒無し」とは蓋し名言。カーターもオバマも“勇将”とは程遠い。

その後、ソ連のアフガニスタン侵攻は国際的非難を招き、1980年のモスクワオリンピックでは日本を含めた世界の国々にボイコットされる事態を招いたが、今回の冬季五輪は既に終了したからロシアに「制裁」できない。

カーター時代の反省は、「CIAの規模削減による情報収集能力の低下や、急速な軍縮を進めたことによる軍事プレゼンスの低下」とされていて、その弱体を見透かされた結果、「イラン革命やその後のイランアメリカ大使館人質事件及び人質救出作戦の失敗、アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)を許した」と、共和党などからはカーターは「弱腰外交の推進者」「歴代最低の大統領」と言われるに至った。

不思議なことだが、民主党政権下で起きた事件は、交代した共和党政権が解決するという連関性があることだ。


イラン大使館の「アメリカ人の人質」も、皮肉にも1981年1月20日に、レーガン大統領に政権を譲ってカーターがホワイトハウスから去った日に解放された。このような“宥和政策”を遂行する「世界の指導者」が出現した時は、我々は国際情勢を注意深く見つめておかねばならない。

“軍国主義”下にあった戦前でさえも、我が外交は「お人よし社交」と言われても仕方ない状況だったが、戦後の占領政策で「魂抜き」になった軍事の裏付け無き日本外交の能力低下は必然だと思ってよかろう。


“平和的”にクリミヤ半島がロシアに“併合”された今日、次に予測されるのは何か? それは支那による台湾の“併合”であり、その勢いをかって、尖閣を鏑矢とする「沖縄侵略」だろう。

第2次世界大戦の教訓は、合体されたEUでは生かされていないようだし、人道主義を主唱する米国も、メイフラワー号で“進出”してきた旧教徒らよりも、アメリカンドリームに浮かされて、世界中から“移民”してきた“異民族”に、やがて“合法的”にハイジャックされる運命にあるのかもしれない。

人種間に立ちはだかる民族の血の壁は、口先でごまかせるものではないことを今回のクリミヤ併合問題がよく示している。そしてそれは、「大東亜戦争」勃発の遠因に酷似していることを忘れてはなるまい。


国益追求の裏には、人種問題が絡んでいて、それが巧妙に利用されるという実例を、今回のロシアによるクリミヤ併合事案は示してくれている。

渡辺惣樹氏の著「日米衝突の萌芽」も、当時のドイツも「きわめつけの黄禍

論」を西海岸で繰り広げていたことを強調しているが、ハースト家が出している「イエロー新聞」は、その出鱈目な反日報道より、漫画がもっとも効果的だった。(元空将)