南丘喜八郎  再び言う!「亡国に至るを知らざれば、これ即ち亡国」 | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。






南丘喜八郎  再び言う!「亡国に至るを知らざれば、これ即ち亡国」
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 三年前の三月十一日、東日本大震災が東北地方を襲った。大地震、沿岸地方を飲み込んだ巨大津波、加えて福島第一原発事故は東北地方沿岸部を壊滅させた。


被災地の惨憺たる状況は三年後の今も変わらない。政権は民主党から自民党に代わったが、政治の無策は続く。復旧復興の展望は未だ見えず、被災者は厳寒の仮設住宅の中で凍え、呻吟している。明治時代、足尾鉱毒事件に全人生を賭して立ち向かった田中正造の言葉を想起する。

「亡国に至るを知らざれば、即ち亡国」

 我が国はいま、田中正造の言う「亡国」の渕に立っている。一昨年以来、領土問題や歴史認識問題で中国と韓国と激しく対立、殊に中国とは尖閣諸島をめぐり一触即発の状況にある。


だが、いま言う「亡国」の危機とは、中国など外国からの武力攻撃ではない。より重大な内的危機である。それは国民、就中国政に当る政治家が当事者意識を喪失、他人任せの無責任状況に陥っていることだ。これこそが、いま直面している「亡国」の本質なのだ。

 

 繰り返して訴える。戦時下の昭和十七年に中野正剛が行った演説「天下一人を以て興る」の一節だ。

 中野は天保大飢饉に際し窮民を救うべく決起した大塩平八郎に言及する。大塩は決起を決意するが、門弟の宇津木矩之丞は「弾圧され失敗する。無駄だ」と強く反対する。大塩はこう答える。

 「数日前、淀川を歩いていると捨て子に会った。その泣く声が俺の耳の底に響く。母親なるものが捨てた子を見返りながら立ち去りかけたが、また帰ってきて頬ずりをする。…ついに意を決して捨てていったが、その母親さえも飢えて死にそうな姿だった。


お前は赤ん坊の泣き声とお前の心に紙一枚を隔てている。お前は赤ん坊を見物しているのだ。ただ可哀相だと言いながら…。俺は違う。赤子の泣くのは俺の心が泣くのだ。捨てられた子、飢えたる民、それを前にして見物しながら思案する余地はない」

 いまの政治家に、「赤子の泣くのは俺の心が泣くのだ」と、眼前の被災地の惨状に心眼を向け、国家再興に全生命を賭ける者はいないのか。


大塩平八郎の決起は、宇津木矩之丞の危惧した通り失敗、大塩は屍を野に晒すことになる。だが誠意一徹、死を以て所信を貫いた大塩の志は、政治家の在るべき姿を後世に遺した。

 残念だが、いまの政治家には大塩の志が決定的に欠如している。大塩の言を借りれば、安倍総理以下の政治家は、東日本大震災による被災民の惨状を視察し、ただ可哀相だと言いながら、「見物している」に過ぎないのだ。


昭和初期、飢餓に泣く東北地方の惨状を直視した青年将校らは、決して「見物」してはいなかった。彼らは惨状を目の当たりにし、成否を度外視して決起した。

 いま政治家は東日本大震災に呻吟する被災民の悲痛な叫び声に耳を貸そうとせず、デフレ脱却を叫び、アベノミクスに酔い痴れ、東京五輪の招致成功に浮かれている。


いや私たち国民も、こうした政治家を嗤えない。「東京五輪で東北復興を」の空虚なスローガンを叫び、東北の被災地を「棄民」していることに気付いていないのだ。

 

 東日本大震災は岩手、宮城、福島の東北三県を直撃したが、ここはかつて「白河以北一山百文」と呼ばれ、経済発展の埒外に置かれ、光の当らぬ日陰の存在だった。


敗戦後、我が国は驚異的な経済復興を成し遂げ、国民生産高世界第二位の経済大国に躍り出たが、この成長を支えたのは、東北地方から集団就職で都会に就職した農家出身の若い労働力だった。


彼らは下請けの零細企業か、大企業の臨時工になった。一方で、若い労働力を送り出した農家は担い手を失って衰退の一途を辿り、農村共同体は徐々に、しかし確実に崩壊していった。

 その疲弊した福島に札びらを切って、国策として原発立地を受け入れさせ、経済成長を支える膨大な電力の供給地とした。その東北地方が大震災に襲

われ、三年後のいま、復旧の目途すら立っていないのだ。

 明治以来の近代化の中で、東北地方に適切な国家資本を投入し、インフラを確実に整備していれば、今回の惨事は最小限に食い止める事ができた筈だ。


東日本大震災は、薩長藩閥政権以来の歪んだ日本近代化路線への鉄槌と受け止めるべきではないか。故郷を失い、いまも仮設住宅で呻吟する被災者の悲痛な叫びを聞くべし。


 「赤子の泣くのは俺の心が泣くのだ」と叫ぶ政治家の出現を祈るや、切である。(月刊日本3月号巻頭言より)

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