◆書評 : 渡辺望『蒋介石の密使 辻政信』(祥伝社新書) | 護国夢想日記

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◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ■ BOOKREVIEW 
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 蒋介石の「以徳報恩」なる世紀の欺瞞と親日家ぶる演出はなぜ生まれたのか
  気絶するほどの欺瞞、偽善、悪魔の詐欺師は某参謀に共通した

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渡辺望『蒋介石の密使 辻政信』(祥伝社新書)
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 個人的なことを先に書くと、辻政信は石川県出身で、金沢で育った評者(宮崎)にとっては『郷土の英雄』だった。おなじく石川県出資の作家・杉森久英が辻政信の小説を書いた。その軍人としての闊達なほどの人生は波瀾万丈、しかも戦後はベストセラーを書いて国会議員を務め、ラオスで消息を絶った。


伴野朗、宮城賢秀らの作家も、辻をモデルに冒険小説を書いた。
 


本書は、そうした庶民的人気の高い辻政信の虚像を、CIAなどの新しい証拠を並べて実像を暴き出し、地獄の底にたたき落とすほどの破壊力を持っている。
まさに新角度からの分析であり、意表を突かれる新資料が網羅されている。


すなわち辻は関東軍の一介の参謀でありながら無謀な軍事作戦を好み、部下に畏怖され、大量の犠牲を怖れずに滅茶苦茶な作戦要項を発令した。しかもそのうちの幾つかが偽の命令書だった。


シンガポールでは華人虐殺を命令し、ノモンハンでも強硬派、そして大東亜戦争で日本の敗色が濃くなるとさっと身を翻して、あろうことか敵の蒋介石の代理人として南京へ赴き、戦後パージが解かれ裁判に引っ張り出される心配が消えるやいなや、こんどはCIAにも接触し、あげくに法螺話をまとめた伝記を発行したらベストセラーとなり、その人気を背に衆議院議員に立候補して連続三回当選。


参議院一回当選。あげくのはて「アジア情勢の調査に行く」と言い残してラオスで僧侶に変装し、そのまま行方不明となった。


石川県で辻政信人気が極めて高かったのは、彼が戦後、アジアに身を隠していたと称した冒険的な逃避行を本当の話として受け取ったからだ。


ところが真実は、終戦前から蒋介石に投降する準備をし、いやそればかりか中華民国の利益のために、蒋介石の偽装親日演出を助言し、日本人に対して「仇に報いるに徳を以てなす」などという、史上空前の偽善を拡大宣伝した片棒を担いだ売国奴だったというのだ。
 


新発見のCIA資料を基にして、辻政信の行動と軌跡を改めて追求すると、従来の伝記や噂や第三者の証言と大いなる齟齬が発見される。
 


料亭に入り浸る高級将校を殴って日本軍人相手の高級料亭を放火したというのは本当だが、彼がそこまで軍人の綱紀粛正に走り、「女遊び」を嫌ったという病的な潔癖癖は、どうやら出生地が金沢でなく、山中温泉だったこと、色香と淫靡な温泉町の売春宿が環境だった辻は、はやくから故郷を抜け出すために、猛勉強したのも、この幼年期の精神的トロウマによるところが大きいと著者は指摘する。
 


そして次は病的なサディストの面を併せ持ち、やっかいなことに石原莞爾を尊敬しており、この点でまた病的に女遊びが嫌いな東条英機とウマがあった。
 


梟雄かと思えば「魔の参謀」だったというのが結論だが、しかし一介の参謀にすぎない軍人の暴走を止めることができなかった軍の全体の空気と、そのシステムの欠陥こそが問題ではないだろうか。

▼日本にとって問題は蒋介石が展開した世紀の欺瞞だ

 さて今稿の後半部を、評者(宮崎)は辻政信よりも、むしろ蒋介石に光をあてて、この未曾有の詐欺師的な政治家の実態を対照してみよう。


蒋介石は日本に留学したほどで、だからといって「親日家」ではなかった。強く親日家を偽装した。それは孫文が親日を偽装すると民間の愛国活動家やら右翼の頭目たちがころりと騙されて、資金を貢いだからである。資金ばかりか愛人も世話した。蒋介石はそれをみていた。だから第一回の親日家演出をやって、日本に高く売り込んだ。


途中で米国に擦り寄り、米国から資金援助と武器援助にありつくや、日本は不要となった。このパターンは孫文をまねたもので、日本に何回も「亡命」して骨の髄まで日本からカネを搾り取りながらも、孫文は最後に日本を裏切ってソ連に援助を求めた。
蒋介石もソ連とは異様に親しかった。
 


日本軍は昭和十九年四月から大陸打通作戦を開始し、太平洋方面での惨憺たる敗北とは対照的に「河南省、湖南省、広西省にいたる1400キロの戦線で中国国民党を次々と撃破、洛陽、長砂、衡陽、桂林などの中国側の重要拠点を次々と陥落した。


この会戦での中国軍(つまり蒋介石軍)の敗北ぶりのひどさ」ときたら史上稀なほどに無様であり、なにしろ寄せ集めの兵隊はまっすぐ歩くこともできず、援助をえるための「員数合わせ」、訓練も受けていない。
 


しかも蒋介石軍は米英から蒋介石援助ルートをつうじてふんだんに武器、食料を貰っていたにもかかわらず大敗北したのだ。
 


スティルエル将軍は軍事顧問として派遣されていたが、克明な報告を残しており、蒋介石軍の「一個師団は五千人を超えていない」「兵士は給料をもらえず、栄養失調と病気に悩まされているが、軍隊に医療班もない」「汚職がはびこっていて賞罰がひどく不公平である」「兵士達は商売にはしっている」「中国の赤十字は、ヤミ市場の本場である」
 


ルーズベルトは怒った。
おおよそ現代の貨幣価値に置き換えると、十兆円ちかくを米国は蒋介石支援にあてた。「にもかかわらず、中国大陸で蒋介石は一度も日本に勝てない」
 


この状況の報告に米国はフライングタイガーの空爆を強化した。つまり、あの戦争は日本vs中華民国ではなく、日本vs英米軍との戦争であり、蒋介石は英米にすっかり信用を失って、ヤルタには呼ばれず、蒋介石不在のカイロ宣言も、あとから署名を強要されたほどだった。

▼するりと闘うべき敵と自分を引き入れる味方を入れ替える芸術的処世

 蒋介石は、と著者は続ける。
「アメリカがもはや自分を見限ろうとしていることを、はっきりと意識した。彼はこれまでの政治的人生のパターンに従って、自分が闘うべき敵と、自分を引き入れるべき味方を入れ替える時期にきていることに気がついたのだ。ここから蒋介石のおそるべき単独行動が始まる」
 


そこで蒋介石は「貳回目の親日家」を演ずる必要に迫られた。
台湾に逃げ込んで、台湾支配は国際法上いささかの合法性もないのに、蒋介石の台湾支配を正当化するためにも、台湾経済復興のためにも、どうしても日本の援助が必要だった。
 


そこで演じられた世紀の芝居が「以徳報恩」である。
 蒋介石にとっては徹頭徹尾、便宜的打算的である。最愛の妻を離縁してアメリカへ追いやり宋美齢と結婚したのは孔家のカネが目当てであり、宋美齢のキリスト教に便乗したのも、各地で蒋介石別荘をみればわかる。
 


キリスト教徒は演技である。
わざとらしい礼拝室にマリア像がある。評者は、台北の陽明山でも南京や廬山の宋美齢別荘でも目撃したがマリア像がでんと応接室の中央に置かれていた。


蒋介石は利用する者はあくまでも利用した。だから利用しがいのある辻政信がタイミング良く登場するや国民党国防部から、共産党作戦計画に従事した。辻にとってもその歴史感覚に「愛国」の基軸にないことが、よく理解できる。


つまり帝国軍人参謀だった辻政信がある日、唐突に敵国の密使になっても感覚的に平気だったのは、武士道精神の虚実を老かいに使い分け、人間の最低限度の恥を超える、一種魔女的な要素を身につけていたのだ。その意味で蒋介石と辻政信は一卵性双生児のようである。


本書はラオスから忽然と消えた辻の、その後のルートを克明に追うが、それは本書を読む楽しみだから、この稿では書かないことにする。
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