南丘喜八郎  一度生を得て滅せぬ者のあるべきか | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

南丘喜八郎  一度生を得て滅せぬ者のあるべきか
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 織田信長は徹底して自己変革を積み重ね合理精神を研磨し、「天下布武」を実現する寸前で斃れたが、中世日本に近代の契機をもたらした鬼才である。
 


だが、信長が徹底して追求した合理精神は、終にはニヒリズムに到ることを忘れてはならない。
 


比叡山焼討ち、長島や越前の一向一揆宗徒との対決、石山本願寺攻めに示された信長の狂気の皆殺しは、ニヒリズムが合理主義の嫡子であることを如実に示している。『信長公記』は比叡山焼討ちを、こう記している。


「霊仏、霊社、僧坊、経巻一宇も残さず、一時にうんかのごとく焼き払い、灰燼の地となるこそ哀れなれ」
「数千の屍算を乱し、目も当てられぬ有様なり」
 


信長の徹底した寺社の焼討ちと殺戮は、我が国が政経分離を実現し、近代への第一歩を進める契機となった。信長は震え上がるほどの恐怖心を抱かせることによって、宗教が政治に介入することを徹底して排除したのだ。
 


わが国は、信長によって、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」(新約聖書『マタイによる福音書』)というキリストの言葉を、欧米のどんな宗教的な国よりも先んじて実現したことになる。
 


永禄三年(一五六〇)五月、駿河の今川義元は四万五千の大軍を率いて尾張に侵入、十八日、遂に織田信長の軍と戦端を開いた。


対する織田の軍勢は僅か四千余、織田側の砦は次々に陥落した。清洲城で敗戦の報を聞いた信長は翌十九日早暁、電光石火、行動を開始する。『信長公記』はこう記している。
 


「此の時、信長、敦盛の舞を遊ばし候、人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり、一度生を得て滅せぬ者のあるべきか、と候て、御物具めされ、たちながら御食をまいり、御甲をめし候て御出陣なさる」
 


信長は桶狭間で自ら敵本陣に斬り込み、旺盛な攻撃精神で奇襲に成功、今川義元の首級を挙げる。この桶狭間の奇襲成功は、信長に自己変革の契機を与えた。その後、決して桶狭間のような奇襲作戦を行おうとはしなかった。
 


長篠の合戦では、敵の武田勢に倍以上の勢力を以て対峙する。最新兵器の鉄砲三千丁を駆使し、当時最強と言われた武田軍の騎馬隊を一蹴し、これを殲滅した。


信長は戦いの度に、自らの軍団と戦略・戦術の在り方を革新しつつ、殺戮と混乱の続く戦国の世を戦い抜き、天下布武への道を拓いていった。
 


信長は絶え間ない自己変革を続けることによって、戦略・戦術だけでなく、政治経済や人々の持つ無常観などの社会的通念など中世の社会構造そのものを解体して、新たな時代を切り拓いた。信長の強靭、かつ徹底した合理精神は、時代を大きく転換させる巨大なエネルギーを発揮するに到る。
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 戦いに明け暮れた同時代の戦国武将上杉謙信は、武田信玄と同じく、禅に帰依し剃髪した仏教徒だった。
 


信長の死生観は決定的に異質だった。彼らの死生観を徹底して拒否した。伝統的な仏教的無常観を排し、近代的ニヒリスティックな死生観を持つ信長は自らの死生観だけでなく、強烈な個性とエネルギーで、彼が生きた戦国時代の武将が持つ死生観すら変革させる気魄と狂気とを併せ持っていた。
 


信長が信奉する合理主義の本質は如何なるものか。
 合理主義は主体の自由を徹底して追求する。世界と人生の全ての面で合理性を貫くには、その事柄に付随する一切の事情・因縁・過去・来歴を無視する自由を必要とする。


こうして、自由を追求する合理主義は、究極的に自己を拘束する既存の一切の価値を否定するニヒリズムに辿り着く。
 

合理主義を貫く信長にとって、比叡山焼討ちや一向宗徒殺戮は、正義の顕現などという価値観に基づくものではなく、彼らを物理的に消し去ることに過ぎなかった。ニヒリズムこそが徹底した合理主義を支える根拠なのだ。
 


桶狭間の奇襲で今川義元を斃し、殺戮と混乱の続く群雄割拠の戦国時代を終焉させ、天下統一を志した信長は、古来、英雄として、高く評価されてきた。
 


戦前、帝国陸海軍は信長流の奇襲作戦を得手とし、これを多用して、「桶狭間の戦い」に譬えた。昭和十六年十二月、真珠湾攻撃に先立って連合艦隊司令長官山本五十六は、海軍大将嶋田繁太郎に「桶狭間と鵯越と川中島を合わせ行う」と述べたという。彼ら軍人は「滅せぬ者のあるべきか」の死生観は共有したが、国家社会構造を変革するという強烈な意志とエネルギーは持ち合わせていなかった。
 


そして今、新自由主義なるマネー至上主義の超合理主義がわが国を侵しつつある現代版の「比叡山焼討ち」だ。 信長の強烈なる合理主義の根幹にニヒリズムが潜んでいたことを、我々は熟知せねばならぬ。
(月刊日本9月号巻頭感より)
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