国柄探訪: 『国民の修身 高学年用』を読む | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

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国柄探訪: 『国民の修身 高学年用』を読む

 国際社会で尊敬される日本人の育成を目指した戦前の道徳教育

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■■■ 全国学生青年合宿教室 ■■■
http://kokubunken.or.jp/camp/index.html

(伊勢雅臣: 弊誌の原点はこの合宿教室で学んだことです)

8月22日(木)~25日(日)
七沢自然ふれあいセンター(神奈川県厚木市)

メイン講師 日本政策研究センター代表 伊藤 哲夫氏
「近隣諸国の動向と日本国のありやう」
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■1.国際派日本人を育てるための「修身教科書」

 これはまるで「国際派日本人」を育てるための教科書ではないか、と思った。戦前の道徳教育の教科書を編集した『国民の修身』[a]がベストセラーとなり、その続編として刊行された『高学年用』[1]を読んでの感想である。その帯には次のような引用がある。

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 我らも国交の大切なことを忘れず、つとめて外国の事情を知り、外国人と交際するに当たっては、常に彼我の和親を増すように心掛けましょう。 我が国 第十課 国交(現代語訳)

 国旗はその国の印でございますから、我ら日本人は日の丸の旗を大切にしなければなりません。また礼儀を知る国民としては外国の国旗も相当に敬わなければなりません。 我が国 第四課 国旗

 外国人に対して礼儀に気をつけ、親切にするのは、文明国の人の美風です。 公民の務 第一課 礼儀
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 何かと言うと反日暴動を起こしたり、日の丸を焼いたりする近隣諸国の一部国民に学んで貰いたい事ばかりだ。彼らはいまだ「礼儀を知る国民」でも、「文明国の人」でもないのだろう。

 現代日本人が知るべきは、このような「修身教育」が、戦前から行われていたということである。今回は、この本から、特に国際社会に関する項目を見てみたい。


■2.「外国と対等に交際することになりました」

「外国との交際」に関して、次のように我が国の歩みを振り返る。

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 我が国は、徳川幕府が久しい間外国と交通することを禁じていたので、明治以前には余程(よほど)世界の大勢に後れていました。それがため、外国と交際を開いた時には、大そう不利益な条約を結び、その後長らく苦しみました。

 しかし国民はよくこれに耐え、力を合わせて国の繁栄をはかった結果、ついに外国も我が国の実力を認めたので、我が国は条約を改正することが出来て、外国と対等に交際することになりました。[1,p66]
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 欧米諸国が武力を背景に、アジア・アフリカ諸国と不平等条約を結ぶのは各地で見られた事であった。それを暴力で覆そうとしたのが中国だった。英米や日本の民間人を襲ったり、商店を略奪したり、商品をボイコットしたりと外交上の義務を果たさなかった[b]。米外交官ジョン・マクマリーは次のように記している。

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 人種意識がよみがえった中国人は、故意に(JOG注:対外条約で約束した)自国の法的義務を嘲笑し目的実現のためには向こう見ずに暴力に訴え、挑発的なやり方をした。・・・中国に好意をもつ外交官たちは、中国が外国に対する敵対と裏切りを続けるならば、遅かれ早かれ、一、二の国が我慢しきれなくなって手痛いしっぺ返しをするたろうと説き聞かせていた。[2,p221]
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 我が先人たちは、こういう野蛮なやり方をしなかった。歯を食いしばって国内の近代化を進め、我が国の実力を認めさせることで、条約改正にこぎつけ、対等の外交を実現した。しかもそれを修身の教科書で「外国との交際はかくあるべし」と教えているのである。


■3.「小さい軍艦で、よくも太平洋を無事に越えてきたものだ」

 外国に実力を見せつけた事例として、勝安芳(勝海舟)の逸話が出てくる。若いときに西洋の8巻の兵書を買えなくて、それを持つ人の家に毎晩出向き、筆写した逸話をまず紹介する。

 その後、勝は長崎でオランダ人について航海術を学んだ。そして、幕府が国使をアメリカに送るという話を聞く。

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 安芳はそれを聞いて、我が航海術の進歩を見せるには、この上もないよい機会だと思ったので、自分の教えた部下を指図して日本人の力だけで航海をしたいと願い出ました。[1,p177]
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 幕府は日本人だけでは危ないと容易に許さなかったが、安芳の熱意に負けて、咸臨丸(かんりんまる)という小さな軍艦を派遣することとした。

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 航海中は毎日のように雨風が続いて、海が大そう荒れました。嵐が激しい時には、船体がひどく揺れて、ねじ折られそうになったことが幾度もありました。

 しかし、安芳らは少しも恐れず、元気よく航海を続け、日本を出てから三十八日目にサンフランシスコに着きました。アメリカ人は、日本人が航海術を学んでからまだ間がないのに、少しも外国人の助けを受けずに、小さい軍艦で、よくも太平洋を無事に越えてきたものだと、大そう感心しました。[1,p178]
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 当時の小学生たちは、こういう逸話を読んで、自分も国の発展のために何事かを成し遂げようという気概を抱いた事だろう。


■4.「欧州諸国に比べて見ると、まだ及ばない所があります」

 しかし、対等の条約を結んだからといって、それでもう世界の大国になった、というような夜郎自大な意識は全くない。

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 我が国は、かような発達の結果、欧州大戦の後には世界の大国の中に列することになりました。・・・しかし現在でも、英・米・独・仏等の欧州諸国に比べて見ると、まだ及ばない所があります。将来我が国が更に発達してこれらの国々と肩を並べて共々に、文明の進歩をはかって行くようにするのは、我等の責任です。[1,p68]
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 これに比べれば、戦後の高度成長で世界第2の経済大国になったと浮かれたり、中国に抜かれたと言っては落ち込んだり、という姿勢は、いかにも子供じみたものに見えてくる。

 世界の中で問うべきは「文明の進歩をはかって行く」上で、国家としてどれだけ貢献しているのか、ということだ。そのためには、国民一人ひとりがよく身を修めて、立派な日本人にならなければならない、というのが、修身教科書の教えである。