「日本の“真の敵”は、内なる日本人と日本国民である」 三橋貴明さん | 護国夢想日記

護国夢想日記

 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

「日本の“真の敵”は、内なる日本人と日本国民である」 三橋貴明さん

書いてしまおう。日本の真の敵は国内にいる日本人、そして日本国民だ。
もちろん、現在の中国は尖閣諸島をめぐり、ほとんどわが国の仮想敵国化している。


とはいえ地球が「ワン・ガバメント」で統一されておらず、複数の国民国家が存続している限り「外国」は常に仮想敵国なのである。何しろ、「外国」とは国益を共にしていない。
 

国家とは、人間一人一人が豊かに、安全に暮らしていくために必須の共同体として「最大」のものである。地球統一政府が誕生しない限り、一国民にとって国家を超える共同体は存在しえない。
 

エネルギーに代表される資源が有限であり、さらに製品、農産物等の生産能力に差異がある以上、国境の「向こう側」と「こちら側」とでは利害が衝突する。各国は各国なりの国益を抱えているわけであり、「他国と国益が完璧に一致する」状況が発生する可能性は、はっきり言ってゼロパーセントだ。

だからこそ、各国の国益が衝突する場、すなわち「外交」が必須
となる。
 

先日、PHP研究所の雑誌『Voice』の企画で、金美齢先生と対談させていただく光栄に浴したわけだが、金先生と「日本の問題」として一致した点がいくつかある。
 

一つ目は、そもそも現在の日本が近隣諸外国と抱えている外交問題の多くは、国家観を喪失したどころか、自虐教育の影響で「日本を憎む」に至った日本人が産み出したものであるという点だ。

典型例が、言うまでもなく「いわゆる従軍慰安婦問題」である。
 ちなみに、筆者は著作などで「日本人」と「日本国民」を明確に使い分けているのだが、お気づきになられただろうか。日本国に居住し、国民としての意識を持ち続けている日本人について筆者は「日本国民」と呼んでいる。

戦後の多くの「日本人」は国家観を喪失し、自分が「何」によって守られ、「何」のおかげで豊かに生きていくことができるのかを、失念してしまっていた。


昨今、情報のゆがみが正され、日本人の多くが国家を意識し、「日本国民」として目覚め始めていることは、実にすばらしい変化である。

「従軍慰安婦問題」は反日勢力が生み出した創作物語
 

さて国家観を喪失した日本人の中でも、最悪の部類は「自分は日本人ではなく、地球市民だ」などと寝言を言ってのけ、それどころか「日本を壊す」ために度肝を抜かれるほどの努力を重ねてきた連中だ。

彼らのことを、便宜的に「反日日本人」と呼ぼう。
 いわゆる従軍慰安婦問題は、彼ら反日日本人たちが産み出した「創作物語」である。


何しろ、戦時中を含めて「従軍」慰安婦というものは存在したことがない。
 もちろん「慰安婦」はいたわけだが、戦時中に「従軍」慰安婦という言葉が使われたことは一度もない。

「従軍」慰安婦とは、慰安婦を日本軍が強制連行した(今のところ証拠は1つも見つかっていない)ことを匂わせるために広められた造語だ。
 従軍慰安婦というフレーズを初めて用いたのは、戦後のノンフィクション作家である千田夏光といわれる。

千田夏光が産み出した「従軍慰安婦」という用語に朝日新聞が食いつき、
さらに吉田清治という稀代の詐欺師が出版した『私の戦争犯罪』で、「第2次世界大戦中に日本軍人が朝鮮の女性を強制連行し慰安婦にした」
などと証言(後にウソと判明)したことで、朝日新聞がさらに燃え上がった結果、世間に広まった「創作物語」こそが、いわゆる従軍慰安婦問題なのだ。
 

プロパガンダに「記憶」を操作されやすい傾向がある韓国人は、慰安婦と戦時中の徴用を混同した「従軍慰安婦の物語」を、今では真実であると固く信じているのだろう。

とはいえ、吉田清治が韓国で巡業(講演と謝罪)を始め、福島瑞穂ら日本の弁護士が韓国の元慰安婦を探し求め、対日裁判を起こし、朝日新聞が大キャンペーンを張るまで、韓国人は従軍慰安婦問題など誰一人意識したことがなかったのである。
 

日本の外交にとって、いわゆる従軍慰安婦問題を「創作した」反日日本人たちこそが、真の意味で「敵」である。日本以外の国々、すなわち「外国」と国益がぶつかり合い、軋轢や揉め事が発生するのは、これは国家として当たり前のことだ。


外国相手の交渉に「丸く収める」対応は通じない。

 さて、金先生と一致した「日本の問題」の2つ目は、日本「国民」の問題である。反日日本人の存在同様に、こちらもまた厄介な問題である。
 

日本国内で言語、文化、伝統、風俗、ライフスタイルなどを共有してきた日本国民は、基本的に揉めごとを嫌う。しかも、極めて潔癖症というか、「問題は、解決しなければならない」という誤った信念を持っているため、外国との紛争時に、すぐに「決着」をつけようとしたがるのだ。


閉ざされた日本列島という島国で生きていた時期ならばともかく、外国との接触が濃くなった現代において、「争いを収める」ことを好む日本国民の習性は、重大な問題を引き起こしてしまう。
 

基本的に、国益が異なる国同士がもめ続けるのは、これは「普通の環境」である。


ところが、日本国民は隣国とのあいだで何か外交問題が発生すると、なんとか解決しようしてしまう。
 筆者にいわせれば、それこそが間違いの元で、あらゆる日本の外交、歴史問題の元凶がここにあるように思える。

おそらく中国との間の尖閣諸島の問題は、この先、200年ぐらい解決しない(中国共産党が今のまま存続すれば、の話だが)。尖閣諸島の領有権について、日中両国が互いに譲れない「国益」と考えている以上、それはむしろ当然の話だ。

 ところが、日本国民は領土紛争に代表される外国との緊張状態に耐え続けることができない。
そしてある臨界点に達すると、一気にそれが弾けてしまう。
 

恐らく、戦前の日本もそうだったのではないだろうか。対米開戦を知ったとき、多くの日本国民が「晴々した気持ちがした」 という。アメリカとの厳しい外交的緊張関係に耐えきれず、当時の日本国民の多くは「いっそ、戦争を」と考えたのではないだろうか。
 

あるいは、いわゆる従軍慰安婦問題における河野談話である。1992年、従軍慰安婦問題に関する朝日新聞の「誤報」が掲載されたとき、宮沢内閣は、「日本軍による強制徴用の裏付けとなる資料は見つからなかった」という内容の調査結果を発表した。
 

ところが、ある意味当然ではあるのだが、朝日新聞にあおられた韓国人の対日批判は収まることを知らなかった。結果、宮沢内閣は翌年8月、河野洋平官房長官が「慰安所の設置、管理、慰安婦の移送」について日本軍の関与を認め、政治決着を図った。

これこそが、現代にまで尾を引く悪名高き「河野談話」である。
 そもそもの問題は、慰安婦について「軍による強制連行があったか、否か」であり、それ以外の争点はない。

ところが、韓国ともめ続けることに耐えられなかったのか、日本政府は安易に「落としどころ」を求め、事態を長期化、深刻化させてしまった。この「落としどころを求める」というのは、日本国内で揉めごとを減らすために日本人が産み出した知恵なのかも知れないが、外国や反日日本人は「そこ」を利用してくる。

 結局のところ、日本国の外交を正常化(あるいは「グローバル化」でも構わない)するには、国民が 「国内と外国は違う」という、当たり前の事実を認識するしかない。

筆者は、国内での揉めごとが少なく、争い矛を収めようとする(いわゆる「丸く収める」だ)人々が暮らす日本国が大好きだが、外国を相手にする場合は、それでは困るのだ。
 

相手との緊張状態に耐えられない日本国民の習性。これこそが日本に外交的敗北をもたらしている根本的な原因であると、いい加減に日本国民は理解しなければならない。


われわれ日本国民は、決してユートピアに暮らしているわけではないのだ。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


最後にクリックよろしくお願いします。

治ブログランキングへ