今も生きている「ジョンの魂」
ジョンは皮肉にも過去の「奴隷貿易」の拠点だった「リバプール」で生まれ、ビートルズもリバプールから世界に羽ばたいた!
なお、この記事は2年前に発行された藤本国彦さんの著書の「ジョン・レノン伝」から引用させていただいています。
ジョンはイギリス・リバプールの労働者階級の家に生まれました。船員だった父はジョンが幼い頃、蒸発。母のジュリアは別の男の人と生活。ジョンは躾が厳しい中産階級のミミおばさんの家で育てられます。
ジョンは学生時代、喧嘩っぱやいガキ大将、札付きの不良でした。
思春期にジョンは叔父ジョージ、母・ジュリア、親友・スチュアート・サトクリフを亡くしています。ジョンは悲しみを内面に隠し内面の弱さを表面では強がる性格を強くしました。
ジョンが音楽に興味を持ったのは母・ジュリアの影響です。ジュリアは自由奔放な女性で音楽が好きでした。しかし、ジョンが18歳の時、ジュリアは交通事故で亡くなります。数年前から二人の交流が深まっていた時でした。
ジョンの名曲「Imagine」のイメージから、ジョンは「愛と平和の人」というイメージが強い。
しかし、藤本さん曰く、
「ジョンほど人間臭く、危なっかしく、うちに狂気を秘めてる気分屋はいない。」
《ジョンの心の奥底の暗い闇》
ジョンはミミ叔母さん夫婦に育てられ、人格形成で重要な乳幼児期に母からの愛情をもらえませんでした。
人間は生まれて初めて触れ合う母親に愛され、関係を持つことで、人間が信じられることを学び、自分を信じることを学びます。
ジョンはこの部分が欠如していたため、第二の母親のヨーコとの関係や精神療法などで、遡って発達の課題をクリアしていったのかと思います。
ジョンは1969年にビートルズを脱退。
1970年にアーサー・ヤノフのプライマリー療法を4か月間受けました。
プライマリー療法とは、精神的なダメージの根源を過去へと探っていき、「叫ぶ」ことによってその傷を癒すという治療法です。
ソロアルバム「ジョンの魂(John Lennon/Plastic Ono Band)」の中の曲はこの治療中に作られました。
ジョンは心の中の深い闇(傷)を叫ぶことで癒しました。
その中の「Mother」は悲痛な叫びでした。こんな赤裸々な歌はほかに聴いたことがありません。心の奥底の暗闇の深さを感じます。
歌詞の一部「Mother,You had me. But I never had you.
I,I wanted you. You didn't want me.」「Mama Don't go Daddy Come Home!...」
ジョンは「GOD」で、夢は終わった、と言い、それまでの価値観、ビートルズを否定。
自分は子どもの頃からセイウチの仮面をかぶっていた。
I just believe in me, Yoko , and me , and that’s reality
「ただ僕を信じるだけ、ヨーコと僕を、それが現実」
ひとりの人間として、過去のしがらみを捨て、ヨーコとともに自分軸で生きていく宣言だった!
このアルバムについてジョンの一言「俳句は最も美しい詩だ。自分の書く曲はもっと短く簡潔になっていくかもしれない。このアルバムには歌詞も音もシンプルで禅の精神がある。」
1971年にヨーコとお忍びで来日した時のジョンの逸話を一つ
歌舞伎を観て、殺された我が子を見て母親が泣き続ける場面を観て、ジョンの頬には、とめどなく涙が流れている。それをヨーコがハンカチで拭き続けている。
歌舞伎座に連れて行った骨董店の店主「日本人よりわかっている。目で見ているのではなく、心で見ているんですよね。」
ジョンが日本の文化、その良さを体感していたことは日本人として嬉しいですね😊
最後に👍
今回の記事の参考にさせていただいた本の著者の藤本国彦さんはジョンが生前言いたかったのは、
「対話を重視しながら、主体性を持って、肯定的に生きること。
そうすれば、それが愛と平和に繋がること。」
と言っています。
コミュニケーション、自分軸、自己肯定感
人としてとても大事なことばかりですね☺️
ジョンの魂は「Imagine」などと共に、永遠に生きています!