7月30日明け方4時6分に、愛猫のトムが旅立ちました。
16歳と3か月。亡くなってすぐの写真を見て驚きました。
こんなにも笑ってる顔を生きてる時には見たこともなかったから。
きっと気づかなかったけれど、生きている間心が苦しい時もあり、
ここ最近は体がしんどかったのだと思います。
4月9日の夜中に、突然の発作を起こし翌日病院へ連れて行ったら、
心臓に腫瘍があるようだと、心臓の周りに羊水がたまっていて、若干1センチくらいだから
お薬でどこまでやれるかという感じですが、これが3センチになったら通院して水を抜く処置をはじめることになります。
それでどこまで生きれるのか・・・年齢的にも厳しいです。
診断書には狭心症と書かれていて、レントゲンやCTの検査では肺に白い靄(影)がかかっていて、食道も通常の半分くらいの太さになってしまっていて、息苦しいはずですと言われた。
そして、極めつけはこのようなケースだと、どんな医師も余命1か月というところでしょうか・・・。
と余命宣言。
3月の終わりに、もう一匹のジェリーの慢性腎不全と糖尿病が悪化しはじめ、もう長くないかもと考えていた私にとって、トムへのこの宣告に動揺を隠しきれませんでした。
それでも定期検診へ行くたびに彼の数値はよくなり、なぜかレントゲンでは羊水も影もなくなり、食道の太さも通常に戻っていった。
唯一、心臓内の腫瘍だけが気になるけれど、心臓の腫瘍だけは調べることができないと言われました。
そんな中、5月29日に愛猫のジェリーが旅立ち、どこかで回復の兆しをみせているトムはまだまだ元気で生きながらえると信じてしまっていて、どこかで彼への配慮がおろそかになっていきました。毎日元気で過ごしているトムは、私にとっては当たり前のことで、戻ったらそこにいる存在でした。
ジェリーはいつも一心同体で、そばにいようと離れていようと彼女とはペットを超えた意思疎通をしていました。
これはペットを持つ人や、それ以上の関係性を築いている人にしかわからないけれど、わたしにとってのジェリーの存在はそんな形で、彼女が私の支えであったこともあります。
こんなことを言ったら軽蔑されるかもしれないけれど、愛情の深さに変わりないけれど、私はトムよりもジェリーが大好きで、いつもジェリーを中心にペットとの生活をしていました。
ジェリーもまた、私以外の人にはなつかず、私とトムという小さなコミュニティーでしか生きられない子でした。
トムはいつもジェリーの次で、トムはずっと我慢をして生きていたのだろうと今やっとそう思っています。
そんな二匹のトム&ジェリーは、私の一番キラキラ輝き、いろんなことを吸収し、いろんな苦楽を体験した29歳から45歳までという月日を一緒に旅してくれた存在です。来る日も来る日も忙しい私の帰りを待った晩年はどれほど寂しかったことだろうと、と胸が締め付けられます。
ジェリーを失って深い悲しみの淵から抜け出せず、こうしてブログやFacebookでお知らせすることもできずに、49日(7月17日)に納骨する予定がそれもできずにぐずぐずしていた矢先・・・、7月30日明け方にあっという間にトムはいなくなってしまいました。
その日はなぜか予定が大幅に変更され、珍しくおうちでトムとゆっくり過ごしていて。ジェリーがいなくなって丸二か月が過ぎたことを確認しながら、「トム~、ジェリーはもう帰ってこないんだよ~」と伝えていました。
トムは時々、ジェリーがいつも座っていた場所でじーっとジェリーの帰りを待っているような様子の時があり、あれ?この子はまだジェリーが死んでしまったことに気づけていないのだろうか?と感じることがあったから。
本当のところはわからないけれど、トムはジェリーを探していました。
いつも夜中になると一度目を覚まし、残ったドライフードを少し食べてお水を飲みトイレを済ませるのですが、その日はいつもどおりごそごそ動き出し、そこから少し違和感のある行動が始まりました。珍しく私がトムと呼ぶと足早に私に近寄り抱っこを求めてきました。重たい大きな体を抱っこして、いつもおねだりする額をなでてやるとぐるぐると言い出し、と思ったら途端に今度はジェリーの使っていた座布団へ近づき臭いをかぎ始めました。あれ?あれ?と思いながらも、私はずっとテーブルに向かって仕事をしていました。横目で彼の動きだけを気にしながら。
夜中の二時半を過ぎたころ、気になってトムへ近づくと、突然舌を出しはじめ、息荒く何かを訴えかけてきました。背中をさすり、トム、トムと声をかけましたが、それは余計にひどくなり口で息をするようになり、その息遣いは尋常ではなくなりました。慌ててかかりつけの医師へ連絡してみるものの、連絡つくわけもなく動揺しながらあちこちへ電話し、あちこち病院を探しました。やっとの思いで見つかった病院はまるで神様のようでした。必死でその病院へ駆け込みましたが、到着した時にはすでにぐったりしていて息も静まり返っている様子でした。瞳孔がひらき、よだれがとまることなく出続け、意識がだんだんなくなっていきました。
「いかないで。トム君。まだまだジェリーの分も長生きしようねって約束したでしょ。」
「しっかりして。トム君。大丈夫だから。頑張ってよ。もうちょっと頑張ってよ。」
「ジェリー、お願い。トムを連れて行かないで。お願いだからジェリー。トムともう少しいさせてよ」
半狂乱の私を見て、先生は必死で止まりかけたトムの心臓のマッサージをしてくれました。
「起きてよ。目を開けてよ。」
いきなりすぎるトムとの別れに現実を受け入れられない私は、心臓が止まっていると伝えられてもずっとそう叫んでいました。
先生はその声にどうしようもなく切なそうに、あきらめた心臓マッサージを再度施してくれるほど、私の叫び声は静かな明け方の病院に響き渡っていたのだと思います。
ジェリーが亡くなったのは5月29日17時32分頃
トムが亡くなったのは7月29日をひとまわりした30日の朝4時6分頃。
ちょうど2か月後の彼の死に何か意味を感じずにはいられない気持ちです。
ちゃんとお別れができないまま、ぽっかりと空いた心の穴を埋めるように、目がパンパンにはれて別人になるほど私は泣きました。突然すぎる彼の死をどうやって受け止めていいのか最初はわからなかったけれど、泣きつかれた後に今度は「そうだったよね。どんなに7月12日の定期検診で数値が順調です。と言われても、腫瘍もあるだろうと言われていたし、何より余命一か月と4月に言われていたからそれをおざなりにしていた私が悪い」と今度は自分をせめるようになり、「もしかしたら飲ませたサプリメントがのどにつまったんじゃないのか?私が殺してしまったのではないのか?」と亡くなった理由の答え合わせを始めるようになりました。
こうしてみると、トムの死に顔はジェリーにそっくり。私にはまったく別人に見えていたけれど、二人はそっくりだったんだね。
そんな感情の行き来をしたまま、今日夕方火葬を終えました。
「トム、ごめんね。寂しい思いをさせて。」「何もしてあげれてない」「ごめんね」「やっぱり焼きたくない」そればかりを連呼していた私。ジェリーの時よりも名残惜しくて、心の乱れをコントロールできずにいました。
火葬を終えて納骨をするときに、何か腫瘍がありませんでしたか?と聞かれました。
あるかもしれないことはずっと言われていました。と答えると、
「こんなに大きなこぶのようなしこりがあっておそらく腫瘍だとは思うけれど、それを抱えて16歳まで生きてこられたこの猫は本当に生命力があったんですね~。そして、何より愛されていて幸せだったと思いますよ。何もしてあげてないっておっしゃっていたけれど、この年まで生かせてあげたのだから十分じゃないですか。通常猫はオスは13歳位が普通の寿命です。それが16歳だから人間に換算すると15歳から20歳くらいは寿命より長く生きたことになる。それだけで私はトム君の飼い主でしたと自慢できることですよ。自信もって元気を出してくださいね」と。
火葬の前にきれいな猫だね~と優しく包むように声をかけてくれたその人は、最後まで変わらないやさしさでいろんな話をしてくれて、私を見送ってくれました。
長い長い文章をお読みくださりありがとうございます。
今日のこの日を忘れたくなくて、ここに記録として残しておこうと思いました。
どうぞ支離滅裂かもしれませんが、記録紙と思ってお読みいただけたら幸いです。
私はジェリーが好きで、トムもおそらくそれを知っていました。トムへの愛情と少し違っていたことも。それなのに、
ジェリーの死の時よりも、悲しくて涙が止まらないのは、ジェリーは3か月という濃密な介護生活があり、病気が発生してからは、限られた時間を精一杯半年は彼女のために費やした。忙しい私が仕事をしないという選択さえしたほど。だから、もう長くないと覚悟を決めてその準備ができていたジェリーの死より、突然死のトムのほうを嘆き悲しむのだろうと、火葬の時まではそう思っていました。
でも、それは少し違っていました。
トムがとか、ジェリーがではなく、わたしにとってトムとジェリーは、にこいち(二人で一人)だったようです。
じぇりーがいなくなっても、まだトムがいるという安心感で私はジェリーの死を悲しみながらも前に進んでいけていました。
静かに悲しみの淵にいながらも、前に進む努力をしていたし、どこかでまだ冷静でした。
火葬しておうちに戻ったときに、トムの姿を目で追う自分に気づきました。そしてジェリーも。二人の姿がリアルに浮かんでくるんです。お風呂場にもクローゼットにもいつも座っていたマッサージ機の上にもトムがいる気がして。ジェリーがいる気がして。
どうしてだろう。そのリアルさはジェリーよりもトムのほうが全然濃い。まだそこにいる気がして。
そうして気づいたこと。
ジェリーが呼んだのでなく、トムが自らジェリーに会いに行ったということ。
そして、だからジェリーの死後にこうして今のようにブログに記録することができなかったのだということ。
トム、きっとしんどくてもしんどいと言わず何年も頑張っていたんだろうね。
出来損ないの飼い主だったけれど、あなたとジェリーの絆に気づけたよ。
そして、私はどんなに忙しくてもあなたたちを忘れたことは一日もなかった。
し、これからもきっとそうでしょう。
16年間本当にありがとう。