• 28 Apr
    • 「愛」ってなに<5>

      楽しみにしてくださっていた方、お待たせいたしました~。ではではさっそく参りましょう。---前回は、くまぷ~とヨシナガさんという二人の男性の話を出し、「愛しているのはどっち?」「いったい、愛ってなに?」「好きってなに?」と問いかけたところで終わりました。たくさんのコメントをありがとうございます!全体を読んでみて多かったように思うのが、「くまぷ~は愛、ヨシナガさんは恋」「くまぷ~は愛、ヨシナガさんは執着」「くまぷ~には恋愛感情がなく、ヨシナガさんには恋愛感情がある」のようなご意見でした。そして、結論は主に以下の3つに分かれたように思います。1、くまぷ~もヨシナガさんも愛である2、くまぷ~は愛だが、ヨシナガさんは愛ではない3、くまぷ~もヨシナガさんも愛ではないなるほどなるほど。くまぷ~は愛ではない、ヨシナガさんは愛である、 というご意見はなかったようですな。 ■はい、というわけで、この話で考えないといけないことは、「恋愛ってなに?」ということだと思います。今まで「愛」については書いてきました。私の発見した愛の定義は、「自分と相手が同じだと感じること、区別がないこと」つまり「自己の拡張」だということでした。だから、相手が幸せなら、自分も幸せ。子供がお腹いっぱいなら、私は食べられなくても満たされる。我が母国・日本が勝つとまるで私が勝ったように嬉しい。こういうのが愛ではないか、という話でしたね。 しかし・・・!「あなたの大好きな人、ヨシナガさん」が、大好きな女性と結婚が決まって幸せそうだと、「壊れてしまえ!」「別れてしまえ!」と願い、苦しくてつらくて仕方がない。なんということでしょう。「好き」なのに不幸を望むなんて。これは、愛=自己の拡張(地続き感、一体感)であるという定義からすると、愛の真逆であるといえませんか?だって、「彼の幸せがあなたの不幸」なのですから。そこには「一体感」ではなく、「分離感」のみがあるわけです。彼の幸せを、彼と一緒に喜べるくまぷ~への気持ちは定義にあてはめると「愛である」といえます。一方、彼の幸せが自分の苦しみになってしまうヨシナガさんへの「分離感」は、愛ではないといえます。というわけで、 「いったいあなたが愛しているのはどっち?」という問いかけへの答えは2、くまぷ~は愛だが、ヨシナガさんは愛ではないとなりそうなのですが、しかし、果たしてそんなカンタンなことなのでしょうか?■ これまでずっと、愛についてはみてきましたが、では、恋愛の「恋」とはいったいなんなのでしょうか?くまぷ~、ヨシナガさん、二人への思いの違いは、いただいたコメントにもたくさん書かれていたように、「恋愛感情の有無」です。私が若造のとき、友達と「恋愛感情っていうのは、まさに化学変化だよね。この化学変化が起こらないと、男として見れないよね」と話していましたが、この化学変化が起こってしまった相手がヨシナガさんなわけです。「いい人」 → 「トキメキ」という化学変化ですね。どーでもいい人はただの男にしか見えないのに、この化学変化が起こってしまうと、彼のなにもかもが虹色にキラキラして、あなたの心もフルフル、うるうるしてしまうのですね。砂と塩を同じビニール袋に入れて混ぜても、混ざった砂と塩です。 しかし、水素と酸素を合わせると、水素でも酸素でもない新しい物質「水」ができます。これが化学変化ですね。 (理科とか苦手なんで、違ってたら教えてくだちい。笑) あなたとくまぷ~が会っても、ただ、あなたとくまぷ~がいるだけです。(少なくともあなたにとっては。) しかし、あなたとヨシナガさんの場合には、新しい何かが発生したはずです。虹色のキラキラ、胸のキュンキュン。そういうもの・・・つまりトキメキです。 あなたは、まるで違うものになっちゃうのです。 だから、彼とのことは、なにもかも、 客観的に、冷静に、正しくそのままを見ることができなくなってしまいます。そして、あなたは今でも化学変化したままいうことですね。 また、最初からトキメイテいるという場合ももちろん多々ありますが、たとえば、くまぷ~が結婚すると聞いたら、ほんとはくまぷ~を好きな自分に気がついて、悲しくて泣いた、というストーリーもありえるわけです。くまぷ~なんて眼中になくてヨユーかましてたら、彼の結婚が決まり、価値が高くなったように思えて急に男として見るようになった、とかで。これは、あとから化学変化が起こったのですね。まあまあ、つまりは、トキメキ = 恋(恋愛感情)ということですよね。では、恋愛感情の有無は、どのように見分けることができるでしょうか?これは簡単で、よく私たちが言う、「くまぷ~とはチューできない~」「ヨシナガさんとだったら超したい~」「くまぷ~とチューとかありえないと思ってたのに・・・」ってやつです。ブログにも以前書きましたが、恋愛が他の人間関係と違うのは、性の要素があるということですね。これは、実際に性的な行為をしているかどうか、ではなく、相手を性の対象としてみているか、ということだけが大事です。だから、話したこともない人に対する片思いも、すっごい好きな男性タレントに対する思いも、トキメキであり、恋であるといえます。 実際に彼と性的な行為をしていなくても、「二人だけでいたい」「くっつきたい」「チューとかしたい」などと「無意識にでも」感じるからこそ、「恋」なのですから。性的要素が必要な「恋」「トキメキ」には、「一体感」「自己の拡張」はかならずしも必要ありません。そして、愛は親子愛、同胞愛、友愛など無数にあり、その多くに性的要素はありません。なので、 恋 ≠ 愛 といえますね。これは、恋と愛はまったく違う、という意味ではなく、「とりあえず、恋と愛は同じものではないよ」くらいの意味だと思っておいてください。次回は、恋と愛の違いをさらに掘り下げていきます~。そして、なぜあなたは、ヨシナガさんの結婚を喜べないのか?に向けて少しずつ考えていきます。 ・・・このシリーズの内容はちょっと分かりにくいかもしれないですが、ただ恋愛や人間関係や仕事などの達成法、解決法だけを夢中になって考えるよりも、「恋愛ってなに?」「自分ってなに?」など、もっと普遍的なレベルで考えることで、恋愛、人生全般において、あなたのステータスが間違いなく上がり、余裕を持っていられ、思い通りの人生を歩めると思っています!また仕事の間隙を縫って更新します。 (今回はジャブね。まだ前置きなんです。オホホ。。)

  • 11 Apr
    • 「愛」ってなに<4>

      今日は地震がすごいよぉ~~怖いよ~(泣)---私が青臭い若者だったときに見つけた「愛ってなに?」の解。「自分と相手が同じだと感じること、区別がないこと」つまり「自己の拡張」だということでした。それは10年以上経った今でも不変です。むしろ、当時その本質に行き着いたことを「グッジョブ!」と肩をポンポンしてやりたいっすね。でも、恋愛にたとえると、どういうことになるのでしょう?次の例をもとに考えてみましょう。■いつもあなたの相談に乗ってくれている学生時代からの男友達がいます。あなたは「くまぷ~」または「くまぷ」と呼んでいます。太っているわけではないんだけど、くまのプーさんみたいに、ゆったり優しいイメージなんです。彼はイケメンでもなければ、女慣れもしていなくて、まったく男性としては見られませんが、本当にいい人間なんです。今ではときどき電話で話すくらいの関係ですが、あなたの愚痴も、うんうんとずっと聞いてくれるんです。彼には自分の気持ちを全部、素直に話すことができます。彼は、好きな女性ができても、自信がなくてただ見ているだけ、という人なんです。あなたには言わないけど、もしかしたらあなたにも少し好意を持ってくれているのかもしれない。あなたが押せば、彼は大事につきあってくれるかもしれない気もします。あなたはそんな彼の幸せを心から応援していて、好きな女性とうまくいくように女性目線でアドバイスしたり、ときには彼女へ出すメールを代わりに書いてあげたり、までしていました。そうしてなんと、彼が好きな女性とつきあうことになったのです!それを聞いたあなたは嬉しくて、「ほんと!?やったじゃん!!!」と大声を出して喜びました。さらにそれからもあなたは、彼女とのつきあいについて親身に彼の相談に乗り、あなたも彼に失恋の悲しみや仕事での悔しさを吐き出させてもらったりしているうちに、ついに彼の結婚が決まりました!彼は穏やかに報告してくれるのですが、浮き立つ気持ちが声からにじみ出ています。「やっと彼のよさをわかってくれる人が現れたか~。くまぷ~は誠実で浮気もしないし、真面目だし、おっとりしていて優しいし、家事も好きだし、旦那にするにはほんと、最高だもんね!!(私は無理だけど)あ~よかったよかった~」と、その日は心がふわ~っとして、ほのかに虹色をした夢みたいな気持ちと、やさしい陽だまりの中にいるような、あったか~い幸せ気分で、親にも「くまぷ結婚するんだって!!」と報告してしまいました。「くまぷが結婚したら、今のように電話できなくなるかもしれないな。ちょっと寂しい気持ちもあるけど、それでもやっぱり嬉しいわ」それがあなたの心からの気持ちです。よかったですね☆・・・その数日後、あなたは前の会社の同僚とご飯を食べに行きました。会社の話に花を咲かせていると、まだその会社で働いている彼女は言いました。「そうそう、ヨシナガさん、7月に結婚するんだって。彼女とすごく仲良くて、会社のお花見も一緒に来てたよ~。キレイで優しそうな人で、ヨシナガさんすっごい幸せそうだった☆」そのあとあなたは、彼女となにを話したのか覚えていません。無理やり理由をつけて1時間で切り上げ、彼女と別れると、涙がこみあげ、歩きながら涙を流して帰りました。そう、ヨシナガさんは、2年つきあっていて、去年振られてしまった元彼で、あきらめきれず、復縁して結婚したいと思っている、あなたの大好きな人だったのです・・・!社内恋愛だったので、彼とのことは社内では誰も知りませんでした。家に帰ってから、泣き続け、お酒を飲み続け、会社を3日間休みました。あまりにショックで、悲しくて、一週間ご飯が喉を通らず、4キロ痩せてしまいました。「結婚なんてしちゃったら、もう可能性が消えちゃうってことだ・・・」「でも、まだ入籍したわけじゃないし!彼女が彼を嫌になって振られるかもしれない。そんなキレイな人だったら、もっといい人が現れるかもしれないじゃん!」「そんな女、どうせ彼を表面的にしか好きじゃないに決まってる。振られれば、本当に愛してくれるのはこの私だけだ、って気づいてくれるかも」「結婚する前に『最後に抱いて』って言ってみようか。何もしないよりは、もしかしたら1%の確率でも私を選んでくれるかもしれないし・・・」などグルグル考え、モンモンとして眠れない日々が続きました。結婚が決まって幸せそうな様子をみて、あなたまで幸せになれるくまぷ~。結婚が決まって幸せそうだと聞いた途端、悲しくて、苦しくて、「振られてしまえ!」と願ってしまうヨシナガさん。果たしてあなたが愛しているのはどっち・・・?あなたはヨシナガさんを「好きな人」といいます。ねえ、じゃあ「好き」って一体なに?「愛」ってなに?「好き」ってなに?私はわからなくなって、ずーっと考えていたのです。どう思いますか?

  • 07 Apr
    • 「愛」ってなに<3>

      前回は「愛ってなに?」の私なりの答えを書きました。それは、「自分と相手が同じだと感じること、区別がないこと」であると。しかし、これを聞いただけだと誤解も生みますし、イメージしにくかったりします。「ああ~そういうことか!なるほど~」となるように、どんどん説明していきますね~。---では次の例です。たとえば、プロ野球チーム、東京ヤクルトスワローズのファンにとって、スワローズの勝利=自分の喜びです。スワローズの敗北=自分の悲しみです。スワローズの勝敗を我がことのように喜んだり悲しんだりするわけです。これは、さきほどの「自分と相手が同じだと感じること、区別がないこと」を愛の定義とするならば、スワローズに対する「愛」ということになります。「自分」の範囲が、自分を超えて、スワローズというチーム、そして、一緒に応援している何万人のファンと一体化して広がっているわけです。古田選手の引退試合なんて、隣の知らない若者(イケメン)が、泣きながら「一緒に投げてください」ってコンビニ袋にたくさん入った新しい紙テープを分けてくれましたもん。もうそこに、電車内などのようなよそよそしい「他人感」はないわけです。彼の「自分」という意識は、チームを愛するファン全員にまで拡大しているわけです。もちろん、お母さんが子供をすべてまるごと愛する濃度にくらべたら、試合とかのことに限定されているし、だいぶ薄い「愛」ではありますが、それでもやはり、ファンの「自分」という意識がチームとファンにまで拡大して、「チーム愛」になっているのです。そして、たとえば巨人などの他チームは、「自分」以外のもの、と認識されます。自分とは切り離されている存在なのです。つまり、巨人への愛はないということです。スワローズというとわかりにくいかもしれませんが、たとえば陸上でもバスケでも、自分の通っている学校を応援しませんか?それは「自分=学校」という感覚であるといえませんか?「自分」がその学校にまで広がっているのです。つまり愛の定義によると、その学校への愛である、といえます。また、高校野球でも、自分の出身校はもちろんのこと、神奈川とか福岡とか、思わず自分の出身県の高校を応援してしまいませんか?そして、その高校の勝敗が、自分の喜びや悲しみになるのです。それは、「自分=故郷」になっているということで、その故郷への愛である、といえます。なんとなく、しっくりきませんか?さらに、いつもは、スワローズファンVS巨人ファンとか、東海大相模VS九州国際大学付属とか、犬派VS猫派とか、シャネル派VSディオール派などと分離している私たちも、オリンピックやワールドカップなどの国際試合になれば、話は別です。もちろんスポーツに興味のない人もいますが、日本チームを応援する日本国民の心は一つになって、日本の勝利が自分の喜び、日本の敗北が自分の悔しさ、悲しみになります。自分=日本、という一体感を感じるということです。その大会に関しては、ですが。「自分」という感覚が、日本という国にまで広がるのです。たとえば私も普段はとくに愛国心など感じませんが、海外に行って、「あなたはどこの国の人?チャイナ?コリア?ジャパン?」のように聞かれると、「ジャパン」と答えながら、(私は日本人の代表なんだなあ。相手が『日本人はいい人だ』と思うような行動をとりたいわ)のように、無意識に思っていたりします。それは「日本愛」なのです。昔「ここがヘンだよ日本人」というテレビ番組がありましたが、「日本はここが変。アメリカではこうだ」「イタリア女性はこうする」などと、各国の出演者が、自分がその国を代表している意識で議論をたたかわせていました。これも、出演者の「自分」という意識が、母国全体にまで広がっているということですね。私=アメリカ、だからアメリカの悪口=私の悪口、アメリカの評価を上げること=私の評価を上げること、のように。今回の災害などでも、海外から「日本人は素晴らしい」のように言われると、まるで自分が褒められたかのように嬉しかったりします。あなたはそんなことありませんか?これは、「◯田△子」という個人を超えて、「自分=日本」のような感覚になっているということですよね。また、私たちが毎日被災地の様子をテレビで見て、被災者のつらさを想像して心を痛めるのも、「私」というものが、自分の名前がついている自分の肉体に限定されず、外にまで広がる感覚を持っているからだと思います。この感覚を「愛」と呼ぶのではないか、と悟ったわけです。今回は、日本という国を超えて、外国の人達も心を多かれ少なかれ痛めてくれている方が多いようで、それは私たち日本の被災者、または日本全体への一体感であり、つまり「愛」である、ということができるのです。単純にいえば、親の悪口言われたらいやでしょ?それは親を愛してるってことじゃない?っていう話です。まとめると、私が若い当時悟ったのは、「愛とは地続き感、一体感である」つまり、「愛とは自己の拡張である」ということでした。となると自動的に、「分離感、切り離され感」は愛ではない、ということにもなりますよね。・・・では、お待ちかね。恋愛の「愛」とはどうなるのでしょうか・・・?ここまでのお話をもとに、ちょっと考えてみてください!※「愛ってなに?」についてのコメントでこの記事と似ている意見を書いてくれたのは、青臭い時代からあれこれ語り合っていた友人(♂草食風)。結構考えが似てるのでびっくりした。

  • 06 Apr
    • 「愛」ってなに<2>

      すみません、お待たせしてしまいました。たくさんのコメントありがとうございます!楽しく読ませていただきましたよ~。コメントたくさんいただいているにもかかわらず、お仕事で余裕がなく、更新が遅くなってしまいました。。お題だけ出しておいてねえ・・・ごめんなさい。この記事って、ちゃんと書こうとすると実はどこまでも広がっていって、深まり、すべてとつながっていって、かなり壮大なシリーズになる、ということが、あれこれ考えていて判明してしまいました。だから、まとめて書いた分をただ自動的に更新するだけではなくて、更新のたびに、書いてある原稿を読みなおして、書き足して、ってすることになるから、結構時間がかかりそうなんです。。今、本の執筆と重なってしまったので、1回1回ゆ~っくりの更新になってしまうと思いますが、気長にお待ちいただければと思います。。---前回は、私が青臭い若者だったときに「愛とはなにか?」の解を見つけてしまった、というお話でしたね。そして、「愛とはなにか?」について、コメントを募集いたしました。いきなり私の解を読むと「へ~なるほどね~」って流す感じになっちゃうかもしれないから、まずは自分で考えてみてほしかったんだ!そんで、いただいたコメントを大まかに分けると、「相手を大事に思うこと」「相手のすべてを受け入れること」のような、「愛する他者」という外側へ向かっている答えと、「今ここを生きること」「自分があること」「自分であること」のような「自分」という内側へ向かっている答えに分かれているように感じました。当時の私が考えはじめたのは、前者の、一般的に言う、人とかモノへの愛ということでした。「愛」って漠然としていて、愛の形ってたくさんあると思うんです。たとえば「優しくする」「大切にする」「認める」「許す」などなど無数に・・・こういう一つ一つをガスに例えると、たとえばガスファンヒーター、給湯器、ガスコンロなど、ガス利用のいろいろな形だということになります。当時の私の発見は、ガスで言うと、「元栓」の存在を見つけた、という感じだったのです。それから、愛については、10年以上かけて、どんどん考えがふくらみ、まとまり、整理され続けて今に至ります。そして今もまだ、ゆるやかな進化の途中であります。今ではガス会社の貯蔵タンクくらいは見つけたかな?(笑)天然ガスの採掘場所の地図くらいは手に入れていたらいいなあ。。しかしとりあえずは、最初に見つけた解から順を追って説明していくことにします。まずは、青臭い私の、最初の「『愛』の定義」を発表しましょう。短くまとめてしまうと・・・「自分と相手が同じだと感じること、相手との区別がないこと」です。これが「愛」であり、「自分と相手が同じだと感じること、区別がないこと」という状態になれる相手に対して「この人(存在)への愛がある」というのだ、と悟ったのです。これだけだとちょっとわかりづらいですね。わかりやすく説明しましょう。■たとえば、多くの母親は子供のことを命がけで守ろうとします。「殺すなら私を殺してください。この子だけは助けてください」のように。まあ、そんな状況になることはめったにないですが、「子供さえ幸せになってくれれば、私が苦労してもいい」「私はお腹が減っているけど、この子に私の分を食べさせてあげる」「私は新しい服なんて買わなくていいから、この子が学校で恥ずかしくないようにいろいろ買い揃えてあげたい」などということはあると思います。この場合、母親にとって、自分と子供の間に区別はないのです。子供というのはイコール自分であり、それどころか、自分よりも大事な存在でさえあります。子供と自分は同じ、区別がない、つまり、さきほどの愛の定義で言うと、「この母親は子供を愛している」といえるのです。普通、「自分」というと、自分の体だけをさしますよね?体の範囲までが自分で、その外は自分以外、って。さらに、自分には、「名前」がついていますよね?「◯橋△子」とか「■田☓美」など。私のことみんなが「あるさん」とか「ANNAさん」と呼んでくれるときも、私の体に対して名前を呼んでくれます。私の体の後ろの空間に向かって「あるさん久しぶりです~」とか言われたら怖いです。でも、上の例の母親は、内面的に、「自分」の範囲が子供にまで広がっているわけです。「私のご飯」は子供が食べても同じ、もしくは、子どもが食べるほうが価値があることなのです。子供が食べても、自分が食べるようなものなのです。子供が幸せなら、自分が幸せ。これは、「自分」の範囲が、「体」と「名前」という境界を超えて、子どもにまで拡大していますよね?ここまではOKですか?長くなるのでとりあえず今回はここまで。ここから、まだまだいろんな例が出てきて、話はどんどん進んでいきます。どう?「ああ~、なるほど!!」と思った?それとも、「う~ん、わかるような、わからないような・・・」って感じ?もしわかりにくかったとしても、今はまだ、「自分と相手が同じだと感じること、相手との区別がないこと」という解をほんの少ししか説明していませんので大丈夫。これから、すご~くたくさんの話があるのでお楽しみに!んではまたね!

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ある(ANNA)

性別:
女性
自己紹介:
ある(ANNA)へメール プロフィール: 学生時代から都内のキャバクラなどでホステス。 ま...

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