一人の女性がつけた一本の道、その道は日本で初めての女性医師への道。また、婦人解放の先駆者として栄光と波乱の生涯を閉じた、日本の公許女医1号「荻野吟子のロマンあふれる真実の道」いま、その道を辿ってみたいと思い先日、「荻野吟子記念館」へ車を走らせました。丁度、一組の来館者と同席で館内をガイドの方が説明(20分ほど要点を親切に説明いただきました、私は質問を二、三しましたが・・・微妙な事なので割愛します

(館内の撮影は許可をいただきました)

 

  

荻野吟子女子像の前にて   荻野吟子記念館       荻野吟子写真

(記念館隣の俵瀬史跡公園)   木造平屋の和風建築

 

荻野吟子は、江戸時代末期の嘉永4年(1851年)3月3日、現在の熊谷市俵瀬に生まれ、幼少から聡明であったと伝わります。

18歳の時、上川上村(現熊谷市上川上)の名主稲村寛一郎と結婚します。

寛一郎は埼玉県会の副議長を務めるなど、多くの分野で熊谷に大きな貢献をした人物です。

しかし、不慮の病により離婚、婦人科治療を受けた辛い経験から、自ら医師になることを決意しました。

  

吟子の生家イメージ   生家長屋門現存写真    なでしこたちの挑戦

昔の妻沼イメージ                       女性科学者技術者

 

現在の妻沼にあった両宜塾で漢学等、上京して国学を修めた後、東京女子師範学校を好成績で卒業、高い教養を持った優秀な教育者となっていましたが、女医になることを表明、私立

医学校好寿院に入り優秀な成績で卒業します。

当時、女性に医学開業試験の受験は認められず、その道は閉ざされていました

多くの女性たちが試験を受けるために奔走していましたが、吟子は直接、衛生局長の長与

専斎に陳情するなど、先頭に立って活動を行いました。吟子たちの努力が実り、ついに女性の受験が認められます。明治18年(1885)医学開業試験にて女性として唯一合格、「日本公許女医第1号」の偉業を達成し、すぐに湯島(東京都文京区)にて荻野医院を開業し、医療に力を尽くしました。(荻野吟子記念館)

 

  

荻野吟子記念館内部    師範学校卒業写真       出版された書籍

 

医師としての一方、女性社会運動の先駆者の一人としても活躍、女性地位向上や衛生知識の普及に大きな貢献をしました。

大正2年(1913)6月23日、病気により63歳で永眠、その栄光と波乱に満ちた激しい生涯を

閉じました。

 

  

過去に舞台で上演される  ▲映画で上演された「一粒の麦」主演 若村麻由美

主演 三田佳子         生家(俵瀬)の裏側は利根川が広がる

 

荻野記念館は熊谷市の俵瀬の生誕之地史跡公園に平成18年5月1日開館

平屋の木造建築で外装は生家の長屋門を模して建てられています

展示室では多くの困難を乗り越えて成し遂げた偉業の数々を、時代に合わせた年表や

資料などに詳しく説明しています。

改めて荻野吟子女子のたゆまぬ努力に深い感動キラキラを覚えましたね~

あなたも是非、一度訪れて車みては如何でしょうか?

 

熊谷市立 荻野吟子記念館 (荻野吟子生誕之地史跡公園)

〒360-0223 埼玉県熊谷市俵瀬581-1 ☎048-589-0004

アクセス:バスバスの場合=JR熊谷駅から葛和田行に乗車、「土手上」で下車(所要時間30分)下車から徒歩約20分 車車の場合=関越道東松山IC下車、県道・国道407号経由で

30㌔。 花園ICから国道140号・国道407経由で約25㌔です

 

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