台風が接近し関東圏も強雨雨が・・・という日でしたがJR保土ヶ谷駅に午前10時前に着いた時には雨が上がり梅雨空にもたまに陽射しが見れて傘も差さずにすみそうな?天候の街道歩きで「ホッとしました」・・・ニコニコ

  

東海道五十三次       歩行経路あし(保土ヶ谷~戸塚)   駅から旧東海道に出る

保土ヶ谷」之図

 

江戸の日本橋を発って四番目の宿が保土ヶ谷宿ですが、最初の難所と言われる

権太坂(ごんたざか)の手前にあり当時の権太坂はかなりきつかったガーンので、旅人の多くは

保土ヶ谷(程ヶ谷)宿で休憩しお茶、鋭気をを養ってから一泊目の戸塚宿に向かったというから

老人や女性はこの手前の保土ヶ谷宿で泊まったのでしょうね・・・(旅籠は67軒)

(日本橋から八里、九町で約33㌔に位置する。)

 

  

左側に問屋場跡       金沢横丁の道標      保土ヶ谷宿 本陣跡(軽部家)

(道幅は当時と変わらない)                   (江戸時代は刈部)

 

保土ヶ谷宿内の東海道と金沢八景・浦賀への通じる金沢道が分岐する四つの角を

「金沢横丁」と呼んでいます。向かって右から「円梅山之道」・「かなさわ かまくら道

(もっとも古い道標)「程ヶ谷の枝道曲がれ 梅の花」「富岡山芋大明神の道」

この四基が現存する。

夕方になると旅籠の前では顔を真っ白に塗り、紺の前垂れを締めた留女(とめおんな)

客引き女、が大勢立って客を引き込んだようですにひひ

東海道中膝栗毛の弥次さんは

おとまりは 良い程ヶ谷ととめ女 戸塚(とっつか)まへ(前)て はなさざりけり」と詠んでいる

 

  

旅籠屋(本金子屋跡)   保土ヶ谷一里塚跡       上つてきた権太坂を振り返る

明治二年建築

   

権太坂 石碑         権太坂の説明板    葛飾北斎の保土ヶ谷(右奥権太坂)

                                この図には場所の特定や図が逆との

                                   説があります

  

権太坂近辺高台で「この場所で  投げ込み塚跡(合掌お願い)   境木立場跡

富士山が正面に見えるのだが「?・・・」

投げ込み塚

旅の途中に病や疲労のため、行き倒れた旅人の人骨や牛馬の骨が多数埋められた

投込塚が発見され、この場所に供養塔が建てられた。宿場のはずれには、このように

無縁仏を葬る投げ込み塚があるのです・・・江戸の街道歩きは命がけなのです

 

  

武蔵国境之木   水分補給?ほっこり休憩~  焼餅坂「別名:牡丹餅坂(ぼたもちさか)                                                          

 

焼餅坂(やきもちさか)を下る・・・この坂近辺の茶店に若い娘さんがいて                                            年増の茶屋女が若い茶娘に人気ラブラブがあるのでヤキモチイラッを妬いた・・

という逸話や由来説が(ほんとかな~)爆  笑名物は牡丹餅(ぼたもち)だったんですね~ニコニコ

 

  

大きな紫陽花あじさいの花が綺麗で  品濃一里塚       元益田家のモチの木        

思わず足を止める・・      (しなのいちりづか)  樹齢300年神奈川県天然記念物           

 

 

大山詣りの大山道標    不動坂分岐(左側が旧道)   江戸方見附跡(みつけあと)

(この道標入口の分岐道が柏尾の追分が江戸から最初の追分ですね)

 

  

吉田一里塚跡     妙秀寺(みょうしゅうじ)の道標     吉田橋(現吉田大橋)

 

妙秀寺(みょうしゅうじ)の道標  

境内に広重の保存堂版「戸塚」(右側吉田橋の図)に描かれた吉田橋の道標が移設

保存されています。道標は上記、写真でもお解かりですが相当に傷んでいますが

「□□□くらみち」と読めます。

吉田橋(現吉田大橋)

広重の「戸塚」に描かれた橋。旅人が旅籠「こめや」の前で馬馬から降りる様子を描く。

右側に柏尾川に架る吉田橋が見える、端の袂の道標は「左かまくらみち」と刻む。

この道標が上記の写真の妙秀寺に保存されています。では橋を渡りますと間もなく

JR戸塚駅電車です。保土ヶ谷駅~戸塚駅までは行程距離約10㌔、食事ナイフとフォークを一時間挟んで

5時間30分の午後3時30分腕時計に戸塚駅に着きましたが・・・いかがでしょうか?

あなたも街道歩きあししてみませんか?健康にいいですよ~ニコニコ

今日は湿度が高いせいか?汗汗ばみましたね~

では次回の「戸塚宿~藤沢宿」グッド!でお逢いしましょう~パー